↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/31

1周年イベント、ボイチェンのおっさんを探していたら美少女がいた(1)名札の絆創膏

 一睡もできなかった。


 七月二十五日、土曜日の昼。秋葉原のイベント会場の、受付の前。ここで待ち合わせる、と先週決めた。決めたのは僕で、相手は番号も教えてくれなかったから、目印は名札しかない。


 三十分、立っていた。さっきからあくびが止まない。


 VRサーガの一周年イベント。ゲームの中の連中が、一日だけ、ゲームの外に集まる。受付でもらった名札を、紐で首から下げる。「みな」「ねこのて」。ゲームの中なら頭の上に出ている名前を、ここでは胸にぶら下げて歩く。


 ボイチェンで女の声を作っている男。二十代か三十代。眼鏡か、髭か、その両方。そういう男が「ねこのて」の名札を下げて、受付の前に来るはず。いや、そうだったらいいなと思い、辺りを眺めていた。


 受付の前を、そういう男が何人も通った。通るたびに胸の名札に目をやった。全員、別のギルドだった。一人、名札を下げていない眼鏡の男がいて、声をかける寸前で、やめた。汗が背中を伝った。七月の昼で、会場の外は暑かった。


 隣に女の子が立っていた。


 気づいたのは十分くらい前だ。誰かを待っている顔で壁に寄りかかって、たまにこっちを向く。名札は見なかった。女の子の胸を覗き込む勇気は、僕にはない。


「みなくん」


 知らない声だった。


 知らない声だったから、返事をしなかった。みな、という名前の人間は、ここに何人いてもおかしくない。


「みなくん。名札、裏」


 胸に目を落とした。名札が裏返っていた。白い紙の裏側が、三十分、外を向いていた。


「……裏だった」


 言ってから、誰に言ったのかに気づいた。



 隣の女の子が、こっちを向いていた。目が合った。


 幼いが整った顔立ち。線が細い体。パッチリとした瞳。周りが思わず振り向くぐらいの美少女がそこに立っていた。


 名札が見えた。「ねこのて」。名前の欄には、肌色の絆創膏が一枚、斜めに貼ってある。


「リアルでは、はじめまして、だね」


 声は知らない。言い方は知っていた。語尾の少し伸びる癖、言い終わってから一拍おいて笑う間。八ヶ月間、毎晩聞いてきたやつのままだった。音だけがまるで違った。


「……あっ、はい。はじめまして、みな、と申します」


 それしか出なかった。


 背は僕より低い。黒い髪は肩の下まで。それ以上は見ていられなかった。目が名札の絆創膏に戻る。戻れる場所が、そこしかなかった。


「ほら、言ったでしょ。わたし、リアルだとけっこう美少女だって」


 わたし、と言った。ボク、ではなかった。それ以外は、何も変わっていなかった。


「……ごめんなさい、ちょっと待って……ください。今、処理してます」


「ん。処理、どうぞ。……わたしもね、けっこう緊張してて、あんまり寝てないの。本当に会うと思ってなかったから」


 一睡もできていないのは、こっちだ。おっさんであることを、一週間も願ってきた。願ったものは来なかった。


 言いたかった。どうしても言いたかった。


「ほらやっぱりな。こんなにかわいい女の子が、リアルで女をやってるわけが、絶対に……」


 言いたくても言えなかった言葉が、寝不足の頭からこぼれ落ちてきた。


「絶対に、なに?」


 絶対にない! お前は男に決まっている! そう言いたくても、目の前にいるのは誰が見ても女だった。


「んふふー。言えないんだ」


 んふふー、まで知らない声で、それでも、んふふー、だった。


「……名札、裏なのに、なんで僕だって分かったんですか」


「三十分、おじさんの胸ばっかり見てる男の子がいたから。……みなくん、名札なくても見つかるよ」


 八ヶ月間みてる、と先週言われたのは、こういう意味らしかった。


「ええっと、その……ほんとに、女の人、だったんですね」


「んー? なんで敬語なの? 今まで通りでいいってば」


 今まではおっさんやガキだという設定で良かった。おっさんやガキに向かって使っていた口調を、目の前の女の子に向けようとしたら、出てこなかった。


「声は」


「ん」


「……声、その」


「この話は、あとで。ちゃんとする。……先に、中、入ろ」


 入り口で、ユイナが僕の名札に手を伸ばした。裏返っていたのを、表に返した。


「みなくんは、表でいいでしょ。隠すの、わたしだけで」


 それにしても、少し高くて透き通った綺麗な声だ。ボイチェン、なんでやってるんだ? 一番いいところだけ、どうして変えた? きんたまもペンギンもそのままでいいから、そっちを戻せよな。


