【クエスト】ティータイムの二人と、何も起きない付箋
「ねえ、みなくん、みて。アステルちゃんかわいい! 声がとってもかわいい!」
五月十六日、土曜日の夜。のらねこラウンジの壁で、アステルが喋っていた。
ユイナが、手元のパネルを壁のプロジェクターに繋いでいた。いつもの映画がいったん消えて、幻術師のバーチャルアイドルが、ダンジョンの入り口でこっちに手を振っている。
「はい、こんばんはー! アステルです!」
明るい、地声の女の声だった。
「ね、みなくん。この声、かわいくない? みなくんの声より、かわいい」
「当たり前だろ」
ラウンジは、大木の翌日から騒がしいままだった。その騒がしさの中で、ユイナの声は一際目立った。
「これもみて!」
動画が切り替わった。聖騎士が盾で受けて、幻術師が敵に張り付く。無音の十五秒。僕らだった。
「けっこう、見られてるね」
再生の回数が、画面の隅に出ていた。二週間前に見たときの、三倍になっていた。
「幻術師って、ちょっとずつ、名前が知られてきてるんだよ。この人のおかげで」
「毒針RTAは、な」
「ん。客寄せパンダ」
毒針RTA。VRサーガのプレイヤーの間で作られた、幻術師の鉄板プレイスタイル。これがアステルの名を広めた。アステルがWeTubeで運営する人気急成長中のチャンネルは、同時接続数が平均八十を超えた。
ユイナの目が、壁から入り口へ動いた。
「みなくん、来た」
二人だった。頭の上の名前の横に、青色に染まったギルドの印。蜘蛛の茶会。
先に入ってきたのがエナリ。もう一人は、少し後ろを歩いていた。名前はトキワ。エナリより背が高くて、口数が少なそうな男のアバターだった。
エナリが、カウンターのイチゴに手を振った。イチゴが手を振り返した。一週間前の結婚式には、彼女がこの二人を招待したようだ。
二人は、こっちに向かって歩いてきた。
「待たせた」
「いえ。……来ていただいて」
「今日は、こちらこそ」
二人にはギルド合同クエストに誘われていた。ただ、向こうのギルドの中がごちゃごちゃしていて調整が難しいらしく、まずは、あくまで個人としてパーティを組んでみることになった。
四人パーティは、去年の十一月、蜂狩りの最初の三日間以来だ。
パーティ登録の画面を開いた。僕は四人目の招待を送った。
「みなくん。イチゴさんに、招待、飛んでる」
「……取り消した」
さっき二人が手を振り合った方向に、なぜか指が動いていた。取り消して、トキワに送り直した。エナリが、笑わずに待っていてくれた。トキワは、何も言わずに、僕の手元を眺めていた。
登録が通って、二人のステータスが、頭の上に出た。
レベルが、僕らより五つ上だった。
五つ。レベルは上がるほど上がりにくくなる。三十を超えてからの五つは、二十のときの五つとは重さが違う。とてつもない差に見えた。
「今日は、教えを乞いに来ました」
エナリがそう言った。
「うちは、幻術師と組んだことがない。あの動画の動きを、実際に見せてほしい。……必要であれば、手伝います。不要であれば、お二人の邪魔にならないよう見ています」
腰が低かった。鼻にかけるところが、どこにもなかった。トキワは、隣で黙って頷いていた。
ランキングの上から八つの常連が、二人しかいないギルドに頭を下げていた。幻術師は、攻略wikiに縛りプレイと書かれているジョブで、去年の秋には、うちでいちばんのお荷物だった。
wikiの内容には今でも更新がない。毒針RTAを除いて。嬉しいより先に、変だと思った。教わる相手を、間違えていないか?
