【クエスト】砂漠突破、乗っ取ったモンスターで夜を走る
「みなくん、今日はドライブデートしよっか」
五月二十三日、土曜日の夜。砂漠の入り口で、ユイナが指さした先にトカゲがいた。
大きい。
二本の足で立って、こっちを一瞬だけ向いて、それから走って消えた。消えるまでに三秒もかからなかった。
砂走り。wikiで名前だけは見ていた。クエストは砂漠突破。夜のうちに向こう側の遺跡に着けば終わりだが、歩けば三時間、砂の中のワームに盾を向け続けることになる。
「ドライブデート? お前、何を言い出すんだ」
「紫の付箋。敵の動きを乗っ取って、ボクが上に乗る。乗ってる間、あの子の足はボクの足」
ユイナは毒針を外して、鉄杭を出した。
「毒針だと、乗り物が死んじゃうからね」
砂丘の裏に、もう一匹が伏せていた。僕は盾を構えて、挑発を撃った。
トカゲは跳ね起きて、逆に走った。
「臆病な子に、わざわざ怒鳴ったんだ」
「……癖だ」
「ん。しってる。みなくんの癖」
三匹目では、挑発を撃たずに、盾の後ろで息を殺した。ユイナが忍び足でトカゲの背後に回って、小さい声で言った。
「ラポール55%。三十秒」
杭を背中に打った。トカゲが走った。杭に掴まったユイナごと走った。
「さんじゅう! にじゅうきゅう!」
僕は走った。聖騎士の足で、追いつくわけがなかった。声が、砂丘の向こうから小さくなっていった。
「じゅう! きゅう、はち……さん、に、いち……ゼロ! かかった!」
声が止まった。砂漠には風の音しかなかった。二分間、砂丘の上に立っていた。
トカゲが戻ってきた。背中に、女の子のアバターが乗っていた。
「みなくん、遅い」
「……走った」
「みてた。砂丘の上で、盾持って突っ立ってるの」
トカゲが足を止めた。
「乗って。後ろ」
乗った。掴むところは、前に座っている女の子のアバター、その腰しかなかった。
「落ちるよ。ちゃんと掴んで」
掴んだ。走った。速い。砂丘が下に流れていった。
「ね、みなくん。これ、三十分で着いちゃうよ」
「……マジか」
紫の付箋は、敵を操る術だ。暗示がかかった敵の動きを、幻術師が代わりに決める。走れ、止まれ、曲がれ、殴れ。その敵が持っている動きなら、一通り使える。
今日はそれを、戦闘以外に使った。敵を乗り物にした。トカゲの足は速く、砂の中からワームが出て、こっちを向いたときには、もう後ろだった。
砂漠のワールドは星だらけだった。僕ら二人を飲み込んでしまうような、美しい夜の空。何もない砂の地平線。変わらない景色。乾いた空気が、僕の耳を掠めるような感覚があった。
しばらく黙って走った。沈黙を破ったのはユイナだった。前を向いたまま唐突に。
「ね、みなくん。ずっと、きいてみたかったことがあるんだけど」
「なんだ」
「みなくんってさ、反射神経がものすごく良いよね」
「……」
「どんな時も、勝てる方法を見つける執着心。人の何倍かかっても、攻略しようとする粘り強さ」
「いや、それはお前も……」
「格ゲーの、元ランカー」
やはりその話か、と思った。
「そんな人が、ランキングって言葉を聞くと、声が止まる。正月の表も、SNSのランクダウンも、みるのも嫌なくせに」
前を向いたままなら、言いやすい。言われるほうも同じだ。顔が見えない。
「嫌なくせに、ちゃんと上は目指してる。毒針を取りに行って、大木に残って、蜘蛛の茶会もそう。……ねえ。みなくん?」
トカゲが砂丘を一つ越えた。星が頭の上を回っていた。
「……嫌に決まってるだろ、話すのは」
「ん。じゃあ、ボクが勝手に当てるね。当たってたら、黙ってて」
「……」
「中学の時、何かあった?」
飲み込まれている。
僕はこの雰囲気に飲み込まれている。ユイナはいつだって、分かっててそういうことをしてくる。出会ったときからそうだった。
自分をさらけ出すのが怖い。そんな僕の内側に、最初からずけずけと入ってきた。僕を油断させて、普段言わないようなクズ発言まで引き出して、しまいにはお前呼びするような関係にまでなった。どれだけ抗っても、こいつには僕の内側をぐいぐいと引きずり出される。
飲み込まれていると分かっていても、僕はユイナに話さなくてはいけない気がした。耐えられないほどの静けさ。しばらくの沈黙の後、とうとう僕は口を開いた。
「……中一のとき」
「ん」
「友達に誘われて、格闘ゲームを始めた。格ゲー。『BLADE BREAKER』って言って、みんな、ブレブレって呼んでた」
「なんか聞いたことあるかも。オンラインで出来るやつ?」
「マイナーだから、知らないと思うぞ。それにめちゃハマって、ネットの知らない人と戦いまくった。そしたら、定例大会に出てみないかって誘われて。出てみたんだ」
「ランキングが気になったんだね」
「ああ」
「強かったんでしょ?」
「いや、最初はそんなことはなかった」
「そうなの?」
「練習した。キャラクターを、自分の体の一部に感じられるほど、手に馴染ませた。そしたら、順位がみるみる上がった」
