海灯祭 -LANTERN NIGHT- で、二人だけ灯籠を上げなかった
入り口で、イベントのスタッフのアバターが、灯籠を一つ渡してきた。
六月二十日、土曜日の夜。海灯祭 -LANTERN NIGHT-。どこかの企業が主催している、期間限定のイベント型ワールドだ。
僕が誘った。おしおきコロシアムの夜から二週間、ユイナはソファーに一人分空けて座っていた。その一人分を埋める方法を知らないまま、お祭りに遊びに行こう、と言った。言ったら、ユイナは、ん、とだけ答えた。
「みなくん。……すごいところに連れてきたね」
入り口をくぐって、最初にユイナが言ったのが、それだった。
海辺だった。夜の砂浜に提灯の明かりが並んで、その先に黒い海がある。空に、灯籠がいくつも上がっていた。数えきれない。一つ一つに、誰かの願いが書いてある。
そして、砂浜には、カップルしかいなかった。
男女もいれば、美少女アバター同士、犬と猫、もふもふしている何かが二つとか。とにかく、すべてが二人でワンセットだった。
すれ違った二人組の片方が、こっちを向いて言った。
「お二人も、早めに上げたほうがいいですよ。あとで混むので」
僕は手に持っている灯籠に目を向けた。ユイナもそれを見て、僕の袖を引いた。引いただけだった。
すぐ横で、別の二人組が灯籠を持ち上げた。手を離した。灯籠が上がっていくのを二人で見上げて、それから、見つめ合った。
隣でも、その隣でも、同じようなことが起きていた。
「……ね、みなくん」
ユイナの声が、二週間ぶりに、少しだけ、いつもの音になった。
「ボクたちも、灯籠を上げるの?」
「……」
「ん? あれ、みなくん照れてるの? 照れちゃうんだ」
いつもの調子で絡んできた。絡んできたことに、少しほっとした。ほっとして、それを顔に出さないようにした。
「あーもうはいはい」
「はいはい、って」
「こっちだ」
僕らは砂浜を歩いた。脇には広告が並んでいる。このイベントのスポンサーなのだろう。かわいいイラストもあれば、家庭用洗剤の写真みたいなものまである。ミニゲームなんかもあって、遊んでいるカップルの姿も見える。
砂浜の端から、坂道が一本、上に伸びている。掲示板で地図を見て、知っていた。誰もそこに行かない。灯籠は、砂浜から上げるものだからだ。
このワールドは、プラベを作れない。千人が、同じ一つの会場に入る。それを知っていて、ここを選んだ。二人きりの部屋に入っても、言う言葉が見つかっていなかったからだ。
おしおきコロシアムの夜、悪かった、は、あの場で言った。何が、と聞かれて、全部だ、としか言えなかった。全部の中身を、二週間、探していた。
それを、カップルの真ん中で言う気はなかった。
「それにしても、カップルだらけだな」
「ん? そりゃそうでしょ。このイベントってそういう場所でしょ」
「てっきり、地元のお祭りみたいなやつかと思ってた」
「あー、みなくんそういうの好きだもんね。江ノ島の花火みたいなやつ」
「……あっちに行こうぜ」
僕は砂浜を横切った。灯籠を上げているカップルの間を、抜けた。誰もこっちを向かなかった。向く暇がなかった。
坂道に入った。人がいなくなった。砂浜の明かりが後ろに遠ざかって、提灯がぽつぽつと並んでいるだけになった。
「ちょっと、みなくん。ここ、全然人がいないよ?」
「そっちの方がいいだろ」
後ろから、ユイナがついてきていた。声が弾んでいた。
「ん、もしかしてボク、今日どうにかされてしまうの? なんてね」
「……いいから、ついてこい」
「んふふー。はいはい、ついていきますよ」
久しぶりの、んふふー、だった。
坂は長かった。途中にベンチが一つあった。誰も座っていなかった。通り過ぎた。
「ここ、二人しかいないね」
「……そうだな」
「ベンチ、あったよ」
「あったな」
「通り過ぎるんだ」
もう一つ、あった。通り過ぎた。
ユイナの足音が、少しずつ、小さくなっていった。
「……みなくん」
「なんだ」
「なんかここ、雰囲気がちょっとヤバいよ」
「どういうこと」
「こんなに薄暗いところに、二人きりって」
「え、そうか?」
