第19話 妖怪の面接
「そんなもん読まねえよ」
鎌鼬のナギが、風切疾風の差し出した紙を押し返した。
三月十九日の朝。央都の合同養成所では、忍の仮免試験を受ける者たちが廊下に集まっていた。
今日は人間側の口頭試験と妖怪側の面接がある。二人は別々の部屋へ入り、それぞれ自分で受け答えをしなければならない。
疾風は昨夜、母の帳面の余白に想定問答を書いてきた。
荷を運ぶときの注意。契装を使う条件。危険な場所から逃げる順番。思いつく限りの質問を並べ、ナギの分まで答えを用意したのだ。
「せっかく考えてきたんだから、少しくらい見とけって!」
「俺の面接だろ。何でお前の答えを覚えなきゃいけねえんだ」
「もし聞かれたときに困るだろ!」
「困ったら自分で考えるよ」
ナギは肩の上で尾を揺らした。
疾風は紙を広げ、真ん中あたりを指した。
「例えば『契装中に困ったらどうしますか』って聞かれたら、すぐ解除するって答えりゃいいだろ」
「場合による」
「何でだよ。困ってるんだぞ」
「足場が悪いだけなら、解除した途端にお前が転ぶかもしれねえだろ」
ナギは紙の端を前足で押さえた。
「どう困ってるのかも分からねえのに、解除するかどうか決められるかよ」
「……それもそうか」
疾風は自分の答えを見直した。
昨日、玄蔵には条件をよく見ろと言われたばかりだ。足場や道具の具合によって、同じ行動でも結果は変わる。
「じゃあ『状況を確認してから判断する』って書くか」
「好きにしろよ。俺は俺の言葉で答えるからな」
ナギは差し出された紙から顔を背けた。
「それより、お前の方は大丈夫なのか?」
「何が?」
「昨日の煙玉だよ」
「あれは壁に当たった風が戻ってきただけだろ!」
「だから自分の鼻と口で風向きを確かめたんだな」
「言い方!」
廊下の奥で鐘が鳴った。
試験室は二つある。右が契約者の口頭試験、左が妖怪の面接室だ。
疾風は右の名簿を確かめた。
自分の名前は三番目。
ナギは左の名簿で一番目だった。
「お前の方が先じゃねえか」
「先に終わるなら好都合だな」
「緊張しねえの?」
「何をだよ。俺のことを俺が答えるだけだろ」
ナギは胸を張り、左の扉へ向かった。
疾風も後を追おうとしたが、入口の試験官に止められた。
「契約者の方は廊下でお待ちください」
「付き添いも駄目なのか?」
「面接は本人だけです」
「……そりゃそうか」
ナギが振り返った。
「お前は自分の試験を心配しろ」
「分かってるって!」
扉が閉まる直前、ナギは片方の前足を上げた。
疾風も手を上げて返す。
包帯を巻いた掌が少し引っ張られたが、痛みはもうずいぶん薄くなっていた。
*
面接室の前には、古い木の長椅子が並んでいた。
疾風は扉から少し離れた席へ腰を下ろし、母の帳面を開いた。自分の試験で聞かれそうなことを確かめようとしたものの、文字がなかなか頭に入ってこない。
古い引き戸の上には明かり取りがあり、閉まった扉の向こうから話し声が漏れていた。
「契約者の名前を答えてください」
試験官の声が聞こえた。
「風切疾風」
「いつ契約しましたか?」
「三月一日だ。役所で二人とも署名した」
「契約した理由は?」
「一緒に働こうと思ったからだよ」
「疾風さんから頼まれたのですか?」
「俺もあいつを選んだんだ。頼まれたから契約したわけじゃねえよ」
疾風は帳面から顔を上げた。
三月一日。
契約窓口へ行った日のことを思い出す。
互いが相手の名前を書いていたと知ったとき、どちらも驚いた。あれからまだ二十日も経っていないのに、ずいぶん長く一緒に働いている気がした。
扉の向こうで紙をめくる音がする。
「では、武器の姿になることを拒否できますか?」
「できる」
「どんな場合に拒否しますか?」
「俺が無理だと思ったときだ」
「もう少し具体的に答えてください」
「怪我してるときとか、無茶な所へ突っ込もうとしたときだな。あと、俺の話を聞かねえとき」
疾風は苦笑した。
最後の一つは間違いなく自分のことだ。
「契約者が強く希望した場合は?」
「希望するのは勝手だろ。嫌なら俺は変わらねえ」
「そのために仕事へ支障が出たらどうしますか?」
