【レイド】無限回復する大木を、初討伐せよ(6)初討伐、とれた
僕のHPバーは、ゼロの一つ手前で止まっていた。自然回復で、なんとか持ち堪えた。
起き上がれなかった。起き上がるより先に、腕の中の重さを確かめた。VRだ。重さなんてない。ないのにあった。
ユイナはそこにいた。
ユイナのHPバーが赤かった。赤いまま、止まっていた。ゼロじゃない。一割もない。でもゼロじゃない。
大木が倒れた。
地面が揺れて、砂埃が上がって、それから、消えた。森から、大木が消えた。枯れて倒れていた木だけが、残った。
「んんん……みなくん。酔いがひどい。起き上がれない」
声がした。ボイチェンの、つるっとした音のクセ。アバターの顔色は変わらない。声だけが、体のひどさを知らせていた。
「わかってる。起きなくていい」
「ん。起きない」
足音が寄ってきた。三人だった。
「……とれた。初討伐、とれた」
レイラだった。小さい声がまだ泣いていた。四百人のギルドが、一度も取れなかった記録だ。
僕は、ユイナを抱えたまま、体を起こした。三人が、こっちを見ている。さっきの叫びを、三人とも、聞いていた。
言うことは決まっていた。早く、横にしてやりたかった。
「レイラさん、クスノキさん、ヒノキさん。今日はありがとうございました」
僕は深く頭を下げた。とにかく長く頭を下げ続けた。
「僕に対して色々言いたいことはあると思います。どんな不満や文句も全て受け止めるつもりです。ただ、すみません。僕たちはここで解散させてください」
誰も止めなかった。クスノキとヒノキは、何か言いかけて、やめた。レイラは、まだ、こっちを眺めていた。
「……みなくーん、立てなーい。だっこー」
いつもの、ふざけた声だった。声はふざけていて、HPバーは赤いままだった。ふざける分の声しか、残っていないらしい。
両手で、ユイナを抱き上げた。指のある手が、僕の首に回った。回っただけで、それきり動かなかった。
「重い」
「VRだよ?」
「重い」
それきり、声はなかった。首の手に、少しだけ力が入った。
ポータルを開けた。行き先は、のらねこラウンジ。開けてから気づいた。盾と剣。どっちも落としたままだ。
三人の前を、ユイナを抱えたまま、歩いて戻った。ヒノキが先に拾った。差し出しかけて、僕の両手を見た。
「……塞がってんな。ストックに入れとく」
視界の隅に、二つ分の表示が出た。盾と剣が、僕のアイテムストックに入った。
「……すみません」
「いいよ。……お前ら、何者?」
「ねこのてです。いつもこんな感じなので、お気遣いなさらないでください」
僕が答えた。腕の中は黙っていた。それでヒノキは下がった。
レイラが、最後にもう一度、口を開いた。
「ユイナがこの子のなまえ? みな、ユイナ、ありがとう」
レイラも、さっきの叫びを聞いていた。腕の中で小さく頭が動いた。頷いたらしい。声は出なかった。
「……はい。こいつが、ユイナです。こちらこそ、ありがとうございました」
僕が答えて頭を下げた。それしかできなかった。
三つのギルドの名前で、記録に載る。ねこのても載る。正月のランキングの表とは、桁違いに有名な場所へ。嫌だ、と思う分の力も、もう残っていなかった。
ポータルをくぐった。
のらねこラウンジ。
客はいなかった。しろねこはカウンターで、映画を眺めていた。今日も、いつものつまらない映画だ。壁の中では、宇宙ステーションの窓の外で、海しかない惑星がゆっくり渦を巻いている。
「おかえり。……抱えてるね」
「寝かせる」
奥のソファーに、ユイナを下ろした。ユイナは横になった。女の子のアバターが、手足を投げ出して、天井を向いた。
「起き上がれない。まだ目が回ってる」
「喋るな。寝ていろ」
僕は、ソファーの前の床に、座った。座ったら、立てなくなった。
手元のパネルを開いた。公式の掲示板の、いちばん上に、もう出ていた。無限回復する大木、初討伐。三つのギルドの名前。その三つ目にねこのて。
閉じた。閉じてから、もう一度開いて、もう一度閉じた。
「みなくん、いま、開いて閉じたでしょ」
「……開いてない」
「二回」
天井を向いたまま、パネルの音で、ユイナはまだ数えていた。
ユイナは動かなかった。ほぼ四時間、あの激しく動く大木の根にしがみついていた。僕が盾で高く打ち上げて、落として、また打ち上げた。百回以上だ。降りてくるたびに膝の沈みが深くなっていたのを、僕は見ていた。見ていて、それでも次を打ち上げた。HPは薬瓶で戻る。回っている頭は戻らない。
「ユイナ、本当にすまない。こんなになるまで、無理をさせた。俺が間違ってた。やっぱりあの時、引き返すべきだった」
ロクロに「あなたの話には興味がない」と言われて、悔しいと口にしたあのとき、こうなることは分かっていた。分かっていたけど、それでもやりたいと、無理を通したのは僕だ。
ソファーの上で、ユイナが、こっちに顔を向けた。
「そんなことない。受けてよかった。みなくん、本当に凄かった」
「……褒めれるところなんてない。とても情けない」
「でも、勝ったんだよ」
「あんなの、たまたまだ」
「たまたまなの?」
「あんなの運任せだ。勝てる戦いじゃない。俺の強がりにみんなを巻き込んでしまった」
「でも、勝つために動いたのはみなくんだよ」
「あんなのは、実力とはいえない」
「みんな、みなくんに心を動かされて頑張った」
「そんなこと――」
ユイナは空気を読まず、話を遮った。
「ねえ、そんなことよりもさ」
「なんだよ」
「ボク、ちゃんとみなくんの手になれてた?」
「え?」
「みなくん。ボク、最後までちゃんとやれてた?」
自分の体のことは、一つも言わなかった。
「……百点だ」
「ん。百点、もらった」
それだけで、ユイナの顔がゆるんだ。
「盾も剣も捨てて、走ってきた。ボク、落ちながらみてた。三人の前で、ボクの名前、叫んだ」
指のある手が、ソファーから、こっちに伸びてきた。床に座っている僕の頭に、届いた。
「みなくん、今日は頑張ったね。かっこよかった。……よし、よし」
ユイナの手が頭の上で動く。震えながら。
手を払った。
「そういうのはいいから、無理をするな」
「ボクがしたいんだよ?」
「いらない。お前は休め。それに、今日の俺に褒めるべきところは何もなかった」
「みなくんは、いつもそうやって自分を責めているよね。頑張り屋さん。みなくんも、今日は百点」
いつもこいつに甘えてばかりだ。こんな時でも、いつものユイナとして振る舞おうとしている。
「……」
「ちぇー、今日は釣れない子なんだね……」
カウンターに目をやった。しろねこはいなかった。映画だけが壁で続いている。
壁の中で、男が狭い部屋のベッドに横になって、目を閉じた。
ほんの一分もしないうちに、ユイナから寝息が聞こえた。寝たらしい。三半規管はとっくに限界を迎えていたのだろう。ユイナの寝顔に、そっと手で触れてみた。ほんのりと体温が感じられる。
ユイナ、と呼んだ声が、まだ喉に残っていた。




