ナンシーの怒り
「お父様がスペード子爵令嬢をお呼び立てしたと聞いたときは、とても驚きました。しかもエドワード⋯⋯様のご婚約者に、『エドワード様を亡くして落ち込む娘に会ってやってほしい』と頼むなんて⋯⋯。本当に申し訳ありません」
「男爵様は、私がエドワード様の婚約者だったことは知らなかったようです。だから仕方ありませんわ。
それに、どうか気軽に『ジャクリーン』とお呼びくださいませ。私も『ナンシー様』とお呼びしてよろしいですか?」
話しながらさりげなくナンシーを盗み見る。話には聞いていたが、ナンシーは三年前に会ったときと比べて、かなりやせてしまっている。
「ありがとうございます。これまであまり出かけることがなかったので、なかなか友人ができなかったのです。名前で呼びあうことができるなんて、うれしいですわ」
ナンシーは本当にうれしそうに笑う。その笑顔は愛らしく、だからこそ痩せこけた頬が余計に痛ましく映る。
先ほど男爵が言っていたことが気になるが、ここはひとまず、ナンシーの体調を優先すべきだ。エドワードのことはいったん意識の外に押しやって、ナンシーの憂いを取り除かなければ。
ふと、ナンシーが思いつめた表情で口を開く。
「ジャクリーン様⋯⋯、本当に申し訳ありません。予想外でしたが、今日お会いできてよかったです。
結婚するとお聞きしてから、ずっと謝りたいと思っていたのです」
「何をですか?」
理由が思いあたらない。いや、もしかするとエドワードのことだろうか。
先ほどの男爵の言葉を思い出して、わずかに気持ちが沈む。思えば、ナンシーは何度もエドワードを呼び捨てにしては言い直していた。
エドワードも、ナンシーに何度も会いに来ていたようだ。お互いに幼なじみ以上の気持ちがあったに違いない。元婚約者としては複雑な気持ちだ。
ナンシーは張り詰めた表情で言った。
「それは⋯⋯代官との結婚です。」
「エリオットとの結婚?」
いけない、今はナンシーの悩みを解決することが優先だ。私で力になれるかどうかはともかく、彼女の話に集中しなければ。
気を取り直して、できるだけ明るく言う。
「ああ、男爵様へのお手紙でも事前にお知らせしましたが、結婚することになりました。
男爵領は風光明媚で素晴らしいですね。夫となる彼も一緒に見れたら良かったのですが⋯⋯」
税の徴収や裁判を執り行う代官は、何かと気苦労が多い役職だ。美しい景色は、エリオットの息抜きになるかもしれない。
「しかし私とエリオットの結婚で、なぜナンシー様が謝らなければならないのでしょう?」
ナンシーはしばらく沈黙した。何かを思いめぐらせているようだったが、意を決したように尋ねてくる。
「ジャクリーン様⋯⋯。無礼を承知でお聞きします。
クレイ伯爵家の代官との結婚⋯⋯本当は不本意だったのではないですか?」
「えっ⋯⋯?」
心底びっくりした。エリオットとの結婚が不本意?どういうことだろう?
「伯爵家が世話した縁組だと聞きおよんでいます。父は、『伯爵領にとって、またとない良縁だ。有能な代官に貴族の令嬢が嫁ぐのだ。伯爵領はさらに栄えることだろう』と喜んでいました。
⋯⋯たしかに伯爵領にとってはそうでしょう。しかしジャクリーン様はどうですか? 子爵家のご令嬢が平民に嫁ぐなんて、あまりないことです。
もしかして、婚約解消の影響で縁談に恵まれず、伯爵家の縁談を断れなかったのではないですか?」
ナンシーはそこまで一気に話し切ると、ふうっと怒りを逃がすようにため息をついた。
「伯爵が成りかわりなど思いつかなければ、もっと早くジャクリーン様は婚約から解放されたはずです。そうであったなら、良縁に恵まれたに違いありません。
すべては伯爵家のせいなのに、足もとをみて自領に取り込むなど⋯⋯、貴族の風上にもおけません。
しかしそれ以上に、私は自分が許せません。助けてくださったジャクリーン様が苦境にあるのに、私は何もできない⋯⋯。どうかお許しください、ジャクリーン様」
くやしさのにじむ声だった。ナンシーは、私に向かって深く頭を下げてきた。ようやく、彼女の憂いの正体に気づく。彼女は私が伯爵に利用されていると思っているのだ。
「ナンシー様、どうか頭を上げてください。私は伯爵領に取り込まれてなどおりません。
エリオットとの結婚は私自身の意思で受けました。クレイ卿は縁談を無理強いしてはいないのです。する理由もありませんしね」
「ですが⋯⋯」
「クレイ伯爵家とスペード子爵家との間には、すでに交易の利があります。これ以上、政略結婚で結びつく必要がないのです」
「そう⋯⋯なのですか?」
ナンシーは何度かぱちぱちとまばたきをした。私の言葉が真実かどうか、頭の中で咀嚼しているようだった。
優しい女性だ。恩ある私が苦境にあるかもしれないと胸を痛めていたのだろう。思えば、出会ったときからそうだった。
エドワードとナンシーは両思いだった。でも私が婚約者だと知って、そのことを黙っていた。私が傷つくと思ったのだろう。
本当はほかの人との縁談を受け入れられないくらいエドワードが好きなのに、私のために思いにふたをしている。
私はそもそもエドワードに対して、そこまで強い感情は抱いていない。彼女があえて自分を幸せから遠ざけているように見えるのは、気のせいだろうか?
