ペンギンが美少女になったけど、中身は絶対おっさんだと思う
知らない女の子が、僕らの席に座っていた。
のらねこラウンジの奥、いつものソファー。いつもなら、潰れたあんぱんみたいなクチバシがそこにある。
我が物顔で座っているこのアバターに、まったく見覚えがない。アバターの目がギロっとこっちを向くと、僕は反射で、右手を剣にかけた。
「ん? ギルマスさん、遅い。……あと、ラウンジで剣に手をかける人、初めてみた」
ボイチェンの声だった。つるっとした音のクセ。間違えようがない。
一月二十一日、水曜日の夜。正月のイベントから、十八日がたっていた。
手を剣から離した。離してから、もう一度、ソファーに目を戻した。
一見どこにでもいる、可愛い女の子のアバターだった。しかし、なぜか目を奪われてしまう不思議な魅力がある。
頭の上の名前は、きんたま、ではなかった。みなのて、と表示されていた。
「……誰だ、お前」
「ボクだよ。やっと名前を変えられるようになったの」
VRサーガは、一度変更した名前を九十日間変更できない。ちょうど、その日だった。
「……ねこのてから、二文字変えただけじゃねえか」
「二文字で足りるもん。……ね、ギルマスさん。ボク、最初の夜に何て言ったか、覚えてる?」
ゲーセンの夜だ。役に立って、みんなに愛してもらえる自分が欲しい。きみの手になれるよう頑張るから、ギルドに入れて。
「……手になる、って言ってた」
「ん。だから、みなのて」
言われて、名前をもう一度、目で追った。みな、の、て。
女の子のアバターはくるりと回った。上からペンギンをモチーフにしたフード、レースの付いたデカパーカー。ミニスカートから細い足が伸びる。ふわふわした髪の下から、ぱっちりとした赤い瞳がこちらを向く。
「ついでにアバターも戻した」
「戻したって」
「ペンギンの前に使ってたやつ。昔、友達と一緒にBOOZEで買ったの」
BOOZE。アバターを売っているサイトだ。そこで売られている有名なアバターを改造して、髪も瞳も顔のバランスも変えたようだ。唯一無二の顔をしている。
こいつが、ペンギンの前にどんな姿をしていたのかを、僕は知らなかった。知らなかったことに、いま気づいた。
女の子のアバターが、ソファーの隣を叩いた。座れ、という手だ。ペンギンのときと同じ動きを、指のある手でやられると、別の生き物に見えた。
座った。距離は、いつもと同じだった。同じなのに、着ぐるみの厚みがないぶん、近く感じた。
「で、ギルマスさん。感想は」
「……なんだよ、感想って」
「ボク、こんなに可愛くなったのに」
黒い点が二つ、ではなかった。瞳があって、まばたきをして、こっちを見ていた。
「だからなんだよ。中身はどうせガキかおっさんなんだろ」
「ん?」
「だいたい、声が変わってねえだろ。ボイチェンのままだ」
「んんんん?」
「こんなに可愛い女の子、リアルの女なんかに作れるわけない」
「いいよ。ギルマスさんは、中身が小学生でもおっさんでも、撫でられたら喜ぶんでしょ?」
「うるせえ」
「変態」
なんと失礼なやつだ。僕の性癖を歪めたのはお前だろ。
こいつは、女の子のアバターになって、ペンギンのときより、少しだけ余裕があるように見える。いままでは僕が言い返せば、どこかで一歩引いてみせていたのに、いまは一歩も引かない。変わったというより、戻ったのか。
しばらく二人とも黙っていた。プロジェクターの映画が、一場面進んだ。しろねこはカウンターで、それを眺めてぼーっとしていた。いつもの顔だ。
「ね、ギルマスさん」
「なんだよ」
「ボクの名前、ユイナっていうの。名前で呼んでよ」
言われた瞬間に、聞き返していた。
「……本名か、それ」
「えっ、興味あるんだ。意外だねえ。……ふーん、どう思う?」
「あー、そういうのウザッ」
「んふふー。秘密」
ユイナ。音だけで聞いた。秘密、と言うなら本名だ。
きんたま、でも、みなのて、でもない。こいつには、そういう名前があった。当たり前のことなのに、当たり前だと思ったことがなかった。
「ね、呼んでみて」
「……」
「はやく。やってみて」
好きな相手にだけ、ニックネームじゃなく実名で呼ばせる。昔ハマっていたオンラインの格ゲーでも、たまに見た。……好意というより、こいつなりの遊びなんだろうが。
遊びであっても、口に出そうとして分かった。名前を呼んだら、こいつが、ペンギンでもきんたまでもない、一人の人間になってしまう。きんたま、と呼ばないために作った「お前」は、そこを飛ばすための言葉だった。
「呼んで」
「……ユイナ」
「ん?」
「ユイナ」
「なにー?」
「……やっぱ、お前でいい」
「んふふー。二回で挫折」
「うるせえ」
「ん、それでいいよ。中身はおっさんってことにしといてあげる」
「しといてあげるって」
「ギルマスさんが、そのほうが喋りやすいなら。……声は、このままにするから」
このまま。ボイチェンのまま、ということだ。聞かないつもりだった。聞いた。
「なんで声は変えねえんだ」
「んー。……ギルマスさんがこんな風に何でも話してくれるのは、この声があるからでしょ」
そのとおりだった。
