おしおきコロシアム -KAGURA- に行ったのが、ユイナにバレた
「湊。お前、女ができたんだろ?」
六月六日、土曜日の夜。フレンドだけの部屋で、開口一番、ジンがそう言った。
湊、というのは僕の実名だ。そして目の前にいるジンという男は、僕が格ゲーでランカーだったときからの悪友だ。年上で僕のアニキみたいな存在で、VRサーガの中でも僕を実名で呼ぶ。
「できてねえよ」
「このところお前、こう、悶々としているように見えるんだけど。女となんかあるんだろ?」
「まあ……気になる子はいるかもしれない」
「あー。ま、恋愛相談とかそういうのは興味ないから、どうでもいいわ」
僕にとってのユイナは、変なアバターと名前と声で、僕のことをおちょくってきたやつ。けどそれがあって、こうして腹を割って話せて、背中を預けられて、安心して甘えられる関係になれた。困っているときに助けになってくれる、大切なギルドメンバーだ。
ただ、あいつは女なんだろう。そう思うと、これからも同じでいられるのか、と不安になる。顔が近づいてくるとドキッとするし。やたら頭とか撫でてくるし。
……いや、違う。この感情はそういうのじゃない。ただ僕が、年頃の男だからだ。思春期というやつだ。そうに違いない。
「俺、やっぱ異性に飢えてるのかな。それで悶々としているのかな」
「んー? いやだってお前、男なんだろ? それが普通だろ?」
「女の子と付き合ってみたい、親密になってみたい、って思ってしまうものなのか」
「生ぬるい言い方すんなよ。エロだよエロ。男子高校生の頭の中なんてエロしかないだろ」
「……はあ、そうなのかなあ。煩悩だ。煩悩を、発散したい」
ジンが笑って、ポータルを開けた。
「よし、発散だ! おしおきコロシアム -KAGURA-。湊、お前なら全勝できるだろ。行こうぜ」
聞いたことがある。お姉さんと一対一で勝負して、勝てばご褒美、負ければお仕置きで踏まれる。どっちに転んでも、得をするという、謎のイベントだ。クエストでもなんでもない、プレイヤーが主導して開いてるただのお祭りだ。
僕も七ヶ月前に、1on1マッチングとかに挑戦していたぐらいだから、当然そういういかがわしいやつは一通り知っている。
あのときは、ギルメンの一人に彼女ができて、毎日毎日、惚気話を聞かされた。その挙句に、ギルドまで出ていった。悶々とした気分だけを、あいつは置いていきやがった。思い切って1on1マッチングに飛び込めたのも、あの事件があったからなのだ。
で、今はどうだ。ほら、また悶々としている。あのときと同じだ。
「で、どうする。やるのか?」
「やる」
「だよなー」
僕はポータルをくぐった。
木の剣で、先に相手の体に当てたほうが勝ち。シンプルなゲームだ。僕はそこで、十回勝負をして十回とも当てた。合図の光が出てから、相手が動くまでの間に、剣が届く。中学の二年間、フレームを数えていた手だ。客席でジンが、腹を抱えて笑っていた。
さあ、ここからが本当のゲームだ。
「ボクちゃん。本当に強いのね? ご褒美をあげないとね♡」
お姉さんに手招きされて、僕は個室に連れて行かれた。間接照明が灯っていて、いかにもそういう、いやらしいことをする場所、という顔をしている。ベッドもあるし、お酒が飲めるバーカウンターまである。
お姉さんはそんなのに見向きもせず、ソファーを指さした。そこに座れ、ということなのだろう。
「ねえ、ボク? 上着、脱がせてくれない?」
艶やかな声だった。ボイチェンだと分かるのに、とても優しい声だった。手が勝手に脱がせていた。
「ボクちゃん、かわいいね」
「あ、あ、あの、お姉さん。あの」
「しーっ! 良い子なんだから、静かにしなきゃダメだよ」
声が耳のすぐ横にあった。
「お姉さんね、母性本能が強すぎて、ボクちゃんみたいなのに、とーっても弱いの」
「……っ!」
「いーっぱい甘やかせてあげるからね」
「ううっ」
「ほら、おいで♡」
「お、お、おねぇさぁぁぁぁーーーーーん!!」
そのあとのことは、言わない。個室を出たとき、僕の声は、聞いたことのない高さになっていた。
「湊、次。負けてみろ」
負けた。わざとだ。砂の上に転がされて、お姉さんの足が背中に乗った。それを五回。客席のジンの笑い声が、砂の上まで届いていた。
「どうだ、あのおじさんたち……おっと違った、お姉さんたちとの対戦は?」
