最終話 幸せの指輪
男爵家を訪れた数カ月後、私は必要最低限の供だけを連れて、ある修道院に来ていた。
「⋯⋯ジャクリーン様。あなた様は、『ナンシー様の妹』ということになっています。ナンシー様にも、間違えて『妹』に敬語を使わないよう言い聞かせています。
面会室には立会人の目もあります。⋯⋯どうか、中に入ったら会話にお気をつけくださいませ」
私に耳打ちしてくれたのは、男爵家のメイドだった。修道院の入り口近くにある小部屋に招き入れてくれる。
ここからは、供を連れては行けない。ここまで付いてきてくれた侍女と護衛に、入り口で待つよう指示を出す。
男爵家のメイドの後に続いて、面会室に入った。
「⋯⋯久しぶりですね、ナ⋯⋯お姉様」
「は⋯⋯。え⋯⋯、ええ、そうね⋯⋯」
ナンシーは敬語が使えない分、話しづらそうだ。面会室には修道女が一人、立会人として控えている。
ナンシーが修道院に入ったという知らせを受けたときは、大層驚いた。
ナンシーは突然、修道院に入って療養したいと男爵に願い出てきたそうだ。男爵はしかるべき家に嫁に出す心づもりだったので、なんとか彼女を説得しようとした。しかしナンシーの決意は固かったようだ。
『病弱な私では、家の利になる縁談は見込めません。かと言って、いつまでもこの家にいるわけにもいきません。
お父様、どうか私を修道院に入れてください。嫁入りするよりは、持参金がかからないはずです』
病弱な貴族令嬢が修道院で療養に専念するためには、それなりの金額が必要である。それでも、嫁入りの持参金に比べると低額だし、持参金を納めることで医療を受けられる。
その一方、修道院に入ってしまうと、家族とさえなかなか会えなくなってしまう。世俗との関係を断ち切るための決まりごとだ。
「お姉様が修道院に入られたと聞き、大変驚きました。⋯⋯理由を教えていただけますか?」
意を決して聞いてみると、なぜだかナンシーがくすっと笑った。
「⋯⋯優しさを、自分にも分け与えた結果です。
⋯⋯だわ」
「えっ?」
以前よりはふっくらした顔が、私に微笑みかける。
「⋯⋯ある人に、言われたの。『言い訳を続けていたら、いつか本当の気持ちを見失うだろう』って⋯⋯」
私のことだ。いや、正確に言うと、兄のジャクソンの言葉だが。
もしかして、それがきっかけで修道院に入ったのだろうか。人の人生を左右してしまった可能性に、ぶわりと冷や汗が出る。
「私の心の重しは、病弱で家族に迷惑をかけていることと、いつまでも好きな人を忘れられないことだったわ。
健康な人がうらやましかった。⋯⋯彼の婚約者がうらやましかった。そしてそんなことをぐるぐる考え続ける、醜い自分が許せなかった⋯⋯っ」
ナンシーの声に涙が混じる。だが彼女は、何度かまばたきを繰り返して泣くのをこらえた。
男爵領でもそうだったが、彼女はいつも泣きそうで泣かない。一体いつから涙をこらえることを覚えたのだろう?
たった一人でエドワードを探すと決めたときから? あるいはもっと前⋯⋯エドワードに婚約者がいるとわかってからだろうか?