「ん……。みなくんがそういう人なの、忘れてた」
拗ねた。拗ねたまま、ついてきていた。
坂を登り切った。
海が眼下にあった。黒い海と、砂浜の提灯の列と、そこから上がっていく灯籠が、一度に見渡せた。
ユイナが隣で止まった。止まったまま、しばらく、何も言わなかった。
僕は笑った。笑って言った。
「ここ凄くね? めっちゃ景色いいよな」
「……ん」
「掲示板の地図を見ただけで、賭けだった。当たりだ」
下の砂浜を指さした。大勢のカップルが見える。上から見ると、全部、小さかった。
「まったく、いちゃつきやがって」
「……」
「こっちのほうが、いい景色だぞ」
ユイナは下を向いていた。向いたまま、返事をしなかった。
僕は、探して見つけたやつを、言った。
「な、ユイナ」
久しぶりに名前を呼んだ。なぜか自然に口から出てきていた。
「俺たち、出会ってもう半年以上になるな」
「ん。そうだね。いろいろあったよね」
「本当の自分になる。そう決めたとき、俺の手になるって言ってくれて、本当に嬉しかった」
「ん。ボクはみなのて、だからね」
ユイナは得意げに笑った。
「あのな。実は俺、お前のことをどう扱えばいいのか、ずっと悩んでいたんだ」
出会ったときはただのガキだと思ってた。けど、おかげで気軽に話せた。一緒に色んな困難を乗り越えてこれた。突然お前が女だと分かって、驚いて、怖くなったりして、どうすればいいのか悩んだ。けど、ようやく僕の中に答えが出た。
「俺たち、いいパートナーだと思わないか?」
「……ん? みなくん、どういう意味?」
「ユイナ。これからも、俺の良い『相棒』でいてほしい」
言えた。
ソファーで空いていた一人分を、これで埋められると思った。
ユイナがこっちを向いた。
向いて、僕の顔を、しばらく見つめていた。何かを探しているような顔だった。それから、下の灯籠に、目を戻した。
「……ん。相棒ね」
「相棒だ」
「いいよ。それで」
声は、平らでも、弾んでもいなかった。聞いたことのない声だった。
「……この間の、コロシアムのこと。まだ、引いてるか」
「引いてる。あれは、ずっと引いてる。……でも、来たよ。ギルドメンバーだからね」
相棒。その関係性に納得していないことは伝わる。伝わるが、僕は相棒よりもしっくりくる言葉が何も思い浮かばない。
「みなくん」
「なんだ」
「それ、持ったまま」
僕の手を指さした。
灯籠だった。入り口で渡された、二人で一つの灯籠。書かないまま、灯さないまま、坂を登って、ここまで持ってきていた。
「……返す場所、分からん」
「上げないの?」
「……書くこと、ねえし」
言った途端、ユイナの表情が、一瞬、止まったのが分かった。止まって、すぐ、戻った。
「ん。じゃあ、持って帰れないね」
灯籠は、ワールドの外へは持ち出せない。書かなかった灯籠は、ここに置いていくしかない。
ユイナが、坂を登り切った先の草に、座った。僕も隣に座った。一人分、空けなかった。空けずに座った。
「ね、みなくん」
「なんだ」
「相棒って、肩、貸してくれる?」
「……貸す」
肩に重さが乗った。
VRだ。重さなんてない。それでもあった。砂漠の夜の、背中の重さと、同じだった。
下から、灯籠が上がってくる。砂浜にいたときは、頭の上を上がっていった。ここでは、足の下から上がってくる。何百も。誰かの願いが、一つずつ、目の高さを通り過ぎて、空に消えていく。二人でそれを見上げていた。
「ボクね」
「……」
「このままで、いい。……この間、言ったやつ。あれ、ほんとに、このままでいい」
「……何が、このままだ」
「秘密」
二度目の秘密だった。
肩の重さは動かなかった。灯籠が上がっていく。上げなかった灯籠を膝に乗せたまま、上がっていく灯籠を、二人で見送っていた。
「みなくん、今日は、いい景色だったよ」
「……だろ」
「ん。……相棒の、いい景色」
その言い方だけが、少し、引っかかった。どこに引っかかったのかは、分からなかった。分からないまま、肩に乗った重さを、動かさずにいた。
千人の中で、灯籠を上げなかったのは、たぶん、僕らだけだった。




