第7話 組む気はない
八箱だったはずの荷が、十二箱になっていた。
二月の朝、央都・北区の運送店「紺野屋」で、風切疾風は荷台の前に立っていた。
故郷を出てから約五か月。十五歳の疾風は、荷の積み方なら店主に口を出されずに済むくらいには仕事を覚えていた。
ところが今朝は、積む前から勘定が合わない。
「お紺さん。荷札が四枚多いぞ」
「目がよくて助かるね」
「褒めてねえよ。今朝の帳面には八箱って書いてあったろ」
お紺は算盤を弾く手を止めず、帳場の横に積まれた四箱を顎で示した。
「水路坂の問屋から追加だよ。金物通りへ四箱、南市場へ四箱。それに水路坂の四箱。全部、今日中に届けておくれ」
「南市場まで増えてんじゃねえか」
「だから荷札も増えたんだろ」
荷車の下から笑う声が聞こえた。
「疾風、お前、五か月もいて数の勘定が下手なのか」
灰茶色の鎌鼬、ナギが後輪の陰から顔を出した。額に白い筋が一本あり、長い尾の先だけが荷車の下で揺れている。
「ナギ。お前も聞いてたのか」
「荷の数が増えたって話はな。で、俺の分の手間賃は?」
「それだ!」
疾風は帳場へ向き直った。
「追加の四箱、いくらくれる?」
「二人で八文。いつもの日当とは別だよ」
「安い。荷が半分も増えて、行き先まで一軒増えるんだぞ」
「軽い荷だし、同じ町の中じゃないか」
「じゃあ、お紺さんが運んでくれよ。俺たちは元の八箱を配るから」
お紺はようやく算盤から手を離した。
「口だけは立派になったねえ」
「親父に似たんだろ。俺だって銭が要るんだよ」
疾風は荷札を並べ、配達先を指でたどった。
金物通りから水路坂を回れば、南市場までは下りになる。ただし、十二箱を一度に運ぶなら、荷の重さだけでなく、降ろす順番まで考え直さなければならない。
雨でも降れば、さらに時間がかかる。
「四箱で十六文。二人で八文ずつ」
「十六は取りすぎだよ」
「だったら十二文。六文ずつ。これ以上は下げねえ」
お紺は疾風の顔を見てから、ナギへ視線を移した。
「ナギもそれでいいのかい?」
「六文なら文句ねえよ。増えた分は、ちゃんと俺にも払ってくれるんだろ」
「もちろん。あんたの働いた銭はあんたのものだよ」
「なら決まりだ」
お紺は算盤を一度弾いた。
「十二文ね。いいよ。ただし、全部今日中に届けること。箱を壊したら別勘定だからね」
「乗った!」
疾風が荷札をつかむと、ナギは荷台へ跳び乗った。
「最初から十二で決まると思ってたのか?」
「いや。十六で通れば、もっとよかった」
「……お前、運び屋より商人になった方がいいんじゃねえか」
「商人になったら、お前の荷は高く取る」
「なら俺は別の店へ頼む」
お紺が二人の間に荷札を差し出した。
「仲がいいのは結構だけど、店の前をふさがないでおくれ」
「よくねえよ!」
二人の声が重なった。
お紺は笑いながら帳場へ戻った。
*
十二箱の荷車は、八箱のときより曲がりにくかった。
重い金物の箱を荷台の底へ据え、紙を詰めた箱は中央に寄せる。小さな金具が入った軽い箱は上段へ積み、それぞれ届け先ごとに綱を分けた。
金物通りの四箱は最初に降ろすため、荷台の側面から取り出せる位置に置いてある。
疾風が前から引き、ナギが後ろで荷の動きを見張った。
「疾風、右へ寄りすぎ。後輪が溝を踏む」
「見えてるって!」
「見えてる奴は、そんな寄り方しねえよ」
ナギは一間ほど跳び、荷台の縁へ移った。曲がり角の先をのぞき、尾を少し上げる。
「次は左へ寄れ。向こうから荷車が来てる」
「まだ曲がれるだろ」
「曲がった先で詰まる。止まれ」
疾風は引き棒を握ったまま足を止めた。
すぐに別の荷車が角から現れ、二人の前を横切っていく。荷台には長い木材が積まれ、後ろの端が大きく張り出していた。
先に進んでいたら、こちらの箱にぶつかっていたかもしれない。
