【クエスト】沈黙の塔、詠唱を止めろ
「あ、みなくん。ポータルの行き先が間違ってるよ」
ポータルの向こうに、六角形の壁が見えていた。ハリバチの巣だ。
二月七日、土曜日の夜。行き先は、沈黙の塔のはずだった。ユイナは僕の小さなドジを見逃さない。こいつは必ず口に出して指摘する。
「……手が覚えてんだよ。五週間、毎晩ここだったんだぞ」
「んふふー! みなくん、また蜂狩りする? 次は何年かかるかなあ」
「うるせえ。開け直すぞ」
のらねこラウンジのソファーから、ポータルを開け直した。今度は、荒野に一本だけ立っている石の塔が見えた。
沈黙の塔。攻略wikiには、三行しか書いていなかった。推奨レベル30台の半ば。四人推奨。制限時間は六十秒。
六十秒で倒せなければ失敗。何が起きて失敗になるのかは、書いていない。短時間クリアを目指すクエストだ。
「レベル、六つか七つ足りねえぞ。人数も二人だ」
「しってる」
「さすがにこれは無理だろ」
「大丈夫。みなくん、自分の力で敵を殴りたいって言ってたよね?」
言った。正月の大鬼のあと、ずっと言っていた。ユイナに言われるがままに剣先を出し、返報の剣が勝手に攻撃をする。これでは、僕が倒したという気になれない。操り人形にでもなった気分だ。
「wikiに書いてないのは、誰も止めたことがないからだよ」
「止めるって何を?」
「六十秒の時間制限。入ればわかるよ」
塔の中は吹き抜けだった。壁に沿って石の階段が螺旋を描いて、天井まで続いている。真ん中の床に、ローブを羽織ったボスが立っていた。中身が見えない。フードの奥に口だけがある。
扉を抜けた瞬間、その口が開いた。
低い声が塔に満ちた。言葉じゃない。言葉に聞こえない音が、壁を伝って、床から足に入ってくる。
「始まった。今日はみなくんが、六十秒を数える担当をやって」
「分かった。六十秒だな」
「ボクが背中。みなくんは正面。いくよ」
ゼロで、二人同時に走った。
ローブは動かなかった。口だけが動いている。杖も振らない。逃げもしない。ただ唱えている。僕は正面に立って、剣を振った。裾に当たった。数字が出た。小さい。もう一度。もう一度。
ローブの背中に、毒針が刺さった。
「真名、カント・オルガ。……ラポール、9%」
「低いのか」
「低い。かかるまで長い。どれだけ長いかは、しらない」
分からないなら振るしかない。十、二十、三十。剣を振りながら数えた。鎧騎士のときは、三回に一回しか振れなかった。大鬼では一度も振らなかった。いまは全部振れる。相手が殴ってこないからだ。
四十。五十。
「暗示、まだ」
六十。
ローブの口が閉じた。
声が止まった。塔の中が、急に静かになった。僕の息と、ユイナの息だけが聞こえた。
それから、床が鳴った。
石の隙間に赤い線が走った。足元から壁際まで一斉に。線が太くなって、隙間という隙間から、炎が噴き上がった。ただの赤ではなかった。黒い煙を巻いた、どす黒い赤だった。
盾を下に向けた。意味がなかった。炎は盾の下からも、後ろからも。皮膚が黒くなっていく。黒くなった皮膚が割れて、割れ目の奥が赤く光る。指先の感覚が消えた。視界の端が白く飛んだ。
HPバーがごっそり減った。五割を切った。オートポーションが発動した。回復した分が一秒で消えた。また発動。また消えた。また発動。
「みなく――」
ユイナの声が途中で切れた。
ローブが上に逃げた。ゆっくりではなかった。煙を裂いて、天井へ一直線に上がった。背中にしがみついたまま、ユイナも上がっていった。VRサーガの声は、距離で消える。煙の向こうの、聞こえない高さまで、あいつは行ってしまった。
炎の中に僕だけが残った。
補助の魔法陣は、入る前にかけてあった。炎耐性の陣を描き足しても、炎はものともせず、HPバーは減り続けた。オートポーションが発動しては消える。発動しては消える。数えられなかった。全身の皮膚がじんと熱い。
声がしない。合図がない。どこを向けばいいのか、分からない。
あと十秒で僕は死ぬ。
そう思ったところで、炎が引いた。
真ん中から端へ、潮が引くみたいに。床の石が、元の灰色に戻っていく。煙だけが残った。煙の中を、ローブが落ちてきた。上がったときより速かった。床の手前で止まって、揺れた。
背中から、女の子のアバターが飛び降りた。
「……何が、起きた」
オートポーションの発動履歴が、七十八回と出ていた。七十秒で七十八回。足が動かない。煙で、どっちが扉かも分からない。今までに見たことがないダメージの大きさに、軽く混乱している。頭がまったく働かない。
頭を叩かれた。
ぱん、と音がした。指のある手で、僕の頭を、上から叩いた。叩かれた所がじんとした。
「みなくん! しっかりして。大丈夫だから」
ユイナの声だった。ボイチェンの、つるっとした音のクセ。ようやく思考力が戻ってきた。
振り返ると、四十センチぐらい前にローブの顔。その上に寝そべるユイナの顔がそこにあった。
「うわっ!」
体が後ろに跳ねる。二回転ぐらい回る。
