第106話:肥大する虚像
翌朝。
宿の朝食を済ませた俺は、ガロードとジーンを部屋に呼び出し、昨晩見つけたあの極小の魔石をテーブルの上にコトリと置いた。
「……で? これを見て、何か思うところはあるか?」
ジーンは目を細め、指先でその黒ずんだ赤い粒を弄る。
「ふむ……なんとも美しくない石だね。濁っているし、ボクの輝きには遠く及ばない。だが、微かに魔力の残滓のようなものは感じるよ。少なくとも、その辺の石ころじゃないことは確かだね」
「……」
一方のガロードは、石を顔に近づけジッと見つめるが、しばらくして無言で突き返す。
全く興味を失ったようにぷいっとそっぽを向き、ポーチから取り出したサンドイッチを齧り始めた。
食えないとわかれば用はない、ということらしい。
「……お前らに聞いた俺が馬鹿だった」
俺は深い溜息をつき、魔石を再び布に包んでポーチにしまった。
この不気味な石ころの正体は分からない。
だが、あの異常なフレイムワイバーンと無関係だとは思えなかった。
「とりあえず、こいつはギルド経由で鑑定に出す。あのサザロの名前をチラつかせれば、マハレのオッサンも最優先で調べてくれるだろ」
問題は――これから向かう、サザロの屋敷での『報告会』だ。
──
─
「おお! アリア殿! 皆様方! よくぞお越しくださいました!」
俺たちがサザロの邸宅の応接室に通されるなり、サザロは満面の笑みで立ち上がり、両手を広げて俺たちを歓迎した。
「いやはや、昨日のフレイムワイバーンの討伐、誠に見事な手際でございました! 街の被害を最小限に抑え、あの凶悪な魔物を退けてくださるとは!」
「……ええ、まぁ、成り行きで」
俺が適当に相槌を打つと、サザロは感極まったように深く頷いた。
「ご謙遜を! しかも、街を無償で救ってくださるとは……これぞまさに、大国イドリア帝国の誇る知、イレイル皇子の遣わした使者ですな! その気高き使者の御振る舞い! 私、サザロ、感服いたしましたぞ!」
(違ぇよ……ッ! 本当は迷惑料にかこつけて、たんまりと請求するつもりだったんだ!)
だが、そんな本音を口に出せるはずがない。
なぜなら、俺たちは昨日の戦闘で、街のすぐ近くで派手に魔法をぶっ放し、騒ぎを大きくしてしまったという自覚があるからだ。
あの状況で、「よし、街を救ったから報酬をよこせ」などとゴロツキのように凄めば、使者としての体面は丸潰れだ。
それに、事前に俺自身が「任務の過程で行く手を阻むなら排除する」と、かっこつけて大見得を切ってしまった手前、今更訂正することなんてできなかった。
「ええ! わたくしたち、エルピノの皆様の平和を守るため、粉骨砕身の覚悟で挑みましたのよ!」
「ふふっ、ボクの放った愛の矢が、街の危機を穿ったというわけさ。感謝には及ばないよ」
俺の胃痛も知らず、エステルは本気で、ジーンは面白がってここぞとばかりに話を盛る。
(お前らはなにもしてねぇだろうが!! 黙ってろ!!)
ニーコは「あわわ……」と恐縮して小さくなり、ガロードは出された茶菓子を無心で平らげている。
俺が引きつった愛想笑いを浮かべていると、サザロはさらに目を輝かせて、とんでもないことを口走った。
「この感動的な顛末、そして使者殿の高潔な精神! 早速、領主であるオグルッド・ユーレイル様へ、先の魔族侵入の件に加え、使者殿方がフレイムワイバーンを退けた件も、別紙にて早馬でご報告申し上げましたぞ!」
「……は?」
俺の口から、素の低い声が漏れた。
「ええ! 報酬も辞し、街を救ったともなれば、領主様とて放って置けますまい。『正義感と慈愛に溢れるイドリアの使者様』と、筆を尽くして書き送りました! 領主様もさぞ、皆様とのご面会を心待ちにされることでしょう!」
(…………はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?)
『正義感と慈愛に溢れるイドリアの使者様』!?
誰がだ! どこの誰の話だ!? 俺たちの中に、そんな立派なヤツが一人でもいるとでも!?
「領主様からの正式な面会の許可が下りるまで、今しばらくこのエルピノでお寛ぎください!」
サザロはすっかり上機嫌でそう締めくくった。
俺は、こめかみをピキピキと引き攣らせながら、ただ無言で頷くことしかできなかった。
釘を刺すつもりが、刺す前に杭ごと打ち込まれてやがった……!
(クソッ……! 期待が天まで上がってやがる……!)
