【クエスト】岩喰いの巨獣に鉄杭でしがみつけ
谷の底で、岩が砕ける音がした。
崖の縁から覗くと、大きな岩の塊がそこにいた。
四本足で、背中に岩をいくつも背負ったみたいな巨体。谷の壁に頭を突っ込んで、岩をかじっている。
「岩喰いの巨獣。攻略wikiには、四人推奨って書いてある。四人なら、推奨クリアタイムは四十分」
「ボクら、二人だけど?」
「二人だな」
たけのこと、しめさばが別のギルドと回り始めて、十日後だった。ペンギンとはたまに会い、幻術師の術を見せてもらっていた。そこそこ理解はできたと思う。
暗示がかかるまでの時間を、盾で埋める。今日はそれを試しに来た。
「相手が一匹なら、お前が付箋に名前を書いてる間に、横から殴られることはない。でかくて遅いなら、見てからでも盾が間に合う。体がでかいってことは、杭を刺す場所がいくらでもある」
「ん。ボクの弱点を、全部つぶしてきたんだね」
「そうだ。真名はどうなっている?」
「ドルグ・ガンダ。……ラポールは15%。ギルマスさん、こいつ、ボクのこと相当嫌いみたいだよ?」
ラポール。真名と一緒に表示される数字で、敵と幻術師との相性みたいなものだ。高いほど付箋の暗示が早くかかる。低いと貼ったまま長く耐えなくてはいけない。……とペンギンは言っていた。ほぼ白紙のwikiにはない情報だ。
ちなみに15%はかなり低い。とはいえ文句も言っていられない。
「分かった。では黒の付箋を使え」
幻術師が扱う黒の付箋は、相手にパーティの姿を見えなくさせる、目潰しの状態異常を引き起こす。
「ん。でもラポール15%だと、暗示がかかるまで八十秒。ボスだから、四十五秒で解けるよ? ……八十秒、ボク一人で数えられると思う?」
「八十秒は、俺が買う」
「買う、って。……ギルマスさん、そういう言い方するんだ。変わってるね」
「挑発で、あいつの注意を全部俺に向ける。あいつがお前を見なけりゃ、お前は振り落とされない。理屈ではな」
「理屈じゃないほうは、ボクがやられるってこと?」
「お前は、ブラインドの暗示をかけれるだけかけ続けろ。解けたらすぐ次だ。俺はあいつの攻撃を受け続ける。目が潰れてる間だけ、あいつを殴れる。そこで俺が殴る。……かなり地道だぞ。でも、二人でもボスは倒せるはずだ」
ペンギンが、短い手を額に当てて敬礼した。
「ん。八十秒、ギルマスさんに買ってもらうね。……盾、頼りにしてるよ?」
谷に降りた。
盾を構えて挑発を撃つ。巨獣が岩から頭を抜いて、こっちを向いた。目が小さい。
来た。
頭突き。それを盾で受ける。HPバーが二割飛んで、オートポーションが発動する。足が砂利ごと後ろに滑る。
「行けー!」
視界の端で、ペンギンが岩の上から飛んだ。
着ぐるみが、巨獣の背中の岩の隙間に落ちた。鉄杭が刺さって、右手がそこで固定される。左手が、黒い付箋を背中に押し当てた。
「はちじゅう! ななじゅうきゅう!」
八十からゼロへ。ゼロで暗示がかかる。
頭突き。受ける。前足。受ける。オートポーションが発動して、また減る。聖騎士は、盾を構えると剣が使えない。
「よんじゅう! ……さんじゅう!」
半分を超えた。いける。
そう思った瞬間、巨獣の首が、さっきまでより低く沈んだ。
盾を正面に構えていた。来たのは横薙ぎだった。初めて見る動きで、体が間に合わなかった。盾の横をすり抜けて、岩みたいな頭が僕の体に直接入った。脇腹が鈍く痛む。
視界が回り、谷の壁まで飛ばされた。HPバーが五割にまで減り、オートポーションが発動する。巨獣は挑発の届く範囲から外れた。このままでは、注意が僕ではなくペンギンに向くかもしれない。
巨獣は首をひねると、背中の上のペンギンに目をやった。
「あっ」
巨獣が低く唸って、体を大きく揺らした。ペンギンはぶんぶんと振り回され、体が壁や地面をこする。
「じゅう! きゅう、はち、なな――んんっ!」