「大丈夫。なにもしないよ。みなくんはボクがいないと本当にダメだね」
「ああ、すまない」
「……まったく。こんなんで、ボクを追い出そうとしたの?」
ユイナが僕の顔を上から眺める。
「みなくんは、ボクがいないとダメなんだから。ギルドの解散なんて言っちゃだめだよ?」
「うるせえな。たまたまだ。たまたま、ぼーっとしてただけだ」
「もー」
そう言って、毒針の先で、次の付箋に名前を書いた。書くのに三秒。そのまま、ローブの背中に乗ったまま。
「さっきの赤の付箋、かかったよ。刺してから、二分以上かかった」
「二分以上!?」
「ラポール9%だと、それぐらい」
ユイナのすぐ下にあるローブの顔を再びみた。僕の顔より低い位置にフード。その中から覗き込むようにこちらを睨む。
フードの奥の口が、開いていた。唇がない。歯の並びが、そのまま外に出ている。
その歯が開いて閉じる。開いて閉じる。口が、ぱくぱく、ぱくぱくと動いているのに、音が一つも出ない。歯の隙間から、黒い液が糸を引いて落ちた。裾が床の上で小刻みに震えていた。
何者かに取り憑かれて、声の出し方をすっかり忘れてしまった。そんなふうにも見える。どんな幻が、このローブから声を奪ってみせたのか。僕には分からない。
「六十秒で止められなかったら、全員焼かれて終わり。だからみんな六十秒で倒してた。ボクたちは六十秒では倒せないけど、炎を止めることはできる。止めれるのは、沈黙の暗示をかけられるボクだけ」
背中の上から、ユイナは、そう言った。来る前に『入ればわかる』と言ったのは、これだった。
「解けるまで、三分ぐらい。でも、次がかかるまでに二分かかる。だから、かかった瞬間に次を貼る。解ける前に次がかかる。鎧騎士で覚えたやり方」
「えぐいな。あいつ、何て言おうとしてんだろ」
「ん、たぶん『助けて』。……大丈夫。三分で解けるから」
「さらにえぐいな」
「えぐいよね、これ」
「ん? お前、今日は降りて書かないのか?」
「降りない。赤の付箋って、なんでか、落ちたらそこで解けちゃうの。他の色は、かかったあとなら落ちても平気なのに。……たぶん、バグ」
「バグかよ」
「だから、ずっと乗ってなきゃだめ。このローブ、背中が平らで乗りやすいし、暴れないから。このまま上で、重ねて貼り続ける」
左手で裾を掴んで、右手の毒針を抜いて、背中で名前を書いて、刺し直す。目で追う間もなかった。
剣を振った。
当たる。数字が出る。小さい。もう一度。当たる。小さい。ローブは、口を開けたり閉じたりしながら、殴られていた。杖は一度も振らなかった。
振れる。全部振れる。だけど、一本一本が軽い。聖騎士の剣だ。四人で六十秒の相手を、聖騎士一人の剣と、毒で削る。HPバーは、じわじわとしか減らなかった。
五分が経過。
同じことの繰り返しだった。殴る。解ける前に背中で書き直す。殴る。ローブは一度も声を出せなかった。床は一度も赤くならなかった。殴られて、毒に削られて、口をぱくぱくさせて、それだけだった。
「……こんなハメ技があっていいのかよ」
「あるよ。みなくんがやってる」
「俺は殴ってるだけだ」
「ん。殴ってるだけだね」
「お前はローブの上で、ずっと見てるだけだよな」
「ん? みなくん? もしかして、また体を焼かれたい? 今度はほったらかしにするよ?」
背中の上から、涼しい声で言う。
「みなくんは、ボクがいないとダメなんだよ?」
「分かってるよ!」
「ギルドから追い出したら、燃やすよ?」
「追い出さねえよ」
「追い出したら、燃やす」
正月の一件以来、ユイナはずっとこの調子だ。
僕がギルドを解散させようとしたことを根に持ち、ずっと責め続けている。名前も変えて、アバターも可愛くなって、分かりやすいほど僕に媚びる。どうしてここまで、こんな弱小ギルドにこだわるんだ。僕なんかにこだわるんだ。まったく分からない。
十分が経過。ユイナは相変わらず、敵の背中の上から僕をいじっていじって、責めて責めて、僕が殴るたびに何か言ってきた。言い返すと燃やす、で終わった。
ローブの裾が、ぼろぼろになっていた。歯の隙間の黒い液が、床に溜まっていた。毒の印の隣で、HPバーが、ゼロになった。
ローブが中身のないまま、床に落ちた。音はしなかった。
塔の中に、もう詠唱はなかった。二人の息の音だけがあった。
「ふう、すっきりした! みなくん、今日は何回振った?」
「……数えてない」
「ボクは数えてた。四百九十八回。全部、みなくんの手で」
四百九十八回。鎧騎士では、百止めて二十一本だった。
「嫌ってほど殴った。もう満足だ。これ以上は、もういい」
振れば当たる。こんなの、ただの素振りみたいなものだ。正直、経験値も美味しいし、何度でもやりたい気持ちだ。ユイナの口を、沈黙か何かで塞げるならな!
「ふーん。で、『燃やす』は何回言った?」
「覚えてません」
「十八回だよ。全部、みなくんが言わせた」
ユイナが数える数を聞きながら、僕はこいつが正月に言った言葉を思い出した。
――ボクにとって、いまこのギルドは大切な場所だから。




