通話を繋いだままテスト勉強してたら、ギルドの店じまいを言い出してしまった
「ボクも、休み明けテストなんだけど」
ペンギンが、紙をめくる音と一緒に言った。
VRの中に紙はない。聞こえているのは、マイクが拾った、向こうの机の音だ。
冬休みに入ったばかりの、十二月の終わりの夜だった。二人だけの部屋で、ゴーグルを額に上げて、声だけ繋いだまま、それぞれの机で勉強する。作業通話、と呼んでいる。
ペンギンとは毎日VRサーガで会っている。クエストをしない夜も、ゲーム内で待ち合わせて、ゲームの外のことを片づける。いつからか、こいつと繋がっていないと机に向かえない。仕方ない。
「休み明けって、なんのテストだよ」
「課題テスト。冬休みの宿題から出るやつ」
「うちもそれだ」
「高校もそうなんだ。……中学と同じだね」
「その設定、まだやってんのか」
「設定じゃないんだけど……まあいいや。ギルマスさん、いま数学でしょ?」
「……なんで分かる」
「期末の話のとき、数学だけ声が小さかったから」
図星だった。冬休みの宿題の、最後の三ページ。赤点ギリギリだった科目を、休みの間に何とかしろ、と担任に言われている。何とかなっていない。
「中学の数学と一緒にすんな」
「一緒だよ。数字が出てきて、一つの答えを導きだすやつ」
答えは一つ。それはこいつにとって簡単なことなのだろう。僕のノートは三ページ、ずっと白いままだ。
静かな時間が、しばらく続いた。紙の音。ペンの音。ときどき、ペンギンが小さく鼻歌を歌う。ボイチェンの鼻歌は、変な音になる。
僕はペンを置いた。置いてから、しばらくノートの白いところを眺めていた。
言うつもりだった。今日、言うつもりで、この部屋を開けた。
通話の先にある、紙の音が止まった。
「んん? ギルマスさん、今日、変な声してる。ログインしたときから」
「……」
「言う前に、ボクから言っていい?」
「……何をだよ」
「聞いてて」
紙の音はしない。
「ボクね、最初に言ったじゃん。役に立って、みんなに愛してもらえる自分が欲しいって」
「言ってたな」
出会った夜だ。江ノ島のゲーセンで、こいつはそう言って、ギルドに入れてくれと頼んできた。
「みんなどころか、たったの二人になっちゃったけど」
「……悪かったな」
「ううん。まあ、あんなことは言ってみたんだけど。最近はギルマスさんがボクのことをいっぱい構ってくれるから、もうどうでもいいかなーって思いはじめた。んふふー」
「お前、以前はあんなに忙しそうだったじゃねーか。お前のほうこそ、俺のために時間を作ってくれて、こうして付き合ってくれてるだけだろ?」
「そんなことない。ボクは構ってもらってる側。五週間もね」
「……あれは、お前の毒針のためだ」
「はいはい、毒針のためね」
先に言われた。言われたけど、言うつもりだったことは、消えなかった。
「なあ」
「んー?」
「鎧騎士のとき、HPを削ってたのは、ほとんどがお前の毒針だっただろ」
「そうだね」
「あれ見て、思った。俺、もういらなくないかって」
紙の音は、また止まっていた。
「毒針は思ってたよりずっと強い。今まで三時間以上かかってたボスが、一時間ちょっとで倒せるんだ。パーティメンバー二人分ぐらいの火力はあるぞ」
「ん。ギルマスさんのおかげ」
「お前の付箋も、使い方さえ理解したら強い。あの状態異常は、どんな敵も弱体化できる」
「それもギルマスさんのおかげ」
「俺なんて、止めて、かすって、たまに一発入れれるかどうか。一人分のダメージも与えられない。中途半端だ」
向こうで鼻をすする音がした。
「今のお前は、どこのギルドも欲しがる。それに四人でパーティを組めば、今とは違って三人の力を借りられる。盾も、剣も、回復も。俺一人に守られるよりも、ずっと楽だ」
「……そんなことないもん」
「別のギルドに行ったほうがいい。俺は、そう思ってる」
「……」
「ギルドも、そろそろ潮時かなって。二人しかいないし、店じまいしようと思ってるんだ。ギルドの解散」
言えた。言えたけど、口の中が、ひどく乾いていた。
向こうの机で、何かが倒れる音がした。ペンだと思う。
「それさ、ボクのためって言ってるけど、違うよね」
「どういうことだよ」
「だってそれ、ギルマスさんが楽になりたいだけでしょ」
「……違う」
「違わないよ。声が、逃げてる」
ボイチェンの声が、いつもより、平らだった。
「ボク、抜けないよって言ったよね。たけのこさんが抜けた日に」
「……言ってた」
「じゃあ、なんでギルマスさんのほうが辞める話になってるの」
声が大きかった。こいつが声を荒らげたのは、初めてだった。
「……今回は、俺の剣がお前に必要ないって話をしてる。お前が要るとか要らないって話じゃない」
「違う。ボクにも必要。ギルマスさんが決めて、ボクはそれに従う。そういうやり方で、ここまでやってこれたんだよ」
言い返す言葉を探した。見つかる前に続きが来た。
