婚約者は、今日も病弱な幼なじみの元へ行く
「ジャクリーン様⋯⋯、今日は本当にありがとうございました」
「いやぁ、ご令嬢はどんな魔法を使われたのですかな? おかげさまで、ナンシーは見違えるように元気になりました」
ナンシーと男爵が私たちを見送ってくれる。感謝の念を向けられ、くすぐったくなる。私の結婚に関する疑念が解消され、心なしかナンシーの顔色も良くなったように思える。
「私たちは何もしていません。ナンシー様が私のことを心配してくださっていたようなので、私は十分幸せだとお伝えしただけです」
「ははは、謙虚でいらっしゃる。お二人はまもなく結婚されるとか。ぜひまたご夫妻で遊びに来てください。男爵家はいつでも歓迎します」
男爵は上機嫌だ。弱っていくナンシーに気をもんでいたのだろう。これだけでも、彼女がどれほど愛されているかがよくわかる。
それでも、彼女は立ち止まったままでいるつもりだろうか。
「ナンシー様」
名前を呼ぶと、彼女が不思議そうに見返してくる。私の声色が変わったことに気づいたのだろう。
「もう、前を向いても良いのではないですか?」
ナンシーだけじゃなく、エリオットと男爵も驚きを浮かべて私を見た。
「ナンシー様は優しい方です。でも、エドワード様の影を追い求めて、身動きが取れなくなっているように見えるのです。
ナンシー様は私を気遣ってくださいました。『もう少し早く婚約から解放されていたら、もっと良い縁組があったのではないか』と⋯⋯」
「えっ?!」
エリオットが素っ頓狂な声を出した。
てっきり、私たちの会話を最初から聞いてからあの場に現れたのかと思っていたが、この反応を見る限り違うようだ。
だが今はナンシーの方が大事だと思い直し、話を続ける。
「ナンシー様。実は私もいろいろと理由をつけて、縁組を断り続けていました。そんなとき、兄に言われたのです。
『言い訳を続けていたら、いつか本当の気持ちを見失うだろう』と⋯⋯」
「本当の気持ち⋯⋯」
「ええ。私の場合、『家族に迷惑をかけてはいけない』と、気持ちにふたをしていました。でも、自分の気持ちに正直になったおかげで、エリオットと人生を歩めるようになり⋯⋯今はとても幸せです」
視線をナンシーからエリオットに移す。私の笑みに、エリオットがほっとしたように微笑み返してくれた。
「ナンシー様の場合も同じです。
私への遠慮とか、自分だけはエドワード様のことを覚えていてあげようとか、立ち止まる理由をいったん忘れてほしいのです。ナンシー様の優しさは美徳ですが、その優しさをナンシー様自身にも与えてあげてくださいませ」
ナンシーは泣きそうに顔をゆがめた。エドワードの名前を出したからだろう。私がナンシーの気持ちに勘づいていると、どうやら悟ったようだ。
少し待ってみたが、彼女は何かを言おうとして、結局口をつぐんだ。私はナンシーと男爵に別れのあいさつをして、馬車に乗りこむ。後は、ナンシー自身が決めることだ。
「⋯⋯ジャクリーン様はナンシー様を『優しい』と言いましたが、俺はジャクリーン様の方が優しいと思います。
エドワードと彼女の気持ちを知った上で、背中を押してあげるなんて、⋯⋯そうそうできることじゃありません」
エリオットの声は温かく、私を心地よく包みこんでくれた。
「彼女も貴族です。縁談から逃げ続けるのは難しいはず⋯⋯。ナンシー様は、どんな決断を下すでしょうか?」
「彼女次第ね。エドワード様だけを思って生きていくか、あるいは別の誰かと生きていくか⋯⋯」
エリオットは、なぜかくすっと笑う。怪訝な顔をする私に言った。
「すみません、ジャクリーン様。『エドワードがこの状況を見たら何て言うだろう』と思ったら、つい⋯⋯。」
エリオットが、「侍従」ではなく「弟」としてエドワードの話をするのは初めてだ。
「エドワードは不思議なやつですね。もうここにはいないのに、今でもいろんな人に影響を与えている。
ナンシー様はエドワードを忘れまいとしています。俺は、成りかわり計画があったからジャクリーン様と出会えた。認めたくないけど、エドワードのおかげです」
言われてみると、エリオットの言うとおりだ。私は冗談めかして言う。
「エドワード様がこの状況を見たら、さすがに怒るかもしれないわね。よりによって最愛のナンシー様に、『エドワード様に遠慮するな』って言ってしまったもの。
まあ、でもこのくらいは大目に見てほしいわ。だってナンシー様が食事ものどに通らない状態だったのよ? きっと私の婚約者が生きていたら、今日も病弱な幼なじみの元へ飛んで行ったに違いないもの。
このくらいの意趣返しはかわいいものよ」
わざとすねたフリをしてみせる。エリオットがそっと私の肩を抱く。
「⋯⋯エドワードは太陽みたいなやつでした。明るくて、友だちが多くて⋯⋯。
ずっと夜会で放置されてつらかったでしょう。原因は俺や、俺の父にあります。
ジャクリーン様。俺が、エドワードのことを覚えておきます。だから、ジャクリーン様は⋯⋯もう忘れていいんですよ」
エリオットこそ優しい。彼の肩に頭を預けて答えた。
「⋯⋯忘れない。少なくとも、意識的に忘れようとはしたくないの。
エドワード様との婚約があったから、今の私がある。いつか幸せな日々があふれて、自然と忘れるその日までは、もう少しだけ覚えていてあげようと思うの」
たった一度、顔合わせで会っただけの少年の顔。正直もうぼやけて思い出せない。
でも、すべてを忘れたわけじゃない。
大人たちが仕事の話を始めてしまい、私と二人きりでどう場をつなぐか困り果てていた表情。足をぶらぶらさせて大人に注意されたとき、すぐに直した素直さ。
あのときの少年を、もう少しだけ覚えていよう。ガタゴト揺れる馬車の中、私とエリオットは静かに涙を流した。
ぽつりぽつりと彼の話をして、ときどき笑って。私たちはようやくエドワードの死を悼むことができたのである。
次回、最終話です。
どうか最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