「今のは助かった」
「聞こえねえ」
「助かったって言ったんだよ!」
「なら最初から素直に言え」
ナギは得意そうに鼻を鳴らした。
金物通りで四箱を降ろし、受取札に印をもらう。荷の数も中身も問題なく、最初の配達は予定どおり終わった。
ところが、水路坂へ向かう途中で空が暗くなった。
昼前から冷たい雨が降り始め、石畳に小さな水たまりができていく。通りを歩く客が軒下へ集まり、荷車の往来も遅くなった。
荷台には防水用の布を掛けてある。それでも残り八箱のうち四箱には紙が詰めてあり、水が入り込めば商品にならない。
「ナギ、後ろの布を見てくれ。端が浮いてる」
「分かった。疾風は前を見ろ」
ナギは箱の上に伏せ、両の前足で布の端を押さえた。風が吹くと水を含んだ布が膨らみ、荷台の角から雨水がしたたり落ちた。
疾風は水路坂の手前で荷車を止めた。
坂の途中に別の荷車が停まり、男が車輪を外して修理している。片側には石の欄干があり、残された道幅では今の荷車が通れない。
「別の道へ回るぞ」
「どっちだ?」
「横の細道から坂の上へ出られる。昨日、下見したんだ」
「あそこか。階段があるだろ」
「横に細い坂があるんだよ」
二人は路地の入口まで荷車を動かした。
階段に沿って土の坂が延びていたが、雨水が流れて表面がぬかるんでいる。道幅も狭く、片側の壁には荷台の角をこすったような跡が付いていた。
ナギは荷車から降り、坂を見上げた。
「あれをこの荷車で上がる気か?」
「二人で押せばいけるだろ」
「俺の体のどこを見て、荷車の後ろを押せると思ったんだ」
ナギが前足を広げた。
小さな体は車輪より低く、尾を伸ばしても後ろ板には届かない。
疾風は口を閉じた。
「なら、綱で補助する。ナギが上から引っ張れば――」
「どこに固定する?」
坂の途中には綱を掛けられる柱も木もなかった。上まで行って引っ張るにしても、ナギ一人の体重では荷車を支えられない。
疾風は荷台を見回した。
「……無理か」
「無理だな。空車ならともかく、十二箱を載せたままじゃ滑る」
ナギは坂の土を前足で押した。濡れた表面が崩れ、小さな塊になって転がっていく。
ここで車輪が滑れば、箱を守るどころではない。
疾風は路地の外へ目を向けた。
大通りでは修理がまだ続いている。待てば通れるかもしれないが、今日中に配達を終える約束がある。
「じゃあ、先に南市場へ行こう」
「水路坂の荷は?」
「最後に回す。雨が弱くなってから戻ればいい」
ナギは荷札を一枚ずつ確かめた。
「南市場の紙箱は下の段だ。積み直さなきゃ降ろしにくいぞ」
「分かってる。手伝ってくれ」
「はいはい。最初からそう言え」
二人は近くの屋根付きの荷場へ車を移した。
疾風が箱を降ろし、ナギが荷札を読み上げる。重い紙箱は荷台の底へ据えたまま、南市場で取り出しやすい側へ寄せ直した。残りの金具箱は奥へまとめ、それぞれ別の綱で締める。
箱の角には布をかませ、水が入り込まないよう覆いの端も折り込んだ。
「よし。これでどうだ」
ナギが結び目を前足で押した。
「右の下が緩い」
「どこだよ」
「そこ。今引いた綱の隣だ」
疾風が締め直すと、箱はほとんど動かなくなった。
「これで文句ねえだろ」
「まあな。早く行こうぜ」
ナギは荷札を自分の袋へしまい、荷台の後ろへ回った。
五か月前なら、結び方をめぐってもう一度言い合っていただろう。今は荷を届ける方が先だった。
*
南市場へ着いたころには、雨脚がさらに強くなっていた。
受取人は四箱を一つずつ確かめ、紙が濡れていないことを確認してから札に印を押した。
疾風が受取札を袋へしまう間、ナギは水路坂へ続く道を見ている。
「さっきの車輪、もう直ってるかな」
「直ってても、この雨じゃ急がねえ方がいい」