「分かりやすいクエストがいいですよね。……ゴブリン殲滅で」
「お任せします」
僕はポータルを開けた。行き先はゴブリン殲滅。うちのいつもの遊び場でもあり、アステルが幻術師というジョブを有名にした場所でもある。
ダンジョンの入り口で、ユイナが毒針を構えた。
「じゃあ、最初はピンクの付箋。ボクが刺して貼って、みなくんが走ります。お二人は、ついてきてください」
「ついてくる、だけですか」
「ついてくるだけです。……たぶん、それしかできないです」
ユイナは、丁寧語でそう言った。知らない相手のときの声だ。言い方は柔らかくて、中身は柔らかくなかった。
走った。
僕が挑発を撃って走る。集まってきたゴブリンソルジャーの背中に、ユイナが後ろから毒針を刺す。刺して、ピンクの付箋を貼る。貼られたゴブリンが、ふらふらと僕らの後ろについてくる。ついてきたまま、毒で倒れていく。
止まらない。一匹かかるごとに、次の一匹が速くかかる。
「はやい」
後ろでエナリの声がした。
「アステルの配信で観たものより速い!」
「うちは二人ですので」
答えたのはユイナだった。刺しながら答えていた。
挑発に引かれて、ゴブリンのほうから寄ってくる。それを刺して、ピンクの付箋を貼って、放っておけば、勝手に倒れる。アステルの配信と違って、ゴブリンを探して回る手間がない。だから速い。
エナリとトキワは、ついてきていた。ついてきて、剣を抜いて、それで終わりだった。攻撃の動作をするには、走るのをやめないといけない。しかしそれでは、僕らの移動スピードに追いつけない。二人の剣は、ボスの扉まで、ほとんど当たらなかった。
ボスの扉の前で足を止めた。
エナリが、息を整えながら言った。
「……これが、毒針RTAか」
「はい。アステルさんの、客寄せパンダです」
答えたのはユイナだった。丁寧語で、さっきと同じことを言った。幻術師を有名にした、毒針RTAなんて呼ばれ方をする道中の攻略法。これを生で見た人は、そんなに多くはないはずだ。
トキワは扉を見ていた。ボスの部屋に続く扉。
半年前、ここで僕とユイナは、ギルドメンバーから役立たず扱いを受けた。あのときの僕らは、雑魚のゴブリンすらも倒せなかった。それが今は、このクエストのクリアタイムランキングで一位だ。二位はアステルのギルド。上の二つがどちらも幻術師の組とは、なんとも皮肉なものである。
しかも、その時のパーティメンバーの一人、たけのこが移ったばかりのギルドから、教えを乞われている。たったの半年だけど、あのときに感じた悔しさ、絶望感が、ずいぶん昔のことのように思えた。
「ボスは、普通に青の付箋でいく」
「ん」
扉を開く。
ユイナは毒針を外し、鉄杭を構えた。毒だと簡単にボスが倒されてしまう。今日はそれが目的ではない。
扉が開いた。ホブゴブリンが広間の奥にいた。普通のゴブリンの倍はある。棍棒を肩に担いでいる。
「真名、ガルザ・ボルグ。ラポール80%。青の付箋は、十秒」
挑発を撃った。こっちを向いたホブゴブリンの背中にユイナが回って、鉄杭が刺さって、青い付箋が押し当てられた。
「じゅう! きゅう!」
棍棒が来た。盾で受けた。もう一発。受けた。十秒は、受けるだけの十秒だ。
「さん、に、いち、ゼロ! 暗示かかった!」
頭の上に、次のアクションが出た。
「ハートの7!」
剣の先を、正面の胸の高さに出した。触れた。止まった。棍棒が途中で止まって、返報の剣が勝手に返した。数字が飛んだ。
棍棒が戻りきる前に、次が来る。速い。
「ダイヤ6! スペード5! ダイヤ5、7、5! スペ8! ダイ4、5!」
ユイナの早口が降り注ぐ。敵の棍棒が素早く振られるたびに、剣の先が、棍棒より先に届く。届くたびに返報の剣が返す。ホブゴブリンのHPバーが、ゴリゴリと減っていった。
最初の十秒、エナリとトキワは、横から斬りつけていた。暗示がかかってからは、二人とも剣を止めて、こっちを眺めていた。
「……そんなに速く、攻撃のアクションが打てるのか」
トキワが、初めて口を開いた。
打てる。攻撃をキャンセルするたびに、返報の剣が返す。溜める必要がない。振られた分だけ、返る。それだけだ。
二人は剣を下ろした。自分たちの手が要らない、と分かった手の下ろし方だった。
ホブゴブリンのHPバーが、一割になった。
「ユイナ。倒すな。一割は、残りの付箋を見せる分に使う」
「ん。……黒の付箋、貼る」