「ほかの方法を探す。それでも無理なら引き受けねえよ」
しばらく返事がなかった。
疾風は閉じた扉を見つめた。
ナギは昨日も、今日も、同じことを言っている。
ただ断るだけではない。できる方法を探して、それでも危ないならやめる。
昨日、自分が煙玉へ顔を突っ込んだときだって、ナギは先に危険を知らせようとしていた。
「報酬はどなたが管理していますか?」
次の質問が聞こえた。
「それぞれ自分で」
「別々ですか?」
「当たり前だろ。俺が稼いだ金まで疾風に預けたら、あいつは三日で飯に変えちまう」
試験官が小さく笑った。
「三日で全部ですか?」
「二日かもしれねえ」
「聞こえてるぞ、ナギ!」
疾風は思わず扉へ向かって叫んだ。
廊下にいた受験者たちが一斉にこちらを見る。
すぐに扉が少し開き、試験官が顔を出した。
「静かに待ってください」
「悪い!」
疾風は慌てて頭を下げた。
扉の向こうからナギの声がする。
「ほらな。ああいう奴なんだよ」
また試験官が笑った。
疾風は長椅子へ座り直し、帳面で顔を隠した。
「何やってんの?」
声を掛けられて振り向くと、沢渡みなもが立っていた。
隣には河童のコウもいる。
「聞かなくても分かると思うけど」
「お前までそういうこと言うなよ」
「うちなら相棒の面接中に廊下から叫ばないよ」
コウも静かに頷いた。
「中の声、よく聞こえるね」
「そうなんだよ。ナギが好き勝手言いやがってさ」
「本人の面接だからね」
みなもは肩に掛けた袋から二枚の紙を取り出した。
どちらにも養成所の中庭を描いた図が載っている。
疾風は目を留めた。
「何だそれ。面接の答えか?」
「観察票だよ。昨日渡されたでしょ」
「……何の?」
みなもの手が止まった。
「まさか、読んでないの?」
*
疾風は腰の袋を探った。
昨日、訓練が終わったあとに受け取った書類が何枚か入っている。試験日程を確かめた紙の下から、折り目のついた薄い一枚が出てきた。
『見張り配置の観察票』
表には養成所の中庭と物置、周囲の通路と塀が描かれていた。
その下に記入欄が二つある。
『契約者の観察』
『妖怪の観察』
疾風は紙を裏返した。
何も書いていない。
「……これか」
「そう。それを今日の試験で使うんだよ」
「俺、昨日の夜に答えを考えてたんだけど」
「その前に二人でこれを確かめればよかったのに」
みなもは自分の観察票を広げた。
一枚には彼女の字で見張りの配置が書かれ、もう一枚にはコウの字で通路と死角の位置が記されている。
「二人で別々に書いたのか?」
「うん。見た場所が違うからね」
コウが中庭の図を指した。
「みなもは二階の通路から見た。おれは下から見た」
「何が違ったんだ?」
「ここ」
コウは物置の裏側を指した。
みなもの紙では通路の途中までしか線がない。だがコウの紙には、物置の裏を回り込む細い道が描き足されていた。
「下からなら、この道が見えた」
疾風は二枚の図を見比べた。
「上からじゃ見えねえのか?」
「物置の屋根に隠れるんだよ」
みなもは二枚を重ねた。
「だから両方見る必要があるの。うちの見積もりだと、見張りを一人増やすより、位置を変える方がいい」
「何で?」
「同じ方向を見張る人が増えても、死角は消えないでしょ」
みなもは物置の裏から通路へ出る場所を指した。
「ここが見える位置へ一人置けば、回り込んでくる人も分かる」
疾風は図を見つめた。
荷を運ぶときにも似たことがある。
積み荷の上からなら綱の全体を見渡せるが、下へ潜らなければ分からない結び目もある。片側だけ見て締めれば、荷が傾いたときに困る。
「そういや、ナギも昨日何か見てたな」
「何を?」
「訓練場の端で、塀の方を見てた」
「聞かなかったの?」
「帰ったら試験の答えを考えるのに忙しかったんだよ」
「順番が逆だよ」
みなもは呆れた顔をした。
コウは自分の観察票を押さえ、紙の端をきちんとそろえた。
「そろそろ出してくる」
「うん。お願い」
コウが二枚をまとめ、受付の机へ運んでいく。
役人が内容を確認し、受け取りの印を押した。
疾風は自分の観察票を見下ろした。
「今からでも書くか」
