深夜のプラベ、「じゃあリアルでどこか行ってみる?」
「ねー、ご褒美は? ご褒美ちょうだい」
七月十八日、土曜日の深夜。江ノ島の夏のワールドに、二人だけの部屋を作っていた。
「はいはい、今日もありがとな、相棒!」
「けちー」
砂浜に、二人で寝転がっていた。VRの砂だ。背中に砂の感触はない。ないけど、寝転がると空が広い。花火のない夏の夜空が、ずっと上にある。
砂漠のクエストで僕は、本当の自分になる、と決めた。上を目指すことに真剣に向き合った。過密スケジュールで平日は一晩に三回のクエストをこなし、僕のレベルはついに40に到達した。ユイナももうすぐ僕のレベルに並ぶ。ギルドランキングは世界47位。上位50位に入ったことで、ギルドランクはSに上がった。それもたった二人で。
ユイナとはギクシャクしたこともあった。でも、海灯祭でお互いの関係をはっきりとさせたことで、ユイナはすっかり元のユイナに戻った。
今日は八連続でクエストをこなした。ご褒美ご褒美とうるさいユイナの機嫌をとるため、ゲームセンターで三曲ほどプレイしてから、この砂浜に移って、それきりだらだらしている。夏休みも、今まで通り寝落ちするまでここにいるのだろう。
「毎日毎日クエストじゃ、さすがに飽きるか?」
「飽きないよ? ボクはみなくんの手だから」
「じゃあなんだよ。ご褒美くれって」
「だって……せっかくの夏休みだし、ボク、なにか特別なことがしたいなって」
毎日VRサーガへログインしている僕らは、現レベルで行けるクエストやワールドをすべて回り尽くした。夏休み向けの特別なお祭りイベントも、夏休みより前に始まっていて、何度も通い、会場にあった脱出ゲームはベストタイムが出るまで、何十回もプレイした。
「特別なものなんて、このVRサーガにはどこにも残ってないだろ」
「んー。じゃあリアルでどこか行ってみる?」
ユイナはあまり深く考えず、口から出まかせで言ったようだった。いつも僕をいじるときと同じように。
「そうするか」
僕もそこまで考えていなかった。いつものようにユイナのおしゃべりを軽く聞き流していたら、ぽろっと口から出てきてしまった。
「んんんん?」
「……あっ」
焦ってさっきの発言を取り消そうとして起き上がると、ユイナはすでに起き上がっていて、顔は固まっていた。固まったまま、数拍遅れでユイナは驚いたような声で言った。
「……リアルで会ってくれるんだ、みなくん」
「お、おう」
思わずそう答えてしまった。
「ま、まあ……会っとけば、ボクが女の子だって、嫌でも分かるもんね」
「あ、でもお前、五月に言ってただろ。リアルで人と会っていいわけない、って。チャペルで」
「言った。でも、みなくんは知らない人じゃないでしょ。相棒だし」
相棒、を、そこで使われた。使われて、返す言葉が出なかった。
出ないまま、口が別のことを言っていた。
「VRサーガの一周年イベントが来週あるから、そこに連れて行ってやるよ」
言ってから、自分で驚いた。
一周年イベント。発売から一年の、記念のイベントだ。秋葉原の会場で一日だけ開かれる。ステージがあって、物販があって、ゲームの中の連中が、ゲームの外に集まる。公式のオフ会、というやつだ。
行くつもりはなかった。掲示板で日程を眺めて、閉じた。閉じたはずの日程が、口から出ていた。
「んふふー」
もう取り消せない。やっぱりめんどくさいからなし、なんて言えない。ユイナは、頭の中ではすでに、一周年イベントの会場にいるようだった。
「ね。ボクって意外と美少女なんだよ。ちゃんと可愛いから、覚悟しといてね」
「はいはい。バーチャルじゃないんだから、きんたまみたいな下ネタを言ったりするなよ? 潰れたあんぱんみたいな口で来たら帰るからな」
「んふふー。そんな態度でいつまでいられるかなー」
ユイナは意地悪に笑いながら、砂の上に座り直した。女の子のアバターの膝に、幻術師のフードの裾がかかっている。
「ね。リアルで会ったら、ボクのこと、なんて呼ぶの」
「……お前」
「リアルで、お前、って。んふふー、みなくん本当に言えるのかな?」
「当たり前だろ。お前はお前だ。バーチャルでもリアルでも一緒だ」
「ほんとうに?」
「本当だ」
「ふーん。じゃあ、楽しみにしてるね」
浮かれている。珍しく、鼻歌でも歌い出しそうだった。右手を夜空へ掲げてみたり、足をパタパタさせたり、頭をふわふわと左右に振ったり。
「ねー、ボクって中身は、おっさん、なんでしょ?」
「……おっさんが来る。ボイチェンのおっさんだ」
「そっかー」
「そっかー、って」
「んふふー。じゃあ、おっさんを探してね。会場で」
そう言って、ユイナは、また寝転がった。
会場の話になった。掲示板で見ただけで、知っているのは受付のことくらいだ。
「ね、登録って、ギルドマスターがやるんだよね。ボクは、何もしなくていいの?」
「ああ。事前にギルドを登録しておけば、受付で名札がもらえる。ディスプレイネームと、ギルド名が入ったやつだ。待ち合わせは、その受付の前でいい」
「ん。じゃあ、受付の前ね」
僕も寝転がり直して、ギルドの登録を済ませた。ねこのて。マスター、みな。メンバー、みなのて。二人分の名前がページに並んだ。並んだのを、ユイナは寝転がったまま眺めていた。
「なあ。連絡は、どうする」
「連絡って」
「当日。番号でも、なんでも。……はぐれたら、探せねえだろ」
「しない」
即答だった。
「番号は交換しない。当日、みなくんが、ボクを見つけて」
「見つけられるか、そんなの」
「見つけられるよ。ボクは、みなくんを見つけられるし」
「……根拠は」
「八ヶ月間、みてるから」
八ヶ月間、だった。その間、こいつは僕を見ていて、僕は、こいつの顔を一度も見たことがない。
「……名札がある。それで探す」
「ん。名札ね」
「見つけられなかったら、どうする」
「そのときは、ボクが見つける。見つけて、当ててあげる。みなくんが、どのおっさんに話しかけようとしてたか」
「話しかけねえよ」
「どうかな」
何かを決めた声だった。何を決めたのかは、言わなかった。
「ね、みなくん」
「なんだよ」
指のある手が伸びてきた。伸びてきて髪に乗った。もう一ヶ月は見ていなかった、こいつの撫でがいきなり来た。
「みなくん、楽しみだね。……よしよし。んふふー」
頭をゆっくり撫で回され、視界に指の形が入り込む。体の力が抜けていく。
「……ほんとみなくん、このおててが好きだね」
「おっさんの手でも、俺は平気で喜べる男だからな」
「変態」
「お前に育てられた性癖だ」
「そんなことしてないもん」
髪をこする音が、しばらくのあいだ続いた。やがて止まった。
「ね、みなくん」
「なに」
「ご褒美、ありがと」
それきり、声がしなくなった。砂浜に寝息だけが残った。ボイチェンの寝息は、変な音になる。去年の秋から聞いてきた音だ。
寝息の主が、来週、どんな顔で来るのかを考えた。
考えてやめた。
考えたら、また何かが変わる気がした。