「何でだよ。残り四箱だぞ」
「金具の箱だ。濡れたら、あとで錆びる」
ナギは荷台の覆いを指した。
端から水がしみ込み、布の裏まで湿っている。今のまま走れば、金具を入れた箱にも水が回りそうだった。
「少し待つか」
「そうしろ。俺もやりたいことがある」
二人は近くの金物屋の軒先で雨宿りをすることにした。
疾風が荷車を壁際へ寄せていると、ナギは濡れた毛を振り、小さな道具袋を開いた。
取り出したのは細い鏨と小さな金具だった。
「何してんだ?」
「留め具を直してる」
荷札を固定するための金具らしい。片側が曲がり、端には指を引っ掛けそうな小さな出っ張りができている。
ナギは木片の溝に金具をはめ、鏨の先を当てた。
「そんな小さい物、買い直せばいいだろ」
「買えば二文。直せば銭はいらねえ」
「でも時間はかかるぞ」
「雨宿りしてる間なら、時間は余ってるだろ」
ナギは小槌で鏨の頭を軽くたたいた。
金具の端から薄い鉄片が落ちる。今度は向きを変え、曲がった部分へ刃先を当てた。
疾風はその手つきを見ていた。
細い前足が器用に動く。荷台の下へ入り込んで車軸を確かめられるのも、こんな小さな金具を扱えるのも、ナギの体だからできることだった。
「お前、荷運びより細工の方が好きなのか?」
「どっちも好きだよ。荷を運べば、知らねえ場所へ行ける。細工なら、自分の手で物を作れる」
「じゃあ、職人になればいいじゃん」
「それだけじゃ遠くへ行けねえだろ」
ナギは金具を持ち上げ、軒先から差し込む光へかざした。
「俺はあちこち見て回りたいんだ。山も海も、ほかの国も。自分で稼いだ銭でな」
「俺も、いつか自分の店を持つつもりだ」
「知ってる。帳面をつけるたびに言ってるからな」
「聞いてたのかよ」
「二階であれだけ騒げば聞こえる」
ナギは金具を指先で回した。
出っ張りが消え、留め具の両端がきれいに合っている。何度か開け閉めしてから、道具袋へしまった。
「そういや、ナギ」
「何だよ」
「お前、誰かと契約する気はねえの?」
ナギの前足が止まった。
「あるにはある」
「へえ。誰と?」
「何でお前に言わなきゃならねえんだよ」
「俺ももうすぐ十六だぞ。忍びになるなら、契約相手を考えねえといけねえし」
「だからって、俺を当てにすんなよ」
ナギは尾を一度、床板へ打ちつけた。
「お前みたいに、先に走ってから考える奴とは組まねえ」
「俺だって、お前みたいに一言多い奴とは組みたくねえよ!」
「なら話は早いな」
「おう。お前とは組まねえ!」
「こっちの台詞だ!」
向かいの店から主人が顔を出した。
「雨よりそっちの方がうるさいぞ」
二人は同時に口を閉じた。
主人が店へ戻ると、ナギは道具袋を腰へ結び直した。
「雨、弱くなったぞ。残りの荷を運ぶんだろ」
「分かってる」
疾風は荷車の引き棒を持ち上げた。ナギは荷台へ跳び乗り、後ろの綱を確かめる。
「結び目、一つ多くねえよな」
「今日はな」
「今日も、だろ!」
金具の入った四箱は、日暮れ前に水路坂へ届いた。
受取人が箱の中を確かめ、濡れも傷もないことを確認する。最後の受取札に印が押されると、疾風は十二枚をそろえて袋へしまった。
紺野屋へ戻るころには、雨が上がっていた。
お紺は受取札を並べ、すべての印を確認した。追加の手間賃も約束どおり二人に六文ずつ渡された。
「ちゃんと届けたね。ご苦労さん」
「次も追加があるなら、最初から十六文って言うからな」
「そういうとこだけ覚えが早いねえ」
疾風は笑い、いつもの日当も受け取った。
ナギは自分の六文を数えると、腰の小さな財布へしまった。疾風の取り分と混ぜるつもりはないらしい。
「ナギ、明日も雨だったら、荷札の順番を先に決めようぜ」
「明日の荷を見てからな」
「また文句つける気かよ」
「変な積み方してたら言うに決まってんだろ」