人前でオドオドしてしまう僕が、こんなに直球で相手に物を言い、罵り合ったり笑ったりできたのは、こいつが遠慮もなくふざけた姿で、僕の前に現れたからだ。見た目も名前も変わってしまったいま、この声だけが、こいつをお前扱いできる最後の砦になっている。
「これで、誘いも減るでしょ。ギルマスが『みな』で、ギルメンが『みなのて』って、こんな名前の子を引き抜くギルドなんていないよ」
「……それが目的か」
「それも目的」
こいつはギルドを意地でもやめない。解散もさせない。僕はそう理解した。
気になることが出てきた。姿を女の子にして、本名まで教えて、こいつは、僕に何を見ているんだ。
人は、強いやつや、誰にも負けない何かを持っているやつに惹かれる。僕にはそれが一つもない。そんな僕に、こいつは名前を寄せてきた。嬉しい、より先に、変だ、が来た。怖かった。
「……俺、お前に名前まで変えさせるほどのもん、なにも持ってねえぞ」
「持ってるよ。ギルマスさんが分かってないだけ」
「何を」
「教えない。ボクが手になるって決めたんだから、それでいいの」
それでいい、で済まされた。済まされたものが何なのか、僕には見えなかった。
「ね。ボクも、ギルマスさんのこと、みなくんって勝手に呼んでもいい?」
勝手に、と言いながら、聞いている。聞いているのに、もう決まっている声だった。名前を教えてきて、僕の呼び方まで決めてきた。ここまで来て、さすがに確信した。
こいつの中身は女だ。
確信したけど、認めたら終わる。いままでと同じではいられなくなる。ガキだとかおっさんだとか思って喋っていた夜が、すべて別のものになる。だから願った。頼むから、いままでどおりいてくれ。
僕の性癖は歪み切っている。中身がおっさんでも、甘やかされてよしよし撫で撫でされても問題はない。そういうことにしておけ!
「……か、勝手にしろ」
「みなくん」
呼ばれた。ボイチェンの声で、名前を呼ばれた。ギルマスさん、より短くて、近かった。近すぎて、返事が一拍遅れた。
「……なんだよ」
「別に。呼んだだけ。……みなくん。みなくん」
「連呼すんな! 恥ずかしい」
「慣らしてるの。ボクの口を」
こいつ、絶対にわざとやっている。
「……ね、みなくん。一個、聞いていい?」
「なんだ」
「なんでずっと『お前』なの。しめさばさんも、たけのこさんも、名前で呼んでたのに」
答えは簡単だった。簡単すぎて、言ったことがなかった。
「きんたまって言いたくないだけだよ」
三秒くらい、間があった。それから、女の子のアバターが、声を出して笑った。ボイチェンの笑い声は、少しだけ、処理が遅れる。
「しってた。……だから、変えてあげたのに」
「変えてあげた、って言い方はなんだ」
「事実だもん。九十日間、待ったんだよ。みなくんが呼べない名前のままで」
僕は一度も、こいつの名前が変えられる日を数えていなかった。こいつは数えていた。
「じゃあ、もう呼べるだろ。みなのて」
「呼んでみて」
「……」
「そっちも呼べないんだ?」
「これも、結構恥ずかしいな」
「んふふー。じゃあ、ずっと『お前』でいいよ。みなくんが呼びやすいので」
少し、ほっとした。いままでどおりに接していい、と言われたような気持ちになれた。
それで話は終わった。終わったはずだった。
指のある手が、伸びてきて、僕の頭に乗った。少女の顔が近づくと、首元がゾクゾクする。アバターの見た目がそうさせたのか? いや、違う。
こいつは本当に女なんだ。そう思うと、いままでとは違う感情が押し寄せてきた。鼓動が高鳴り、手から汗が出てくる。僕はまたさらに、こいつのことが怖くなった。
「みなくん。今日もボクのことで一生懸命だったね」
「なにも、してねえ」
「名前、呼んでくれた。二回も」
「……二回で挫折した」
「ん、しってる。……年上のお兄ちゃんなのに、ボクにこんなことされていいの? ……ほーらよしよし♡」
言い慣れてきた声だった。言い慣れてきて、まだ、少しだけ早口だった。
視界を横切る指のある手。髪をこする音。
着ぐるみの短い手より、指のある手のほうが、ずっと、まずかった。何がまずいのかは、言わない。これは中身がおっさんの手だ。おっさんの手に決まっている。そう思っていないと、まずかった。
「……っ」
「ん? また変な声がでた。きもっ」
僕の手の震えが止まらない。こんなの耐えられるはずがない。
目の前に可愛い女の子の顔があって、小さな手があって。しかも中身まで女なんだ。なにも言葉が出てこない。
「……」
「……ん?」
「……」
「……ねえ、何か言ってよ」
「……」
「ん、なんか恥ずかしくなってきちゃった。今日はもう終わり」
解放された!
指のある手が頭から離れると、こいつは少しだけ距離を取って座り直した。プロジェクターの映画に目を移したまま、こっちを見なくなった。
僕も気まずくなり、カウンターを振り返った。しろねこはもういなかった。
ドアのほうから、声だけがした。
「いちゃつくなら外でやれ」
いつもの言い返しが出てこなかった。おっさん相手にカップル扱いかよ。ガキ相手に。そう言いかけて、言えなかった。別の言葉を探したけれど、見つからなかった。
ユイナ、と二回だけ呼んだ名前が、まだ口の中に残っていた。