「……すごかった」
ジンがまた噴き出した。
「お前、昔からそうだけど、触れられるとがっつり触れられた感覚がある、ファントムセンスの持ち主だもんな。大変なことになったんじゃないか」
「……痛かった」
ジンは目から涙が出るほど大笑いした。まじで性格が悪いな。この人。
相手がおじさんだと分かっていても、なぜか受け入れてしまう。ユイナよ、これはお前に曲げられた性癖だぞ。まったく、困ったやつだな。お前は。
三時間ほどそこにいて、ボスとぶっ通しで戦った後みたいにへとへとだった。ジンと別れて、帰りは一人で、ラウンジのポータルを開けた。
のらねこラウンジの、いつものソファーに、ユイナが座っていた。
座って、こっちを眺めていた。
「みなくん」
「……おう」
僕は、いつもの場所に座った。
「今日、どこにいたの」
声が平らだった。語尾が伸びていなかった。
「……最初は、フレンドの部屋」
「三時間、フレンドリストに出てたよ。みなくんの居場所。おしおきコロシアム -KAGURA-、って」
フレンドリストには、フレンドがいまどのワールドにいるかが出る。僕の居場所も、そこに出ていたらしい。
「居場所、公開したままだったね」
「……設定、あったのか」
「あった。半年前から」
半年前からあった。半年、僕はそれを触ったことがなかった。触る必要がなかった。今日まで。
「で、何してたの」
「……勝負」
「勝った?」
「……全勝した」
「それで?」
「……ご褒美で、その……個室に、連れて行かれて」
「それで?」
「……めちゃくちゃ撫で回された」
「それで?」
「……途中から、わざと負けた」
「それで?」
「……めちゃくちゃ踏まれた」
「は!? みなくんって、そういう趣味もあったの?」
「……いや、痛いのでああいうのは結構です」
全部、言った。言わない、ができなかった。こいつの前で、声を隠せたことが、一度もない。
ユイナは、しばらく、何も言わなかった。
それから立ち上がった。
「浮気だ浮気!」
叫んだ。ラウンジに客はいなかった。しろねこが、映画から目を離した。
「よそのお姉さんに、撫でられて、踏まれて。三時間も。……浮気だ浮気!」
「浮気って、お前」
「なに? ボクにもやらせといて」
声が落ちた。
「ボクに、……あんな恥ずかしいことをやらせといて。それを、よそで、金で」
「金じゃねえ」
ユイナは僕の前に立った。女の子のアバターが、座っている僕を、見下ろしていた。
「みなくん。ボク、いま、心底引いてる」
平らな声でそう言った。んふふー、も、ふーん、も、なかった。おちょくりの音が、一つもなかった。
「……悪かった」
「何が」
「……全部だ」
「全部って、何」
答えは出なかった。出ないまま、ユイナは、ソファーに戻った。僕の隣ではなく、一人分空けた場所に座った。半年で、初めて空いた一人分だった。
「ね、みなくん」
「なんだ」
「ボクが、もし本当に女の子だったら、みなくん、どうするの」
聞かれた。こいつの中では、僕がまだ女かどうかを疑っている、という設定が残っているらしい。
「……どうもしねえよ」
「ふーん」
それだけだった。ふーん、で終わった。終わってから、ユイナは、天井を向いた。
「……じゃあ、このままでいいや」
「……何が、このままだ」
「秘密」
そう言って、ユイナは映画に目を移した。目の焦点は、全く合っていないようだった。
「ま、1on1マッチングで会ったもんね、ボクたち」
「……あれは、メンバー探しだ」
「しってる。……でも、あそこにいた。ボクも、みなくんも。人のこと、言えないか」
言えないか、は、諦めた言い方だった。諦めて、それでも、一人分空いたまま、そこに座っていた。
「今日は、帰る」
「……」
「明日は、来る。……来るけど、今日は、帰る」
ユイナが、ポータルを開けた。開けて、くぐる前に、一度だけ振り返った。
「みなくん。居場所の設定、直しといて。……もう、みたくないから」
くぐった。
ラウンジに、僕と、しろねこと、映画だけが残った。
しろねこは、映画に目を戻していた。戻したまま、言った。
「最低」
それきり、しろねこは何も言わなかった。
手元のパネルを開いた。居場所の設定は、三回押せば隠せた。半年前からあったその設定を、今日、初めて触った。
踏まれた背中より、平らな声のほうが、ずっと痛かった。