「見てない場所は勝手に埋めないでよ」
「分かってるって!」
疾風は腰の袋から筆を取り出した。
昨日、自分が見た中庭の入口なら覚えている。物置の位置や通路の曲がり方も、大体は分かる。
だがナギが何を見つけたのかは知らない。
妖怪側の記入欄へ筆を運びかけ、手を止めた。
「……ここは書けねえな」
「そうでしょ」
みなもは自分の紙を受け取るため、受付へ戻っていった。
そのとき右の扉が開いた。
「次。風切疾風」
試験官が呼んでいる。
疾風は空白の残る観察票を畳み、袋へしまった。
「行ってくる!」
みなもが振り返った。
「何が足りなかったか、ちゃんと覚えておいで」
「最初から間違えるつもりじゃねえよ!」
疾風は試験室へ入り、扉を閉めた。
*
試験室の机には、中庭の木製模型が置かれていた。
物置と塀の位置だけでなく、通路の幅や荷台を置く場所まで再現されている。
机の向こうには巌堂玄蔵が座り、その隣で別の試験官が採点用の帳面を開いていた。
玄蔵の腰には、昨日と同じ握り飯の包みが下がっている。
「座れ」
「はい!」
疾風は椅子へ腰を下ろした。
傷の残る掌を机に置きかけ、膝へ戻す。
玄蔵はその動きを見たが、何も言わなかった。
「お前は物置から荷を運び出す役だ。外には見張りを三人置ける。どこへ置く?」
疾風は模型をのぞいた。
入口は東と南にある。物置から荷台へ向かう道は中庭を横切り、塀の上には狭い足場が作られている。
「一人目は東の入口だな」
木の駒を一つ置いた。
「ここを押さえれば、外から入ってくる奴が見える」
「二人目は?」
「南の通路。荷台へ運ぶ道が見えるから、何かあれば知らせられる」
二つ目の駒を置く。
残る一人は物置の角へ配置した。
「ここなら荷を運び出す場所も見張れる。屋根の上は足場が悪そうだから、無理に上がらせねえ」
玄蔵は帳面へ印をつけた。
「理由は」
「荷を運ぶ人間の邪魔をせず、外から来る奴を見たい。それに荷台へ積んだ物も確かめられる」
「悪くない。だが一つ抜けている」
疾風は模型を見直した。
東の入口。
南の通路。
物置の角。
どこから人が来ても、誰かが気づけそうだった。
「どこだよ……じゃなくて、どこですか?」
玄蔵は答えなかった。
「お前の相棒は何を見た?」
「ナギ?」
「昨日の観察だ。お前とは違う場所を見ていたはずだろ」
疾風は口を閉じた。
ナギは昨日、訓練場の端へ行っていた。塀の近くで足元を確かめ、何か言おうとしていた気もする。
だが、何を見つけたのかまでは聞いていない。
「……聞いてねえです」
「聞いていない?」
「俺が見た場所は説明できる。でもナギが見た所は聞いてなかった」
隣で採点の筆が動いた。
玄蔵は木の駒を指した。
「では、この見張りはどこまで見える?」
疾風は物置の角に置いた駒を見た。
「正面の荷台と、南へ続く道だ」
「物置の裏は?」
「角にいるんだから見えるだろ」
「実際に立って確かめたか」
「……いや」
玄蔵は模型の裏側へ細い棒を差し入れた。
物置の背後には狭い通路がある。模型を正面から見ていた疾風には、壁の陰に隠れて分かりにくい位置だった。
玄蔵は棒を通路に沿って動かした。
「ここを通る者は、いつ見張りから見える?」
棒の先は物置の壁に隠れたまま進む。
通路の出口へ出たところで、ようやく木の駒から見通せる位置になった。
「……荷台のすぐ後ろだ」
「そうだ。気づいたときには荷へ手が届く」
疾風は三つ目の駒を持ち上げた。
「だったらここを下げれば――」
「今の説明を聞いてからなら、誰でも直せる」
疾風の手が止まった。
玄蔵は帳面へ印をつけた。
「見張りの配置そのものは悪くない。だが死角の確認が足りん。そこは減点する」
「……はい」
「お前は運び屋だろ。積み荷を上から見たら、下の綱も同じように見えるか?」
「見えない。潜らねえと分からない所もある」
「なら相棒が下から見たものを聞け。今日はそれが足りなかった」
疾風は模型へ目を戻した。
自分が置いた三つの駒は、どれも理由があって選んだ場所だった。
それでも、物置の裏には見えない道が残っていた。
玄蔵が次の設問を出す。