「どこまで上がったの?」
「世界で十七位、日本で四位」
「すごいね」
「俺は納得してないんだけどな。負けて終わった、って今でも思ってる。全然、これより上に上がれなくて」
「いや、十分だよ」
「そうかもしれない。けど、当時はそんなふうに思えなかった」
自分の声が震えていた。
「……孤立、してたんだね」
ユイナはゆっくり間を置いて言った。
「周りに人がいなかったら、視野が狭くなってしまう。それで、自分でもよくわからない何かに執着してしまうことって、あると思う」
「お前にも、そんなことがあったのか」
「ん? ボクのことはいいよ。今は、みなくんの話でしょ」
VRサーガでは、踏み込みすぎるな。誰が言い出したのかわからない、このゲームのマナーが邪魔に感じられた。
「順位が上がると、どんどん妬まれて、友達だと思ってたやつが、敵になる。学校にも行かなくなってた。俺はそうやって一人になっていった」
「ん」
「もっとやらないといけない。順位を落としたら終わりだ。ランキングが下がったら、誰も俺に興味を持たなくなるって」
ユイナの肩は小さく震えていた。
「怖かったんだ。トップランカー、って呼ばれる頃には、ずっと怖かった。夢の中までランキングが追いかけてきて、寝れなくなった」
「だれかに、助けてもらえなかったの?」
「そういう人は、いなかったかな」
「そう」
「そのまま突っ走って、中二の冬に、心が折れた」
後ろ姿のユイナは、まだ何かを考えているように見えた。しばらく黙って、トカゲの足音だけを聞いていると、ユイナがまた質問をしてきた。
「……ねえ。みなくん。本当にそれっきりなの?」
「それっきりだ」
「でも、毎日VRサーガにいるし。ランキングも、嫌だ嫌だと言いながら、それでも気になってる」
「……」
「本当は、上を目指したいんじゃないの?」
「それは――」
「目指すんでしょ?」
分からない。分からないけど、なんとなく口からこんな言葉が出てきた。
「無我夢中で上を目指している時の自分が、『本当の自分』な気がするんだ」
意外だった。
そんなことを思っていたなんて、自分でも理解できていなかった。口に出して、それで僕がそういう人間なんだというのを、自覚させられたような気がした。
ユイナの背中が、こっちに寄りかかってきた。
「そっかー」
軽いリアクションだった。今までの真面目な空気が、嘘のようにほどけた。この時ばかりは、ユイナが何を考えているのか分からなくて、この星空の遠くからやってきた、宇宙人のように見えた。
なのに、背中を預けてくるこいつは、年下の可愛い女の子にしか見えなかった。
「あ。みなくん、手、震えてる」
「……寒い」
「VRだよ」
「……寒い」
「ふーん」
トカゲがもう一つ砂丘を越えた。越えた先に遺跡があった。
三十分で着く、とユイナは言っていた。手元の時計を見た。乗ってから、一時間ほど経っていた。
「……お前、遠回りしたな」
「してない」
「してるだろ」
「んふふー。星がきれいだったから」
トカゲの背中から、二人で降りた。降りた瞬間に暗示が解けた。トカゲは一度だけこっちを向いて、走って消えた。三秒だった。
砂の上に立つと、足が重かった。聖騎士の足に戻っていた。
「クエスト、終わり」
「……終わりだ」
ユイナは、遺跡の入り口に腰を下ろした。星が、砂漠の上にまだ全部あった。走っていた間、ずっと見上げていた星だ。止まって見ると、少しだけ遠かった。
「ね」
「なんだ」
「本当の自分になるってことは、辛くて、怖くて、苦しいことばかりだと思う。けど、その方がみなくんは、イキイキしてるなって」
慰めではなかった。前を向いていたときと同じ、平らな声だった。平らな声で、いちばん痛いところを、そのまま言われた。
「……そうだな。うん。もう逃げるのはやめよう、って思えるようになった。お前、本当に不思議なやつだよな」
心の中にあった矛盾が解けて、清々しい気持ちだ。
VRサーガにはクリアはない。あるのはランキングだけだ。
ランキングが嫌いだと言いながらも、僕はこのゲームに来てしまった。ランキングを背負うギルドマスターも、猫の手が欲しいとか言い訳しつつ、本当はやりたくてやっていた。また挑んで、取り戻したかったのだ。本当の自分を。
「みなくんは、いっつも苦しそうにしてるよね。それでも、頑張ろうとしてるの、ステキだと思うよ。そういうの、かっこいいなって思ってみてた」
「そうなのか?」
「そうだよ。また孤立しそうな時、今度はボクが隣にいるね。そしたら、ちゃんと乗り越えられるから」
それから、ユイナは、こっちを向いた。
「手伝わせて。本当の自分になりたいってやつ。ボクはみなくんの手だから」
逃げるのはやめだ。言い訳もやめだ。
僕は再び、上を目指す。本当の自分になる。本当の自分であり続けるために、どんな困難も乗り越える、そう決めた。