ナギは荷台から飛び降り、道具袋を背負い直した。
疾風はその背中を見送った。
*
その日の夕方、疾風は忍務局の受付へ向かった。
十六歳の誕生日までは、あと一月ほど。
正式な契約はまだできないが、契約を希望する相手が決まっていれば、先に希望申込書を預かってもらえると聞いていた。
門の壁には、見慣れない張り紙があった。
『縁結び座 契約相手の顔合わせ承ります』
人間と妖怪が向かい合う絵の下に、料金が書かれている。
顔合わせ一回、十文。
「会うだけで十文かよ。高えな」
疾風は張り紙を横目に見て、そのまま受付へ進んだ。
「契約の申込書、出したいんだけど」
「希望する相手は決まっていますか」
「一応な」
「それなら、こちらに名前を書いてください。ただし、正式な契約には双方の同意が必要です。十六歳になってから改めて手続きをしていただきます」
「分かってる」
案内された小部屋には、机が一つ置かれていた。
疾風は筆を取り、申込書の最初の欄に自分の名前を書く。
『風切疾風』
その下には、希望する相手の名前を書く場所があった。
筆先が止まった。
今日の荷運びを思い返す。
坂道で無理だと言ったのはナギだった。配達の順番を変えたときは、荷札をそろえて積み直しを手伝ってくれた。
雨宿りでは小さな金具を直していた。あの器用な前足があれば、普通の運び屋にはできない仕事もできるだろう。
何より、荷台の後ろを任せてもいい相手だった。
口は悪い。
しかも、自分より仕事ができると思っている。
そこが腹立たしい。
「別に、あいつしかいねえってわけじゃねえけど」
疾風は筆を動かした。
『ナギ』
書き終えると、すぐに紙を裏返した。
受付へ戻り、申込書を差し出す。
「これ、本人にも見せるのか?」
「正式な手続きを進めるまでは、こちらで保管しますよ」
「じゃあ、今は黙っといてくれ」
「承知しました」
係が紙を受け取るのを確かめ、疾風は早足で部屋を出た。
*
少し遅れて、ナギも忍務局を訪れていた。
人間用とは別の入口から入り、妖怪用の受付で希望申込書を受け取る。
壁には縁結び座の張り紙があった。
ナギは料金を一度見て、鼻を鳴らした。
「十文あったら、細工道具の足しになるじゃねえか」
そのまま受付の奥へ進む。
「希望する人間の名前を書いてください」
「分かってる」
ナギは小さな机へ上がり、前足で筆を持った。
まず自分の名前を書く。
『ナギ』
次の欄に目を移すと、しばらく筆が動かなかった。
『希望する相手』
ナギは尾をゆっくり動かした。
雨の中で荷車を動かしたとき、疾風は無理な坂を諦めた。荷の順番を変えると決めたのも疾風で、積み直しのときには自分の意見を聞いた。
先に走り出す癖さえ直れば、もっと仕事が楽になる。
「……あいつ、荷車の前ばっか見てるからな」
ナギは筆先を整え、空欄に名前を書いた。
『風切疾風』
申込書を持って受付へ戻る。
「これでいいか」
「はい。お預かりします」
「それ、疾風にはまだ言うなよ」
「相手の方への確認は、正式な手続きの際に行います」
「ならいい」
ナギは返事を聞くと、さっさと出口へ向かった。
受付係が二枚の申込書を整理していると、隣の係が声をかけた。
「その二枚、同じ店の人たちですか?」
「ええ。紺野屋の方ですね」
係は申込書を並べた。
一枚目の申込者は、風切疾風。
希望する相手は、ナギ。
二枚目の申込者は、ナギ。
希望する相手は、風切疾風。
「互いに相手を希望してるんですね」
「そうなんですよ」
「それなら、話は早そうじゃないですか」
「ええ。ただ……」
係は二枚の申込書を指でそろえた。
「二人とも、相手には内緒にしてくれって」
隣の係がもう一度名前を見比べる。
二人は顔を見合わせ、吹き出した。