巨獣が体全体を、犬が水を払うみたいに横に振る。ペンギンの体は宙を舞った。そのまま谷の壁にぶつかって、砂利の上をころころと転がった。
「あと七秒たりなかった」
ペンギンのHPバーが赤い。
僕は立ち上がって、回復の魔法陣を描きながら走った。巨獣がこっちを向く前に、もう一度、挑発。
「七十三秒、しがみついてたのか」
「ん。落ちながら数えてた」
「……悪い。俺のミスだ」
「ん? ボクの刺す場所が悪かったんじゃないの?」
「お前の刺す場所はいつも悪い。でも今のは違う。俺が受け損ねた」
回復の魔法陣が描き上がり、ペンギンのHPバーが緑に戻る。
「もう一度、いけるか」
「ん。……ギルマスさん、今日はいけるぞって声してる」
「声で分かんのかよ」
「分かる。ギルマスさん、声に出るもん。……七十三秒も受けてくれた。次は八十秒だね」
二度目。
今度は、首が沈んだ瞬間に体が動いた。盾を横に向ける。横薙ぎ。間に合った。考えてはいない。来たものに、手が勝手についていく。頭突き。受ける。前足。受ける。
「さんじゅう!」
巨獣の尻尾が持ち上がった。
後ろを払う動きだ。ペンギンには当たらない。けど体が横に大きく振れる。振れたら落ちる。
考える前に走っていた。
尻尾が振り抜かれる先に、盾ごと体を入れる。衝撃。HPバーが五割まで減る。でも巨獣の体は振れなかった。尻尾が盾に当たって、止まったからだ。
「にじゅう! じゅう! ご! ……ゼロ!」
巨獣の背中で、黒の付箋の暗示がかかった。
巨獣の動きが止まった。
小さい目が、ぐるりと動いて、僕の上を素通りした。目の前にいるのに、見えていない。まるで、僕らは最初からここにいない、という幻を見せているようだった。
「降りろ!」
ペンギンが杭を抜いて、背中から滑り落ちた。着地して、その場にしゃがんで、鉄杭の先で付箋に名前を書き始める。
僕は盾を下ろした。
初めて下ろせた。
聖騎士は、盾を構えなければ剣を使える!
剣先で回復の魔法陣。防御強化の魔法陣。二つ描いて十五秒。
「書けた。……登っていい?」
「登れ!」
ペンギンが岩に駆け上がって、飛んで、背中に杭を刺した。
「はちじゅう! ななじゅうきゅう!」
ここからだ。
剣を横腹に入れた。一回。二回。巨獣は、剣が入った方向に頭を振るだけで、僕を見つけられない。三回。四回。
「ごじゅう!」
暗示が解けた。小さい目に光が戻った。
僕は正面に戻って、盾を構えた。剣はまた使えない。挑発を撃つ。頭突き。受ける。五十秒。五十秒だけ数える。
「ゼロ!」
黒の付箋。降りろ。書く。回復。防御。登れ。剣。一回、二回、三回、四回。暗示が解ける。盾構え。挑発。受ける。五十秒。黒の付箋。
その繰り返しだった。
一度、回復のつもりで、防御強化を二回描いた。HPは減ったままで、何も起きなかった。
「あ! ギルマスさん、いま防御、二回も描いたー」
「数えてろ」
「数えてるから、分かるんだよ?」
一時間で、巨獣のHPバーは三割減った。僕の剣で三割だ。そして一時間で、僕のMPが尽きた。暗示で目が潰れている四十五秒は、全部、剣に使う。
付箋が四十枚を超えたあたりで、巨獣が動きを変えた。
背中のペンギンを揺すり落とすのではなく、谷の壁に向かって歩き出した。ゆっくり、体の右側を壁に寄せていく。
擦りつける気だ。
「壁に行く! 杭、抜け!」
「まだ五十――」
「抜けって言ってんだろ!」
巨獣の左の前足に、剣を叩き込んだ。斬るためじゃない。押すためだ。足が一瞬止まって、体が壁から離れる。その隙間に、ペンギンが落ちてきた。転がって、僕の後ろに逃げ込む。一拍遅れて、巨獣の右半身が、ペンギンがいたあたりの岩壁を、ごりごりと削った。
「……ギルマスさん、いまの、wikiに載ってないやつでしょ」
「載ってねーよ」
盾で受けて貼らせる。剣で押して杭を抜かせる。誰もやっていないから、どこにも載っていない。
地道な削りと、ミスの許されない精密作業のような戦いが二時間半ほど続き、巨獣のHPバーは一割に近づいた。ポーションは底をつきかけていた。