「ん? みなくん、どうしたの? はやく行かないと邪魔になるよ」



 会場は、ホール一つだった。奥にステージとでかいスクリーン、手前に物販の列。人がいっぱいいて、全員が名札を下げて、全員が、アバターとは違う顔をしていた。誰も、誰のことも、頭の上の名前では探せない。だから、みんな、胸の名札を覗き込んで歩いていた。


「それ、なんでなんですか」


「ん?」


「絆創膏。名前のところです」


「恥ずかしいの、この名前。リアルで、名札にして下げるのは」


 みなのて。ねこのてから二文字変えた、みなのて。ギルドのランキングは47位まで上がり、知名度もそこそこついて、ゲーム内では公認カップルの名前として通っている。リアルで、名札にして胸にぶら下げて歩く名前ではない。言われてみれば、そうだった。


「あと、あんまりみられたくないし」


 SNSでは、二番目に有名な幻術師、と書かれている。一番目はアステル。二番目がみなのて。名前を隠しても、ギルド名は隠していない。


「ギルド名、出てますよ」


「ん。それはいいの。ねこのては、みなくんの名前だから」


 どういう理屈なのかは分からなかった。


「隠すなら、もっと良い方法があると思うのですが」


「なかったの。カバンに、これしか入ってなくて」


 そう言って、絆創膏の端を指で押さえ直した。すれ違った男の人の目が、その絆創膏を一度なぞって、僕の名札に移って、離れた。名札を覗き込むのは、ここでは全員がしていることだ。


「てか、なんでさっきからわたしに敬語なの? なんか、いつも他の人にやってる、オドオドしている雰囲気」


 そうだよ。目の前にいるのが、ユイナではなく、ただの美少女にしか見えてないよ。これ、慣れるのか?


「みな」


 後ろから呼ばれた。今度は男の声だった。


 振り返ると、僕より年上の、普通の男の人が立っていた。名札に「たけのこ」「ティータイム」。


 たけのこだ。うちの最古参で、蜂狩りの途中で抜けていった、たけのこ。そのとき移ったギルドからも、もう一度移っていた。ティータイム。みんなが蜘蛛の茶会(ティータイム)と呼んでいる、あのギルドの正式な名前だ。


「……たけのこ」


「さっき名札が見えた。お前、顔はぜんぜん想像と違うな」


「そっちもだ」


 剣士のアバターは、背の高い、無口な男だった。目の前にいるのは、普通の、少し疲れた顔の人だった。VRの中で肩を叩いていた手が、リアルでも肩に乗った。乗ったら重かった。


 しばらく、どうでもいい話をした。会場が暑いこと。物販の列が長いこと。その間、たけのこは一度も「ねこのて」の名前を口にしなかった。


 それから、僕の隣に目を移した。絆創膏の名札で少し止まった。


「で、そっちが」


「ペンギンです」


 ユイナが先に言った。丁寧語だった。知らない相手のときの、いつもの口調だ。同じギルドにいた相手にも、その口調で言った。


「……ペンギン」


「はい」


「お前、女だったのかよ。しかも、めちゃくちゃかわ――」


「今日、知った」


 僕が言った。たけのこが、僕とユイナを見比べて、それから、少しだけ笑った。笑ってから、肩の手に力が入った。


「あの大木討伐に参加したメンバーから聞かされたよ。……あのとき抜けて、ごめんな」


「いいよ。行けって言ったのは、僕だ」


「言われて、行った。行って、後悔した。……蜂をやらされてた二人が、大木を落としたって聞いたとき、俺、何やってたんだろうって思った」


 ユイナは何も言わなかった。よそ行きの顔のまま、黙っていた。


 たけのこは、一度、息を吐いた。吐いてから、いつもの調子に戻った。


「なあ、お前らは結婚しろ」


 ユイナの顔が赤くなった。


 赤くなるのを初めて見た。VRでは、顔は赤くならない。声が止まるか、平らになるか、それだけだった。いまのこいつには、赤くなる顔があった。


「ええっ? 惚れてるのはペンギンのほうなの? 意外すぎる組み合わせだな。お前ら」


「や、やめて……ください……」


 取り乱すユイナの顔を、たけのこはまじまじと覗き込む。


「VRサーガには結婚というシステムはない。でも、結婚式を挙げれば、周りはお前たちをペアと認める。ギルドは片方だけ連れ出せなくなる」


「そうなのか?」


「VRサーガは、そうなってしまった。ほら、のらねこラウンジにいたあの女、イチゴだっけか? あいつは結婚してしまったから、誰も単独では誘えない。腕が良くて有名な剣士なんだぞ」