「それに毒針はね、ギルマスさんが五週間も付き合ってくれたから、手に入った。ギルマスさんがいなかったら、ボクはまだ弱っちいペンギンのまま」
「まあ、そうだな」
「それに、ボクが敵に付箋を貼れるのは、『まだ』と『今』を言ってくれるギルマスさんがいるから。よそに行ったら、ボクは今でも弱っちいペンギンだよ」
「そんなことは――」
「ギルマスさん、数学が本当に苦手なんだね。計算のやり方が間違っているよ!」
「……」
「店じまいは却下」
向こうの机で、小さい音がした。たぶん、倒れたペンを拾った音だ。
僕は、ノートの白いところを見ていた。こいつの計算では、答えは絶対にその一つのみ。それは揺るがない。僕の出した答えは、こいつにとっての間違いだったようだ。
「……分かった。ギルドは解散しない。……お前、俺より計算が上手だな」
「中学の数学と一緒だって、言ったじゃん」
「そういうことに、しといてやるよ」
「ん。よろしい」
声が少しだけ戻った。
「ね、ギルマスさん。ボク、青の付箋のことで気になることがあって」
「なんだ?」
「鎧騎士との戦闘、攻撃をほとんど止めれてた。けど代わりに、ギルマスさんも攻撃ができなくなってたなって」
「そうなんだよなー。相手に隙は作れてた。剣もちゃんと振れる。けど、こっちにも反動があるから、攻撃を打ち込む時間が全然足りない」
「聖騎士って攻撃力が低いんだよね。そう思うと、今までけっこう無理な戦い方をしてるよね」
「今ごろ気づいたのかよ」
「それでもどうにかできてしまうのが、ギルマスさんでしょ?」
あと一つ足りない。攻撃を止められる。止めたあとに返せない。鎧騎士の夜から、ずっとそれを考えていた。考えて、答えが出なくて、ギルド解散の話になった。
先に諦めたのは僕のほうで、こいつはまったく諦めていない。粘り強さでは、とっくに僕の上だ。
「ギルマスさんなら、小剣のまま、あの隙をどうにかすると思ってたんだけど……」
軽く言った。ひとりごとみたいに。ひとりごとの形をした、催促だった。
「……待て」
「んー?」
「攻撃キャンセルの反動。これをすべて攻撃に変えてしまったらいい」
市場で見たことがある。レアアイテムの割に安い剣だ。名前は『返報の剣』。
僕が使っているアイアンソードより重量は控えめで、攻撃力も今の剣より低い。そして、説明に一行だけ、変なことが書いてある。『攻撃キャンセルに成功すると、カウンターが発動する』と。
攻撃キャンセルなんて、普通は狙って起こせるものではない。運頼りのクリティカルヒットみたいなものだ。狙って起こせないからこそ、この一行はただの飾りになっている。だから、誰も欲しがらない。大量に売りに出されるものだから、そこらへんの商人ギルドから普通に買えてしまう。
普通は。
「お前、鎧騎士のとき、何回止めた」
「百までは数えてた。そのあとは……二百とか、三百とか」
「二百回、全部がカウンター攻撃に変わったら? しかもwikiだと、カウンターは攻撃力二倍のバフ付きだ」
「……」
紙の音がした。閉じる音だった。
「それ、とんでもないコンビになれるんじゃない?」
「なれる。たぶん」
「たぶんじゃなくて」
静かな声だった。さっきの平らな声とは、違う静かさだった。
「じゃあ、やろ。ボク、それがいい。ギルマスさんと、それをやりたい」
僕は市場のページを開いた。返報の剣。値段を確かめた。
たしかに安い。安いけど、うちのような弱小ギルドには、それでも手が届かない。
専任のヒーラーがいない今の二人パーティは、常に回復力不足だ。ポーションに頼らざるを得ない。クエストに行く前には毎回、有り金がゼロになる。
「……金がない」
「しってる。ギルマスさん、オートポーションが発動するたびに、変な声出してたもん」
「それはお前も一緒だろ」
「ボクのはギルマスさんの声に反応してるだけだよー」
手に入る場所は知っていた。眠れる番人の神殿。番人のゴーレムが守っている秘宝が、この安い剣だ。取られても、月が替わる瞬間に補充される。wikiにそう書いてある。
月が替わる瞬間。
「十二月三十一日の、夜中の十二時だ」
「え?」
「補充される。その瞬間なら、確実にある」
「……年越しじゃん」
「年越しだから、誰も来ないんだろ」
ペンギンは少し黙った。
「ボク、空いてる」
「聞いてない」
「聞かれてないけど、言っといた。……ずっと空いてるよ」
ずっと、のところが、少しだけ長かった。
「じゃあ、年越しは神殿だ」
「決まり。年越しは神殿」
それから、また、紙の音に戻った。ペンの音。鼻歌。僕のノートは、三ページ白いままだったけど、さっきより、ペンが動いた。数字が出てきて、答えが一個ある。それだけだ。
「ね、ギルマスさん」
「なんだよ」
「いらないとか、二度と言わないでね」
「……分かった。言わねえよ。お前は、針を刺す位置をそろそろ直せ」
「それは別の話ー。じゃあ、次の問題」
紙をめくる音が、二つになった。




