【クエスト】狂った群れに、ギルマスが噛まれ続ける
遠吠えが、一つ、二つ、重なって聞こえた。
「黄の付箋。敵が見境なく暴れる。……見境なく、だからね、みなくん」
念を押された。三月一日、日曜日の夜。枯れた森の入り口で。
牙狼の群れ。攻略wikiには、四人推奨と書いてあった。推奨レベルは、今回は僕らより少しだけ高い。一匹ずつは弱い。ただし群れで囲んでくる。囲まれるな、群れの長を先に落とせ。それだけだ。
「みなくん、囲まれるなってwikiに書いてるけど、ボクたち敵を撹乱できるほど人数がいないよ? どうするの」
「大丈夫だ。俺に考えがある」
群れの一匹に黄の付箋の暗示をかける。暴れた一匹が、隣の一匹に噛みつく。すると、その狼も暗示にかかりやすくなる。これは正月のイベントにいた、狛犬のときと同じだ。
暗示にかかりやすくなった狼にも付箋を貼る。そうやって群れごと狂わせる。狂ったところで挑発を撃ち、群れを全部、僕に集める。僕は盾で受ける。群れの長が出たら、ユイナがそいつにも黄の付箋を貼る。
我ながら良い作戦だと思い、ユイナに自信満々で話してみた。
「それ、みなくんも噛まれるよ? 盾で抑えきれるような数じゃないと思うよ」
「かまわない。やれ」
「ん、じゃあ先に謝っとく。ごめんね、みなくん」
「軽いなあ」
森の奥から、来た。
犬より少し大きい灰色のやつが、木の間を抜けて十二匹。それぞれ別の方向から、輪を作りながら寄ってくる。真ん中に僕ら。囲まれるな、と書いてあった形に、最初からなっていた。
「ラポール68%。黄の付箋なら、五秒」
「一匹目、刺せ。あとは触るだけでいい」
ユイナが走った。速い。幻術師の足は、全ジョブでいちばん速い。いちばん近い一匹の横腹に、毒針を刺して、黄の付箋を押し当てた。
「ご、よん、さん、に、いち、ゼロ!」
その一匹が、隣の一匹に、噛みついた。
「二匹目は、触るだけ! こうだよね、みなくん?」
「いい調子だ。どんどんやれ」
「ん!」
ユイナが輪の外側を走りながら、狼の背中に次々と黄の付箋を叩きつけていく。二秒。一秒。触った瞬間にかかる。触るだけでいいと言ったのに、刺せる背中には、毒針も刺している。群れが、群れの中に向かって、牙を剥き始めた。
それにしても、あの狼たちには、隣の狼が親の仇にでも見えているんだろうか。それとも子の仇か。どんな幻を見せられているのかは知らないが、僕らに向かってきたときよりは、明らかに凶暴化している。
「みなくん。終わったよ」
十二匹、全部狂った。
「よくやった。そろそろかな」
僕は盾を構えて、挑発を撃った。
狂った狼が、十二匹、一斉にこっちを向いた。挑発は狂った頭にも効く。いちばん近いものより先に、挑発した相手に牙を向ける。十二匹すべてが、噛みつく相手を僕に決めた。
来た。
一匹目が盾に当たった。二匹目が盾の横をすり抜けて、左足に噛みついた。三匹目が右腕。HPバーが一割ずつ減る。減った端から、少しずつ戻る。
「みなくん、大丈夫? オートポーション、発動してないよ」
「外した。二月の終わりに、レベルが30になったからな」
僕は最大HPが上がりすぎて、ポーション一本で戻る量では追いつかなくなっていた。代わりにアビリティへセットしたのが、HP自然回復だ。ポーションを飲まなくても、HPが勝手に戻っていく。
「自然回復がある。いける」
「よかった。じゃあ、いっぱい噛んでもらえるね」
盾で叩いて一匹剥がす。剥がしたところに、四匹目が食いつく。噛まれた。また噛まれた。ふくらはぎが、歯の形にちりちりする。狼は、僕を噛みながら、隣の狼にも噛みついている。見境なく、だ。僕も、隣の狼も、同じ扱いだった。
「んふふー! みなくんいっぱい噛まれてる」
「盾だけでは防ぎきれないな」
「ほらね。言ったでしょ」
「これも作戦のうちだ」
「ごめんねー! いっぱい噛まれてくれて、ごめんねー、みなくん♡」
謝る声が笑っていた。狂わせた本人が、輪の外から、無傷で謝っている。
「謝ってる声じゃねえな」
「えー、謝ってるよー! ほんとに! ……んふふー」
狼たちの勢いは衰えない。暗示で凶暴化していて、間をおかずに次々と飛びかかってくる。
「痛ぇ。思ったより噛むな、こいつら」
「あ。みなくんが噛まれたの、七・回・目!」
「いちいち数えるな!」
「数えるよ。ボクは数える担当だから、みなくんの噛まれた数も、ちゃーんと数えるよ♡」
剣を振った。当たった。数字が出て狼が一匹消えた。振っている間に二回噛まれた。
HPバーが半分を切った。自然回復で戻る速さより、噛まれて減る速さのほうがずっと速い。
「ね、みなくん。なんか多くない? HP、いっぱい減ってるよ。本当に大丈夫?」