 知らなかった。あのラウンジにいる他の客を、僕は何も知らない。デスペナルティが強烈なVRサーガでは、ギルドは人数より質を求める。引き抜きも多いし、それで引き裂かれてしまったカップルもいる。結婚の意味合いもそれだけ大きい、ということか。


「なあ、お前ら結婚してうちに来いよ。そうすれば、どちらかを脱退させるのはナシだ。お前らは必ずペアでいられる。それなら文句はないだろ」


「……うち、って」


「蜘蛛の茶会(ティータイム)だ」


 僕らがギルド合同クエストに誘われている、あの有名ギルド。現在7位。


「マスターから、伝言がある」


 たけのこは少し姿勢を正した。誰かの言葉を、そのまま運ぶ姿勢だった。


「ウチは十八人しか取らない。トップを目指しているから、精鋭のみを集めているのです。……あなたたち二人の席なら、作ります」


 マスターのSPIDER325は、ガチ勢として有名だ。毎日朝から晩までログインしている。学校に通いながらプレイしてきた僕らが、そのレベルに、あと4まで迫っている。


 世界7位のギルドが、十八人の枠に二人の席を作る。それだけ幻術師が欲しいのだ。


 返事が喉で止まった。


 隣で、ユイナが息を吸った。五月のときは、ここで、ユイナに先に言われた。


「……席は、いらないです」


 僕が言った。ユイナの息が、吸ったまま止まった。


「うち、二人で足りてるんで。……ありがとうございます、って、マスターに伝えてください」


 たけのこは、しばらく僕を眺めていた。眺めてから、肩の手を離した。


「……変わったな、みな」


「そうだな」


「エナリから、ゴブリンの話は聞いてる。合同は、また誘うからな」


 それだけ言って、たけのこは人の中に戻っていった。


 ユイナが、僕のほうを向いていた。赤い顔のまま。


「みなくん、いま、自分で言った」


「……言いました」


「五月は、わたしが言ったのに」


「お前……、ユイナさんが言いました」


「ん。あと、敬語やめて」


 お前、が出かけた。ユイナも気づいていた。何も言わなかった。顔の赤みが少しだけ引いた。


 ステージの照明が変わって、会場の全員がスクリーンを向いた。アステルの一時間チャレンジ。幻術師の配信者が、個人向けのゴブリン殲滅を一時間で終わらせる企画だ。本人は会場にいない、と司会が言った。スクリーンの中で、女の子のアバターが毒針を刺して、貼って、走る。ゴブリンソルジャーが後ろをふらふらついてくる。ピンクの付箋(チャーム)だ。


「……刺し方、雑」


 小さい声でユイナが言った。


「刺し方なら、どっちも変わらない」


「わたしは、みなくんが止めてるから、雑でいいの」


 五十二分で終わった。会場が沸いた。うちの記録は三十九分五十秒。四人向けのやつを二人で出した数字で、個人向けとは比べるものじゃない。比べていた。ランキングが嫌いな男が、会場の隅で、頭の中で順位をつけていた。


 ユイナは拍手をしなかった。手を名札の絆創膏に当てたまま、スクリーンを眺めていた。


「一番目と、二番目」


「……え?」


「SNSで、幻術師の知名度。一番目があの人で、二番目が、わたしだって」


「そう、ですね」


「ん。二番目でいい。……二番目には、みなくんがついてるから」


 絆創膏の下には、そういう名前が隠れていた。



 外に出たときは夕方だった。名札は出口で返した。ユイナは、絆創膏を貼ったまま箱に入れた。


「みなくん、無理しなくていいよ。とりあえずお腹すいたから、ご飯食べに行こ」


「……あ、はい」


 処理は、まだ終わっていなかった。終わっていないまま、歩き出した。


 袖を引かれた。


 海灯祭の砂浜で引かれたのと、同じ袖だった。VRでは、引かれても何もなかった。引かれた、と分かるだけだった。



 ここでは、袖が本当に引っ張られていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。