【イベント】正月の公式イベントで、初めて大勢の前に立った(3)今日はそれで許してあげる
ペンギンが立ち去ったあと、僕は一人だけぽつんと正月イベントの会場に残された。三十分ぐらいはぼーっと突っ立っていた。会場のランキング表には、まだ二番目に、ねこのて、と出ていた。
知らないやつから、フレンド申請が一件、来た。境内にいた誰かだ。受けなかった。受けたら、知らないやつの名前が並ぶことになる気がした。
名前が二つ並んだ表と、隣にいない着ぐるみと、ポータルを開けずにいる指だけが、そこにあった。
震える手をなんとか動かし、ポータルを開く。あいつが入った、のらねこラウンジの。
「年が明けて、まだ三日目だよ、みな」
ラウンジ。カウンターの向こうで、しろねこがそう言った。
「……何がだ」
「真剣にみてあげろって言ったの、覚えてるよな? 三日前だよ。年越しの鐘が、まだ鳴ってる間に」
「……覚えてる」
店の中に目をやった。野良の客はいない。ソファーにペンギンがいた。
背もたれに顔を埋めて、動かない。着ぐるみの背中が、ゆっくり上下している。マイクが、寝息を拾っている。ゴーグルをつけたまま寝落ちするやつは、VRでは珍しくない。こいつの寝息は、いつもより短かった。
「泣きながら入ってきて、そこに座って、そのまま寝た。ボイチェンは戻ってたよ」
「……何か言ってたか」
「一言だけ。『間違えた』って。誰に言ったのかは、分からない」
「……そうか」
「そうか、じゃないよ。あんた、何を言ったの」
言ったことは覚えている。だから、ほとんどそのまま言った。
「よかったな。お前、みんなに愛してもらえる自分を、手に入れられたんじゃないのか。俺のことなんか気にせず、お前に興味をもってくれる人たちと会ってきたらどうだ」
しろねこは、映画のほうを向いたまま聞いていた。そして間を置いて、映画から目を離し、こっちに視線を送った。
「大晦日に、オレが言ったことを、自分で口にだして言ってみな」
「『その子のことを真剣にみてあげたほうがいいよ』」
「何か分かったか?」
「……」
「何か引っかかってることはないか?」
「ちゃんとみていなかったな、って」
「どんなふうに?」
言葉がうまく出てこない。自分が逃げるために、あいつを利用していた、と言えばいいのだろうか。けど、目の前にいるこのバーテンダーは、そういう答えを求めていないのだろう。
この人はきっと、あいつの気持ちのことを気にしている。もしかしたら僕が見ていないところで、あいつの悩みを聞いたりしていたんじゃないだろうか。あいつの言葉の中から、都合の良いところばかりを切り取ってきた僕なんかよりも、ずっとあいつのことを理解していたりするんだろうか。
精一杯考えて、言葉を絞り出す。
「あいつの願いに、真剣に目を向けていなかった」
「そうだな」
「そうだ」
「まぁ、なぜ? と聞くのはやめておくよ」
そう言うと、しろねこは映画に目を移す。無表情で映画を眺め、まったく動かなくなった。なにも喋らない。客のいないカウンターに、映画の音と、ペンギンの寝息だけが響き渡る。
空気に耐えられない。なんだかひどく、責められているような気分だ。なにかを言って、沈黙を破らなくてはいけない、と思った。
「なあ、しろねこ」
「……なに? 珍しくよく喋るな」
「俺はどうすればいいと思う?」
しろねこは黙ってソファーを指さす。着ぐるみは、背もたれに顔を埋めたままだ。寝息が続いている。
僕は、ソファーの前に立った。……寝ているうちに、言った。
「向き合っていなくて、すまない」
三秒。
五秒。
「みな。起きてるよ、その子」
カウンターから、しろねこの声がした。
着ぐるみが、背もたれから顔を上げた。小さい黒い点が二つ、じっと僕に向いている。
「……起きてたのか」
返事はなかった。
「……向き合っていなくて、すまない」
「二回目だね。一回目は、寝てるボクに言ってた」
ボイチェンの声だった。つるっとした音のクセが、戻っている。境内で聞いた、あの澄んだ声は、どこにもなかった。……いや、ある。こいつの中にずっとある。それを僕が、引きずり出しただけだ。
「聞こえてたのかよ」
「聞こえてた。……で、それだけ?」
それだけ、のはずだった。事実だけ言う。そう決めていた。決めていたのに、口が、続きを出した。
「……行くなって、言うべきだった。あの場で、逆のこと言った」
着ぐるみの短い手が、こっちに伸びた。座れ、という手だ。座った。
「ボクにとって、いまこのギルドは大切な場所だから」
「……そうだよな。二度と言わねえ」
「ほんとうに。これ二回目だよ。テスト勉強の夜に、一回」
「……三回目は、ない」
ペンギンはじっとなにかを考えているようだった。
「ねえ、なんでギルドを解散したいの?」
すべてを見透かしているような目をしていた。いや、潰れたあんぱんに表情が読めるような目なんてついてないけど、なんとなく声からそう感じられた。
僕はギルドを続けるのか、解散するのかで、悩んでいる。続けると、あの大嫌いなランキングやらランクみたいなものと、ずっと向き合わなくてはいけない。やめれば楽になれる。こいつの目標を応援したという体のいい言い訳を使って、僕は解散と言いたかったのだ。
「楽になりたかったから、なのかも」
「ん。しってる。……でも、向き合っていなかったのは、ボクのほうだったかもしれない」
ペンギンの着ぐるみは、立ち上がって、両手を僕の頭に乗せた。腹の部分を顔に押し付けてくる。頭をぽんぽんと叩く。全身に温もりを感じ、鼓動が高鳴る。
「なかなか、ボクの思い通りにならないなあ」
「……すまん。でも、もう少し頑張ってはみる。お前のためにもな」
「ん? ギルマスさん、もしかしてボクのこと好きになっちゃった?」
好き? そういう話をしていたのか? もしかしてこいつは、僕に好意を持っているのか?
たしかに僕が、こいつに特別な感情を抱いているのは本当だ。ギルメンが減り続けても、こいつは絶対に離れなかった。ギルドの窮地を救ってくれた。けど、それとこれは別の話だ。
こいつの『みんなに愛してもらえる自分を手に入れたい』という願いを、叶えてやりたい気持ちに嘘はなかった。蜂と向き合ったあの五週間も、恋愛みたいな感情なんかではなく、応援したいという気持ちで動いた。才能に溢れていて、粘り強いこいつの姿を見ていたいと思った。
異性として見たことはない。
僕らの関係は、親友みたいなものだ。
「はぁ? それはねえよ。お前はうちのギルメンだろ」
「ふーん。そうだね」
「……お前がいねえと、うちはギルドじゃねえ。いてくれないと困るよ」
「ん。いいよ。今日はそれで許してあげる」
手がまた動き出した。くしゃくしゃ、くしゃくしゃ、と、ペンギンの短い手で。全身がゾクゾクする。もう中身が男か女かなんて、どうでもいいとさえ思えてきた。このVRゲーム、いろいろと性癖が歪まされるな。
顔を動かしてカウンターに目をやった。しろねこがいなかった。いつものつまらないSF映画だけが、誰もいない壁に映り続けていた。いつ消えたのか、分からない。
壁の中では、車が一台、高速道路を走り続けていた。トンネルを抜けるたびに、日本語の標識が流れていく。その車は、ずっと止まらなかった。
小さなペンギンの手も、ずっと止まらなかった。