「大丈夫じゃねえ。自然回復する量より、噛みつかれて減る量のほうが多い」
「じゃあ、なんでこんなことしてるの? もしかして、ボクのために噛まれてるの?」
「勝つために決まってるだろ」
「んふふー! 一生懸命頑張ってて、えらいえらい」
「数が多すぎる。群れの長はまだか!」
「そういえば、ぜんぜん来ないね」
森の奥から、遠吠えがした。
「みなくん。群れの長がきたよ」
長だ。他のやつの倍はある。灰色じゃなくて白に近い。木の間から、ゆっくり出てきて、まず、狂った自分の群れを見渡した。それから、僕に目を据えた。
「真名、フェン・ロウガ。ラポール31%。黄の付箋なら、二十秒」
「よし。あいつの口に、こいつらを突っ込んで食わせてやる」
長であっても、黄の付箋の暗示がかかれば、いちばん近いものを噛む。群れは全部、僕の体に張り付いている。僕が群れごと長の口の前に立てば、長が自分の群れを食う。
「二十秒は、俺が買う」
「……買う、って言い方、久しぶりに聞いた」
「いいから、黄の付箋を貼れ」
「ん!」
挑発を撃ち直した。僕を噛みながら互いにも噛み合っていたすべての狼が、こっちを向く。長もこっちを向いた。長の背中が空く。
ユイナが後ろへ回り込んで、白い背中に飛び乗った。毒針。そして黄の付箋。
「にじゅう! じゅうきゅう!」
十一匹、すべての狼が僕に群がっている。いま噛みついているのは、盾に三匹、足に二匹、背中に一匹。噛まれるたびにHPバーが減る。防御力強化を描く余裕はない。盾はただ、持っているだけだ。
「じゅう! ……みなくん、生きてる?」
「生きてる! 数えろ!」
「ご、よん、さん――」
背中にもう一匹。
「――ゼロ! かかった!」
長が吠えた。黄の付箋がかかる前に撃った挑発は、もう効いていなかった。
二十秒のあいだに、長は僕の目の前まで歩み寄っていた。そのまま、僕の盾に食いついていた一匹に、横から噛みついた。
長の口は他の狼の倍ある。噛まれた一匹が一撃で消えた。長は、次の一匹に向き直った。
「降りて、下がれ。俺の後ろ」
「ん!」
群れは僕に噛みついたまま、離れない。長は、口の前にいるものから順に噛む。だから僕が動けばいい。体を回す。盾の裏側に食いついていた一匹が、長の口の前に出る。噛み砕かれる。また回す。噛まれる。回す。噛まれる。一回だけ剣を振って、一匹を消した。長の口の前に、僕の体に付いた狼を、一匹ずつ差し出していく。
「みなくん、いま二十三回目。いっぱい噛まれたねえ」
「聞いてねえ」
「聞いてなくても、数える」
後ろから、指のある手が伸びてきた。僕の足元で暗示の解けかけていた一匹の背中に、黄の付箋を叩きつける。
「じゃあ、もう一枚追加」
「ありがと」
その一匹が、僕のふくらはぎに噛みついた。二十四回目。
「ごめんねー! ほんとにごめーん!」
やっぱり、笑っていた。
長の周りの狼が減っていた。長に噛み砕かれたのが五匹。毒で消えたのが三匹。僕が振って消したのが、二匹。残りは、長のすぐ前で、まだ噛み合っている。長のHPバーも、毒の印の隣で、減り続けていた。
残りは三匹になった。長と、狂った二匹。二匹が長に噛みついて、長がそれを噛み砕いた。二匹とも消えた。
長だけが残った。
白い体がふらついていた。HPバーは一割を切っている。狂ったまま周りを見回して、噛むものを探している。群れはもういない。噛むものは僕しかいなかった。
長がこっちを向いた。ゆっくりだった。
噛まれ続けた僕の、今日いちばんのまともな一振りだ。
剣を振った。
当たった。数字が出て、白い体が横に倒れて消えた。
森が静かになった。遠吠えは、もうどこからも聞こえなかった。
HPバーは二割。盾を持つ腕が下がらない。下げる力も残っていなかった。息が上がっていた。VRなのに、本当に上がっていた。
「四十二回」
「数えるなって言ってるだろ。お前は」
「四十二回も噛まれて、剣を振ったのが三回。今日のみなくん、ほとんど噛まれてただけだったね」
「作戦だ」
「作戦で四十二回」
「作戦だっ!」
「んふふー。頑張ってたねえ。ボク、最後まで無傷なんだけど」
ユイナが目の前に立った。女の子のアバターが、手を僕の頭に伸ばした。
「はいはい。ボクの付箋で四十二回噛まれた、かわいそうなみなくん」
枯れた森の真ん中だ。誰もいない。誰もいないのに、ラウンジより、少し恥ずかしかった。
「よしよし。今日も、……頑張ったね」
「……」
「あ、また黙った」
「お前、それやるの慣れてきたな。そんなふうに俺のことを――」
「じゃ、やめる?」
「もう少しお願いします」
「うわあ、きもっ。んふふー」
僕のことを罵りながら、それでもユイナは手を止めなかった。噛まれた四十二回より、この手のほうがずっとまずかった。