「荷を運んでいる途中で、見張りが一人いなくなった。どうする?」
疾風はすぐには答えなかった。
残った二人の位置を確かめ、見られる範囲を指で追ってから口を開く。
「荷をいったん止める。残った見張りの位置を変えて、入口を押さえる。それでも足りなきゃ人を呼ぶ」
「誰に知らせる?」
「荷を運んでる奴と、残りの見張りだ」
「よし。次」
その後も質問は続いた。
夜道で人を避ける方法。荷を置いて逃げる判断。足場が崩れたとき、どこへ綱を掛けるか。
答えられるものもあれば、考え込むものもあった。
最後に玄蔵が尋ねた。
「相棒が契装を拒んだらどうする?」
疾風は顔を上げた。
「止まる」
「理由は?」
「無理だって言ってるからだろ。何が無理なのか聞いて、別の方法を探す」
「相棒が答える前に、敵が来たら?」
「そのときは俺が動く。でもナギを勝手に武器にはできねえよ」
玄蔵は短く頷いた。
採点用の帳面が閉じられる。
「以上だ。退室しろ」
「ありがとうございました!」
疾風は椅子から立ち上がった。
扉へ向かったところで、背後から小さな音がした。
玄蔵の腹が鳴ったのだ。
疾風が振り返ると、教官は腰の握り飯を押さえたまま真顔で座っている。
「何も聞かなかったな」
「はい!」
今度は迷わず答えた。
*
廊下へ戻ると、ナギが長椅子の上で待っていた。
「遅えぞ」
「問題が多かったんだよ。お前はどうだった?」
「普通だ」
「普通って何だよ。何聞かれた?」
「俺のことだよ」
ナギは尾を伸ばした。
「それより、お前は?」
「見張りの問題で減点された」
「何で?」
「物置の裏の死角を見落とした。お前が何を見たか聞かれたけど、答えられなかった」
ナギの耳が少し動いた。
「あそこか。昨日言おうとしたぞ」
「……そうだったな」
「お前が試験の答えと昼飯の賭けの話ばっかしてたからだろ」
「悪い。ちゃんと聞いときゃよかった」
疾風が謝ると、ナギは少しだけ目を丸くした。
「何だよ。今日は言い返さねえのか?」
「点を引かれたんだからしょうがねえだろ」
「珍しいな」
「そこは褒めろよ!」
ナギは笑い、長椅子の端へ移動した。
「物置の裏は塀沿いに地面が低くなってたんだ。角に見張りがいても、しゃがめば姿が隠れる」
「じゃあ三人目を、通路の出口が見える場所にすればいいのか」
「おう。出てくる所を押さえれば、荷台の後ろへ回られる前に分かる」
疾風は袋から観察票を取り出した。
「今からでも書いとく」
「試験は終わったぞ」
「分かってる。でも次に同じ場所を見たら忘れねえだろ」
ナギは疾風の膝へ移り、紙の端を前足で押さえた。
疾風は自分が考えた見張りの配置を書き、その下へナギが見つけた死角を記した。
最初は空白だった妖怪側の記入欄に、少しずつ文字が増えていく。
「ここの道幅は?」
「人が一人通れるくらいだな。荷を背負ってたら壁に当たる」
「じゃあ大箱を運んでる奴は通れねえな」
「小さい荷ならいけるぞ」
疾風はその違いも書き足した。
筆を置いたところで、廊下の向こうからみなもとコウが戻ってきた。
「どうだった?」
みなもが声を掛けた。
「一問落とした。死角を見てなかった」
「観察票のところ?」
「ああ。ナギが見た場所を聞いてなかった」
コウが疾風の紙をのぞき込んだ。
「そこ、書き直してるね」
「試験の後だけどな」
「次に使えるよ」
コウは静かに答えた。
疾風は筆をしまい、みなもを見た。
「お前らはどうだった?」
「うちたちは二人分の観察票を出したよ。採点はまだ分からないけど」
みなもは肩をすくめた。
「うちの見積もりだと、二人で確かめた分だけ見落としは減ったと思う」
「俺たちも次は二人で見る!」
「次って明日でしょ。準備するなら早くした方がいいよ」
疾風が顔を上げた。
「明日? 次は何やるんだ?」
みなもは廊下の掲示板を指した。
今朝まで面接の時間割が張られていた場所に、新しい紙が貼られている。
受験者たちが集まり始めていた。
疾風も立ち上がり、ナギを肩へ乗せて掲示板へ向かった。
中央に大きく書かれた文字を読む。
『実技試験 密書の持ち出し』




