「1on1マッチング - パンドラ」で引き当てたのは、醜悪な顔のペンギンだった(1)パンドラ
二〇二五年の十一月二日、日曜の夜。僕は、出会い系みたいな場所のロビーで、「マッチング開始」のボタンの前にいた。
『1on1マッチング - パンドラ』。
VRサーガの中にあるワールドだ。個室に二人のユーザーを呼び出し、会話させ、五分が経つと相手を強制的に別の人へと変える。お互いがハートマークを押せば時間が延長される、という仕組みだ。
分かっている。周りもいかがわしいと言っている。ネットで誰かと出会うといえば、男女のそういう目的以外はありえないと。
僕もそう思っていた。だから、ボタンの前で五分間、押すかどうか迷っていた。押していいのか。本当にこのボタンを、僕は押してしまっていいのか?
弁解させてほしい。僕の目的はそっちではない。
僕がマスターをしているギルド「ねこのて」には、一ヶ月前まで八人のメンバーがいた。しかし今、メンバーは三人にまで減り、窮地に立たされている。
このVRゲームでは、基本的に四人でパーティを組む。三人ではどこへ行っても中途半端。ボスの前で引き返してばかりだ。あと一人。一人を勧誘できれば、僕たちはちゃんとしたパーティが組める。僕はギルマスだ。僕がなんとかしなくてはいけない。
……というのは建前で、正直、ちょっとだけ興味もあった。これでも僕は年頃の男子なのだ。
押した。
視界が切り替わって、小さな部屋に転送された。
薄暗い。間接照明だけが、壁の低いところをぼんやり照らしている。カップルのための部屋、という顔をしている。目の前に、光る輪っかが一つ浮いていて、音はない。
怖い。とてつもなく怖い。
ガラの悪い男とか、怪しい勧誘の人とか出てきたら、どうすればいいのか? とんでもない美女が出てきたりしたら、やっぱりいけないことが起きたりするのか? どうなんだ?
いろんな想像が脳裏をよぎる。そして、僕の緊張がピークを迎えると、空気が切り替わり、独特なSEが鳴る。恐る恐る顔を上げると、目の前に何者かが立っていた。
……いや、立っていた、というより、そこに置いてあった。
ペンギンだった。
着ぐるみだ。全身まるっとしたペンギンの着ぐるみ。そこまではいい。問題は顔だ。クチバシが潰れている。誰かが上から踏んづけたあんぱんみたいに、ぐにゃっと横に広がっている。目は小さい黒い点が二つ。その点が、じっとこっちを見ている。
「……んん? あの、はじめまして」
声がした。
高い、女の子の声だった。かわいい。僕の大好きな声である。ただ。
どう聞いてもボイスチェンジャー。
こいつは、男が女の子の声になるためのツールを使っている。僕の耳に間違いはない。別にそれは構わないし、なんならそんな声であっても、僕は全然いけてしまう男だ。普通の女の声よりもいいとさえ思っている。
ただこいつの場合は厄介だ。この顔とこの声は、まったくハマっていない。それがまた、たちが悪い。どう見たってふざけてやっている。僕はこいつからバカにされているのか。
僕は挨拶をすっかり忘れて、思わず感想を先に口にした。
「これは……なんて醜悪な顔をしたペンギンだ」
「ふふふ、いいでしょー?」
いいわけがない。
ペンギンの頭の上に、ネームプレートが浮いていた。誰の頭の上にもある名札だ。読んだ。読まなければよかった。
――おきんたま研究学会学長。
「なるほど。名前もなかなか良いセンスをしているな」
「ん、ありがとう。遠慮せず、きんたまって呼んでくださいね」
呼べるか。
ペンギンは小さな腕をぱたぱたしながら、あたりを駆け回っている。VRゲームでよく見る、低学年の小学生といったところだろうか。それにしてもよく動く。
目の前で繰り広げられる想定外の光景。期待を悪い意味で外してきたこの状況。僕は緊張の糸が切れ、つい文句が口から出てしまった。
「はぁーーーーー、もうなんだよ!」
ペンギンは足を止め、こちらをきょろっと見てきた。
「かわいい女の子といやらしいことができるって聞いて、やる気まんまんで1on1マッチングしに来たのに! いたのは下ネタばっかり言ってる、小学生の男子かよ」
口から出任せだった。パーティのメンバーを探しに来た、なんて、この状況で言えるわけがない。
「えっ、ボクは中学生の女子だよ?」
「はぁ? んなわけねーだろ。そもそもこのVRサーガに、リアルな女子なんていないんだよ!」
「ん? それだと一生マッチングされなくない?」
思ったより喋る。そして、痛いところを突いてくる。
「はぁぁーー、あのな! 男の子は高みを目指せば、とってもかわいい女の子になれるんだよ! 本物の女よりえっちになれるんだぞ!! なぁお前、VRサーガをちゃんとやってきたのか?」