手が遅くなっていた。頭突きへの反応が半拍遅れて、盾の端で受ける。ペンギンの字が乱れて、付箋が三回に一回、不発になる。
「……字、乱れた。書き直す」
「いい。数えろ」
そして、一割を切ったところで、巨獣の動きが変わった。
速くなった。頭突きの予備動作が、目に見えて短くなった。前足の振り下ろしが、二連続になった。さっきまで取れていた間が、なくなった。その速さの中で、同じ周を何度も回した。一割あった巨獣のHPバーが、ひと欠けになるまで。
「ギルマスさん、もう一度いく。……五十秒、盾だけでいける?」
「……登れ。八十秒だ。それで終わらせる」
MPもポーションもない。五十秒を盾だけで受ける。
盾なら、ある。
盾構え。頭突き。右に半歩ずれて盾で流す。前足、二連。一発目を盾で流して、二発目は肩を引いて外す。尻尾が上がる。今度は僕が払われる側だから、飛んで、着地して、盾を構え直す。頭突き。ずれる。前足。流す。外す。尻尾。飛ぶ。
体が勝手に動いていた。
予備動作が短くなっても、来てから動けば間に合う。前足が落ちる。盾。首が振れる。ずれる。考える前に手が出る。剣は振らない。今は、五十秒もたせるだけでいい。
「にじゅう! じゅう!」
頭突き。ずれる。前足。流す。外す。
「ゼロ!」
黒の付箋。巨獣の目から光が消えた。
「降りるな。そのまま数えてろ」
「……ギルマスさん、動きがとても速い!」
「いいから数えてろ」
剣を入れた。一回。二回。三回。巨獣は、見当違いの方向に頭を振っている。四回。五回。六回。
巨獣の前足が、沈んだまま、上がらなかった。
巨獣が低く唸ると、でかい体がゆっくり横に傾いて、谷の底に倒れた。地面が揺れて、砂埃が上がって、それから、巨獣の体が消えた。
静かになった。
僕は剣と盾を下ろした。HPバーはあと一割弱だった。
ペンギンは、杭を握ったまま、ぽつんと立っていた。小さい黒い点が二つ、こっちにじっと向いていた。
「……倒れた」
「……ん! 倒せた!」
ペンギンは、砂利の上にぺたりと座り込んだ。僕は地べたで大の字だ。巨獣から受けた攻撃で、全身が痛い。左腕は少し痺れている。
最後の五十秒が、どういう五十秒だったか、頭の中で並べた。MPはゼロ。ポーションもゼロ。HPは一割弱。巨獣は一割を切って速くなり、頭突きの予備動作は目に見えて短く、前足は二連になっていた。それを盾一枚で受け流した。回復も、防御強化も無しで。
五十秒間、一発も食らわなかった。それで生き延びた、反射神経だけで。
「んんんんっ!? ギルマスさん、なに、いまの! 最後の五十秒、みたことないぐらいの速さだった!」
「たまたまだよ」
「たまたまで、五十秒? ポーションもMPも無くて、あいつ、速くなってたんだよ? ボク、上からみてた。盾だけで、一発も食らってな――」
「たまたまだ!」
言葉を無理やり遮った。聞かれたくないことに、踏み込まない。これがVRサーガのマナーだ。ペンギンは空気を察すると、それ以上は追及しなかった。追及しないでいてくれた。
推奨四十分の巨獣相手に、三時間もかかった。普通なら弱音を吐いて逃げ出しているところだが、こいつはそうしなかった。音ゲーを一緒にプレイしていたときもそうだった。こいつの粘り強さは間違いなく本物だ。
「お前、三時間、一回も『帰る』って言わなかったな」
「そうだね。ギルマスさんは途中で帰るかと思った」
「それはこっちの台詞だ」
「ボクら、本当に弱いね」
「お前が弱い。俺は普通だ」
「んんんん?」
「あーもう、分かってるよ。俺も弱い! これでいいか?」
「んふふー。でも、倒せたよ。ギルマスさんの盾で」
「お前の付箋も、だな」
挑発して受けるだけと言われた盾と、何をしているのか分からないと言われたペンギン。パーティの邪魔者だった僕らは、たった二人でクエストを攻略した。
昨日までの憂鬱な気持ちが、嘘みたいに晴れた。