トドメは刺さなかった。ユイナは黒の付箋を書いて、貼った。
「じゅうご! ……ゼロ! かかった!」
ホブゴブリンの目が、潰れた。
棍棒が、見当違いの方向に振られた。振って、空を叩いて、また振る。必死だった。必死で振り回している棍棒が、僕の顔のすぐ横を掠めた。
僕は剣を下ろした。下ろしてゆっくり言った。
「うちは、こんな感じです」
棍棒が、もう一度、顔の横を通った。風だけが頬に当たった。
エナリが口を開けていた。
「……全く、見たことがない」
「wikiにも、なかったです。……たぶん」
「これは、自分たちで編み出したのか?」
「編み出したというか。……こいつが刺して、僕が受けて、そのうち、こうなりました」
「他には、どんな付箋があるんだ」
質問が止まらなくなった。
黒の付箋は四十五秒で解ける。解ける前にユイナが貼り直す。その繰り返しの上で、僕は一つずつ答えた。白の付箋、赤の付箋、黄の付箋、紫の付箋。付箋ごとに、聖騎士が何をするか。盾で受ける。走る。
一時間、それを続けた。さすがに、全員が飽きてきた。ユイナの貼り直しが少しずつ雑になり、エナリの質問の間隔が少しずつ空いた。トキワはずっと黙っていた。
「……最後に、一つだけ」
僕が言った。
幻術師の術は八つある。七つは、いま見せたか、口で説明した。残りの一つは名前がない。
スキルツリーに、その術は、名前も説明もなく載っている。使うと緑の付箋が出る。貼っても何も起きない。攻略wikiには「効果不明」の四文字だけがある。掲示板では、rjという人が「プラセボ」と呼んだ。効かない薬、という意味らしい。
得体が知れなかった。だから避けてきた。二人のときに、何が起きるか分からないものを試す余裕は、なかった。
今日は四人いる。レベルが五つ上の二人がいる。
「緑の付箋。……試したこと、ないです。試して、いいですか」
「どうぞ」
何が起きてもいいように、エナリとトキワが剣を構え直して、少し下がった。
「ユイナ。黒の付箋が解けたら、貼れ」
「ん。……解けるよ。三、二、一」
黒の付箋の暗示が解けた。ホブゴブリンの目が戻った。戻った目がこっちを向いた。
ユイナが、緑の付箋を、その背中にぺたっと貼った。
「……三秒?」
ユイナの声が裏返った。
「短すぎる。……さん、に、いち、ゼロ。かかった」
三秒で暗示がかかった。十秒の青の付箋より、十五秒の黒の付箋より、ずっと短い。
何も起きなかった。
ホブゴブリンは目が見えていた。口も塞がっていなかった。暴れてもいなかった。いつものホブゴブリンだった。いつものホブゴブリンが、いつもの棍棒を、僕に振ってきた。
盾で受けた。受けながら、頭の上の状態表示を眺めた。暗示がかかっている、とだけ出ている。術の名前の欄は空だ。それだけだ。かかっているのに、何も変わらない。
「……これ、実装漏れなのかな」
僕がそう言った。
運営は、幻術師のことを一度も説明していない。発売から一ヶ月でこのジョブは選べなくなり、理由も公表しなかった。名前のない術は、一年近くそのままだ。作り忘れた、と言われたら、そうかもしれないと思う。
「普通は、そんなものを、そのまま消さずに残さない」
トキワだった。
剣を構えたまま、ホブゴブリンではなく、頭の上の緑の表示を眺めていた。
「ちゃんと意味があるから、残す。本業プログラマーの僕だったら、ここに、イースターエッグを仕込むかもしれない」
「イースター?」
「イースターエッグ。隠し要素。作った人間の遊び。見つけた人間だけが、見つける」
棍棒がまた来た。少し掠った。
あまり、よく分からなかった。分かったのは、トキワが冗談で言っているのではないことだけだ。
ユイナが、ホブゴブリンの背中から言った。
「みなくん。これ、解いていい?」
「……解け。青の付箋で、終わらせる」
「ん。十秒」
ユイナが白の付箋を貼った。その後、青い付箋が同じ背中に貼られた。十秒、盾で受けた。かかった。ハートの7。止めて返す。一割は三十秒で消えた。
ホブゴブリンが倒れた。
広間が静かになった。
「……ありがとう。また礼をさせてほしい。今日は、ここで」
エナリがそう言った。トキワが頭を下げた。二人はその場でポータルを開けた。僕らもその場で開けた。現地で解散、というやつだ。
イースターエッグ、という言葉だけが、帰りのポータルをくぐったあとも、頭の中に残っていた。