ナンシーは穏やかに続ける。
「だから、『自分にも優しさを分け与えて良い』と言ってくれる人がいて、救われる思いだった。自分を許して、自分を好きになる努力をしようと思えたの。
私の病弱は生まれつきだけど、体調が良い日は刺繍もできる。いつか、刺繍で色々な服を作って、服が買えない環境にある人たちの力になりたいの」
「⋯⋯それで、治療に専念することにしたのですか? 修道院に入ってまで⋯⋯」
「ええ」
どこかすっきりした顔で言うナンシーには、迷いがなかった。ナンシーの修道院入りを聞いて心配していたが、杞憂だったようだ。
思わず、声を立てて笑ってしまう。私を「妹」と偽ってまで、ここに送り込んできた男爵の苦労が偲ばれる。彼はきっと、ナンシーの心の強さを知らない。
だったら私がすべきことはただ一つ。男爵にきちんと伝えることだ。「あなたの娘は、守られるだけの存在じゃない」と。
いつか誰かを助けるための大きな力を秘めている。その力を発揮するその日まで、どうか男爵にはナンシーを見守っていてほしい。
帰ったらすぐ男爵に手紙を書こう。きっとそれが、「妹」の努めだと思うから。
立会人の修道女に辞去のあいさつをすると、「ずいぶんとたどたどしい姉妹でしたね。⋯⋯まあ、今回は目をつむります」と苦笑して許してくれた。
私は立ち上がり、ナンシーと最後の別れを惜しんだ。今回は家族と偽って面会させてもらったが、同じ手は二度と使えないだろう。
最後にもう一度だけ、ナンシーを振り返る。彼女は笑顔で見送ってくれた。
エドワードの婚約者と、想い人という不思議な因果で出会った私たち。
結局、彼女がエドワードと恋人だったのかどうか、はっきりとは聞かずじまいだった。でも、なんとなくそれで良かったのだと思った。
ある晴れた日。ついに私とエリオットは夫婦になった。
式後の婚礼の宴では、親族や友人、多くの人々が詰めかけた。楽しげな歌や踊りで、夜遅くまで私たちの結婚を祝福してくれた。
宴には、見慣れた顔がたくさんある。
スペード子爵家は相変わらず両親と、待つのが苦手な兄が領地を治めている。兄はせっかちな分、仕事が異様に速いので、子爵家は次代も安泰である。
ロレッタとはなかなか会えなくなってしまうが、これからも手紙のやり取りは欠かさないつもりだ。
姪のアネットはすくすく成長している。体重が重くなり、抱っこするのが大変だとロレッタがぼやいていた。
クレイ卿は奥方と使用人を連れて、別邸で暮らし始めた。家令や家政婦長に至っては、その地位を返上してまで別邸についてきたというから驚きだ。
酒宴の喧騒から少し離れて、銀の指輪を夜空にかざしてみた。ガーネットが月の光に照らされて、どことなく神聖な輝きを放っている。
「その指輪、双子の指輪というそうですよ」
エリオットが私の隣でささやく。指輪は、二つで一対のデザインで、二つを重ねるとぴったり合わさる形になっている。なるほど、双子のようだ。
そして、今日も当たり前のように敬語を使ってくる。エリオットは「もはや癖になっちゃってるんです」と、敬語や敬称を崩していない。
私たちの出会いを思えば無理もないのかもしれない。
ここまでの、少々奇妙な日々を思い出す。思えば不思議な道のりだった。
病弱な幼なじみにかまけて私を放置する婚約者にあきれ返った。でもエドワードの不在にはおかしな点がいくつもあって、調べると伯爵の成りかわり計画が判明した。
婚約は解消できたけれど、エリオットと会えなくなってつらかった。でもエリオットが求婚してくれて、ようやく私たちは一緒になれたのである。
お互いの欠けた面を補う双子の指輪。私が婚約者の不在に耐えていたとき、寄り添ってくれたエリオットのようだ。
エリオットが持っていた指輪は、今日の結婚をもって、二連とも私の薬指にはめられるようになった。
完璧な人なんていない。きっと誰もが欠けた部分を持ち、補い合いながら生きている。
「エリオット。私、あなたを幸せにしてみせるわ」
エリオットがびっくりした顔をしたが、すぐ笑顔に変わる。照れたように頭を掻く。
「俺はもうすでに幸せにしてもらいました。誰よりも愛する、あなたと結婚できましたから。
だから今度は、俺があなたを幸せにする番です」
私の胸に幸福感が広がる。私だって、もうとっくに幸せだ。
彼がいて、みんなが幸せそうに笑っている。これに勝る幸せはない。
ふと、誰かが私たちを呼ぶ声がした。彼に腕を絡ませ、二人でみんなのもとへ戻っていく。
——月が、優しく私たちを見守っていた。
これにて完結です!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
読者の皆様のおかげで、心が折れることなく最後まで書き切ることができました。
この作品が、少しでも皆様の息抜きになれば幸いです。