もう彼女は気兼ねせず、自分の道を歩んでいってほしい。誰に対しても遠慮などしてほしくない。
それはもちろん、私にも。⋯⋯そして、エドワードに対しても。
「ジャクリーン様との結婚は俺が望んだからです。伯爵家には仲介を頼んだだけで、政略ではありません」
懐かしい、声。
この声だけは、⋯⋯彼の声だけは聞き間違えない。
「エリオット!」
東屋の入り口から現れたのは、エリオットだった。以前より背が伸びて、大人っぽくなっている。
思わずはしゃいだ声を出してしまった私に、エリオットが微笑みかけてくれる。
「エ⋯⋯エドワード?」
見ると、ナンシーが驚愕に目を見開いていた。
なるほど、言われてみると前髪を短く切ったエリオットはエドワードに似ているのかもしれない。私自身は、エドワードとは顔合わせ以来、まったく会っていないので判断がつかない。
「私はクレイ卿の縁者なので、伯爵令息と少し似ているかもしれませんね」
本人もエドワードと似ている自覚があるからか、ナンシーの言葉をさらりとかわす。
「エリオット、どうしてここに⋯⋯」
私の問いに、エリオットが笑顔で答えてくれる。
「ジャクリーン様の婚約者だと説明して、男爵家の使用人にここまで案内してもらいました。
『男爵家に見舞いに行く』と知らせてくださったでしょう? 俺の任地と近いので、ジャクリーン様に会いに来たんです。
渡したいものもありましたし」
「渡したいもの?」
エリオットは無言で、懐から何かを取り出す。それは、ガーネットの指輪だった。
「ジャクリーン様にこれを付けてほしくて、ここまで来ました。
俺の身分では、伯爵家を頼らないとジャクリーン様に求婚できませんでした。でも、自分の気持ちだけは、きちんと会って伝えたかったんです」
そう言うと、エリオットはひざまづいて私に指輪を差し出した。彼が今から何を言おうとしているのか、なんとなく察してしまい、息をのんだ。
「ジャクリーン様、ずっと愛していました。あなたに伝えるのに三年もかかってすみません。
どうか俺と結婚してください」
彼の真剣な顔と、両手に掲げ持った指輪を見比べる。
ガーネットの深い、深い赤。
貴族でない彼には、ルビーは買えなかったのだろう。でも、ルビーよりも重厚な真紅が、彼の愛の深さを表しているように思えた。
指輪を持つ彼の手に、自分の手のひらを重ねる。おずおずと力を込めて包み込むと、彼の顔が真っ赤に染まる。
「結婚を、お受けします」
彼がくれた指輪は、二連で一つに重なるタイプのものだった。もうひとつの指輪の片割れは、革紐に通されて、彼の首元にかけられている。
「ありがとう、エリオット。私に会いに来てくれて。
三年間、ずっとあなただけを待っていた。ずっと、あなたに会いたくて会いたくて、たまらなかった⋯⋯っ」
こらえきれず泣き出した私を、エリオットがそっと抱きしめてくれる。私はしばらくエリオットの胸の中で涙を流した。
どれくらいの時が経っただろうか。涙が落ち着いた頃、私はエリオットから体を離した。ここが男爵家の東屋だということを、すっかり忘れていた。
若干気まずい気持ちでナンシーを見る。ナンシーは私に近づき、そっとハンカチで私の目元をぬぐってくれた。
「⋯⋯先ほどは失礼しました。代官様となら、きっとジャクリーン様は幸せな結婚ができる。
クレイ伯爵⋯⋯様のお世話した縁談だからと、勝手な思い込みで断じたことをお詫びいたします」
そういえばナンシーは先ほどまでクレイ卿を「伯爵」と呼び捨てていた。丁寧なナンシーらしくもない。おそらくは、エドワードの死を隠し続けた伯爵に対する、怒りの深さゆえのことだろう。
彼女は私とエリオットを優しい目で見た後、東屋に視線を移した。どことなく寂しそうな表情で、東屋の小さな緑棚や木のベンチのあたりを見つめている。
まるで、もうそこにはいない、誰かの在りし日を懐かしむように。
あと2話です。
本日17:55頃に最終話を投稿します!




