男爵領へ
のどかな田舎町を一台の馬車が走っていく。整備されていない道を慎重に走らせてくれているが、それでもガタゴトと音がして、激しく揺れた。
目的地に着いたとき、私はすっかり酔ってしまっていた。隣に座る侍女を見やる。
「うう⋯⋯。大丈夫? だいぶ揺れたわね⋯⋯」
「お嬢様、つかまってください。まだ足もとがふらついてますよ」
私の手をひいて馬車から降ろしてくれる。
屋敷にたどり着くと、エドワードの幼なじみナンシーの父親——ビリアム男爵が出迎えてくれた。
私たちが男爵家の屋敷を訪ねたのは、ビリアム男爵から手紙をもらったからだ。読んでみると、娘がずっと病に伏せっているという内容だった。
伯爵が嫡男の死を長年にわたって隠蔽したという衝撃的な事件は、国中をおおいに騒がせた。
男爵は当初、エドワードの死を娘に知らせるべきかどうか迷ったという。しかしナンシーは、何度でも家を抜け出してエドワードを探しに出かけようとする。
脱走しようとして無茶をしては、体調を崩すという悪循環。こっそり家を抜け出すナンシーとの攻防は、実に三年も続いた。
悩んだ末、男爵は娘にエドワードが亡くなっていたことを伝えた。それでも、死因が風邪だということは言えなかったらしい。エドワードが風邪をひくきっかけを作ってしまったのはナンシーだ。事実を知ったら自分を責めるに違いない。
男爵はナンシーに、「伯爵家のご嫡男は落馬事故で亡くなられた」と言った。ナンシーはショックを受けていたが、伯爵の言葉を疑うそぶりはなかったらしい。
ほっとした男爵は、「娘を元気づけるために何か明るい話題を」と思い、私の結婚話をしたらしい。
ビリアム男爵領とクレイ伯爵領は近く、情報が入りやすい。将来有望な代官と、交易で協力関係にあるスペード子爵家の令嬢との婚姻は、伯爵領で好意的に受け入れられている。ナンシーを保護したときに男爵家と連絡を取り合ったので、男爵は私が伯爵家と交易しているスペード家の者だと認識していたのだ。
これで娘も少しは元気が出るだろう。男爵はそんな思いで、娘の恩人の結婚を話して聞かせた。
しかしその日からナンシーはみるみる弱っていった。ぼんやりと考え事をすることが増えて、医者に見せても原因が分からない。
やはり、伯爵令息の死が娘の心を蝕んでいるのだろうか。ただでさえ虚弱体質なのに、このままでは娘は死んでしまうのではないか。
心配した男爵は、藁にもすがる思いで私に手紙をしたためた。私はかつて、王都までエドワードを探しに来たナンシーを保護したことがある。「親に言えないことでも、同世代の令嬢には言えるかもしれない」という思いから、私に助けを求めたのである。
男爵領に行くことを決めた私は、出発前にエリオットに手紙を出しておいた。「ナンシーが心配なので、ビリアム男爵家にお見舞いに行ってきます」という内容だ。
エリオットに手紙を出すのは勇気が必要だった。でもロレッタの言うとおり、生半可な気持ちでは子爵令嬢に求婚などできない。エリオットを信じようと思った。
(手紙が届いたら、エリオットも近況を書いて返事をくれたら嬉しいな⋯⋯)
期待と不安を胸に秘め、男爵領に向かった。
男爵家に着くと、男爵自ら出迎えて歓迎してくれる。私は声をひそめて聞いてみた。
「⋯⋯ナンシー様に会う前に、確認しておきたいことがあります。ナンシー様は『エドワード様は落馬事故で亡くなった』と今でも信じておられるのですよね?」
「ええ、そこは疑っていないようなので、大丈夫だと思います」
男爵と綿密に確認していく。この後会うナンシーとの話に齟齬が出てはいけない。
どこまで知らせているのか尋ねると、エドワードの死因以外は真実をありのままに伝えているとのこと。
それなら、その部分さえ気をつければ、普通に会話できるだろう。ほっとした私に、男爵が独り言のように言う。
「伯爵令息が亡くなられていたとは、正直なところ残念です。ご令息は、ナンシーと心を通じ合わせていました。
すでに婚約者が決められていたようなので、正妻は無理でも愛妾にしていただけたらナンシーも幸せだったでしょうに⋯⋯。
ナンシーは、縁談をことごとく断っています。そろそろ令息のことを忘れて、自分の幸せを考えてほしいのですが⋯⋯」
男爵はきっと、私がエドワードと婚約していたことは知らないのだろう。心底残念そうな口ぶりだった。
『ご令息は、ナンシーと心を通じ合わせていました。』
少し考えてみればわかることだった。エドワードは、私とは最低限の手紙のやり取りしかしていなかった。けれど、以前のナンシーの話ぶりでは、彼女とはかなりの頻度で会っていたようだった。
ナンシーだってそうだ。特別な感情がないなら、王都までエドワードを病弱な身で探しに来るわけがない。
「あ、あの⋯⋯ジャクリーン様⋯⋯」
私の侍女は蒼白になり、私を見る。ずっと婚約者に放置された私の心情をおもんばかってくれているのだろう。彼女に心配をかけたくない。
「いいのよ。気にしてない」
何でもないように言ってから、ナンシーがいるという東屋に向かった。