「うわあ、女の子の前でそんなこと言っちゃうんだ。きもっ」
なんて口が悪い。
「女の子はきんたまとか言いません。このクソガキ」
心が折れたのか、僕はその場にしゃがみこんでしまった。どうなっているんだ、この謎の状況は。
「はぁぁーーーもうダメだ。やる気がなくなった……」
「ん、そんなに?」
扱いの上手い男がボイチェンを使うと、とてもかわいい女の子の声になれる。VRではたまに見かける。ただ、どれだけ上手くても、ボイチェン特有の音のクセだけは消えない。音がつるっとしていて、息の揺れがない。この声はまさにそれだった。
男が女を演じるなんて、バーチャルでは当たり前のことだ。太古の昔からオンラインゲームにはネカマがいた。VRにもなると、もはや誰が男で誰が女かすら分からないぐらいに、見た目と中身がバラバラだ。物や動物に擬態する人も珍しくはない。
けどこいつは、見た目は醜悪なペンギンで、名前はきんたまで、その上、ボイチェンの男ときた。いったいこいつは、どんな生物に擬態したかったというのか。
「お前、いったい何がやりたいんだよ。はぁ……」
視界の端で何かが点滅した。
残り三十秒。五分が過ぎようとしていた。ここでお互いがハートマークを押さなければ、次の相手にシャッフルされる。
ペンギンの前に、ハートマークがぽんと浮いた。押すのが早い。一秒もかかっていない。
僕の前にも、同じマークが浮いている。
このまま流せば、この醜悪なペンギンとは二度と会わない。次に来るのは、もしかしたら、ちゃんとした人かもしれない。
……三秒、迷った。
押した。
なんで押したのか、自分でも分からなかった。ペンギンは、やたら嬉しそうに目をパチパチしながら近づいてきた。
「もー、そんなに悲しまないでくださいよ。きんたまでも、いやらしいことができるかもしれないですよ♡」
「できねーよ。ガキに興味はない!」
「なんかごめん」
なんで謝られてるんだ。
「……もういい、俺はゲーセンに行く」
「ん!?」
「ゲームやって気晴らしする」
「ゲームなんてあるの? ボク、そんなの知らないんだけど……」
ペンギンがぴょんと跳ねた。着ぐるみのくせに、やたら跳躍力がある。
「お、ゲームがやりたいのか? やっぱガキだなー」
「ガキガキうるさいなぁ。……でもボク、ゲームはやってみたい!」
ペンギンが両手をばたばたさせて、僕の周りをぐるぐる回り始めた。近い。潰れたあんぱんが近い。
ネームプレートの隅に、レベル20、と出ていた。
僕は24。こいつは、ギルドを探していてもおかしくないレベルだ。
いや、待て。こいつをか? こんな名前のやつを、うちのギルドにか?
考えるのをやめた。
「まったく、しゃーないな。ガキの子守でもするか。ポータル開けるぞ」
「ん! 分かった」
手元のメニューから、ワールドを選ぶ。『江ノ島の夏』。半月前にできたばかりのワールドだ。ギルドがぎくしゃくしてパーティに入れなくなってから、暇つぶしにほぼ毎晩通っている。目的は、島の中にあるゲーセンだ。
目の前にポータルが開いた。ワールドとワールドを繋ぐ扉だ。くぐればもう向こうにいる。
ペンギンが、僕より先に飛び込んだ。
「あ、おい!」
人の話を聞かないやつだ。
僕もあとに続いた。
ポータルの向こうは夏の夜。
駅前のロータリー。海の匂いはVRだからしない。でも、湿った空気の色と、遠くの波の音と、道に並んだ提灯だけで、夏の夜だと分かる。花火大会の日の江ノ島を模したワールドで、いつ来ても、この夜で止まっている。
ペンギンは、もう十メートル先にいた。
「……海だ。海、あるんだねー」
「あるよ。島だからな」
「ゲーセンは? どこ?」
「島の中。橋を渡って、坂を上がって、その途中」
「遠くない?」
「文句があるなら帰れ」
「いくよ。ゲームやってみたいし」
ペンギンが、提灯の並んだ橋に向かって走り出した。着ぐるみの短い足が、ぱたぱたと動く。速い。素早さのステータスだけは高いジョブなのかもしれない。何のジョブか知らないけど。
橋の上で、ペンギンが急に止まった。
海の向こうで、花火が続けて数発上がったからだ。このワールドは、ときどき思い出したみたいに花火を上げる。
「……きれいだねー」
声が少しだけ低くなった。作り物の声のまま、それでも、少しだけ。
「そうだな」
僕はそのまま横を通り過ぎた。
「おい、行くぞ。ゲーセンは閉まらないけど、俺が寝る」
「……あ、置いてかれた」
ペンギンが追いついてきて、また追い越していった。
坂道の途中に、古い木造の家が見えてくる。看板も何もない。知らなければ素通りする家だ。