これから向かうユーレイル領の中心地。
そこで待っている領主は、俺たちを無償で人助けをする聖人君子の集まりだと完全に勘違いしているに違いない。
そんな無駄な期待を背負わされた状態で、あの魔族グァマの追跡を巡る泥臭い交渉をしなければならないのか?
(また、面倒事が増えちまった……)
いや、まだ見ぬ巨大な厄介事の匂いが、プンプンと漂ってきやがる。
「……アリア様? お顔の色が優れませんわよ? お腹でも痛いんですの?」
エステルが呑気に首を傾げてくる。
「……ああ、そうだな。胃に穴が開きそうだ……」
俺は深く、深く、重い溜息をつき、サザロの淹れた高級な紅茶を、ただ苦いだけの薬のように飲み下した。
(こうなったら、毒食わば皿までだ。この馬鹿げた勘違い……いや、『信用』を、最大限に利用して利益を引っ張り出してやる)
ワイバーン一頭分の素材と報酬をフイにしたんだ。
宿代が数日タダになるくらいじゃ、到底割に合わねぇ。
使者としての虚像が先行しているなら、それを交渉のカードとして使わせてもらう。
「サザロ殿、過分なお言葉、感謝いたします」
俺は表情を引き締め、イドリア帝国の使者として、芝居がかった……しかし威厳のあるトーンで口を開いた。
サザロが背筋を伸ばし、真剣な顔つきになる。
「ですが、我々がオグルッド・ユーレイル卿へ面会を求める本来の目的を、忘れてはいないでしょう?」
「は、はい。もちろん心得ておりますとも。魔族侵入に関する、イドリア帝国からのご報告……で、ございましたな」
「ええ。その通りです」
イレイル皇子の印が押された書状をユーレイル領領主へ届けることが『使者』としての役目だ。
この書状には、今回の国境の抜け穴から生じた魔族侵入の件について、帝国と王国の間で『責任の所在を有耶無耶にする』ための提案が書かれている。
どっちの国の警備がザルだったのかなんて水掛け論をしていれば、両国の間に無用な摩擦を生むだけだ。
だからこそ「責任問題は一旦横に置き、共に今後の防衛と調査に協力し合いましょう」と。
……もちろん、俺だって封書の全文を開けて読んだわけではないが、出立前にイレイルから聞かされた概要と、任命状に添えられた説明から察する限りでは、そういう内容だ。
(ま、あの腹黒皇子のことだ。それはもう回りくどく、慇懃無礼な貴族言葉で長々と書き連ねていることだろうぜ……)
「イドリア帝国からの使者としての役目は、ガルドア王国へ友好的な協力を求める書状を届けること。……ですが、我々〈ジョーカー〉には、それに加えてもう一つ重要な任務があります」
俺が一拍置くと、サザロが神妙に頷く。
「……ははぁ」
「あの抜け穴からガルドア側へ逃走した魔族――グァマの追討です」
その上で俺は要望を伝える。
「つきましては、オグルッド卿との面会を待つ間、ただ指をくわえて待っているわけにはいきません。魔族の痕跡が消える前に、このエルピノ周辺……特に、ガリア山脈の麓付近の調査を開始したいのです」
他国の領内で武装した冒険者が勝手に山野をうろつき回れば、いらぬ警戒を招く。
だが、今の俺たちは「街を救った無私の使者様」だ。
恩を売ったこの絶好のタイミングなら、少々の無理は通るはずだ。
「我々が独自に動くことについて、エルピノの自警団や領主軍から怪しまれぬよう、自由に調査を行う『許可』をいただきたい。……恩着せがましいとは存じますが、これも全ては魔族の脅威を取り除くため」
俺がそこまで言うと、サザロは感極まったように何度も大きく頷いた。
「恩着せがましいなどと! とんでもないことでございます! アリア殿たちが我々のためにそこまで尽力してくださるというのであれば、断る理由などどこにもございません!」
サザロは胸を張り、力強く請け負った。
「エルピノ周辺、およびガリア山脈麓に限っての暫定的な調査許可、確かに私の責任で手配いたします。自警団とギルドには、皆様の活動を妨げぬよう通達しておきましょう!」
「感謝します」
俺は内心でほくそ笑みながら、深々と頭を下げた。
(よし! これで大っぴらにグァマの痕跡を追える!)
「ですが、山麓部は魔物も多い。くれぐれもお気をつけて……っと金等級パーティには要らぬ心配でしたな! はっはっは」
タダ働きにさせられたのは痛いが、その分、厄介な手続きをすっ飛ばして、自由に調査できる許可を手に入れた。
「ふふっ、さすがはアリアちゃんだね。転んでもただでは起きない」
ジーンが俺の耳元で小声で囁いてくる。
「うるせぇ。お前らも気を引き締めろよ。これからが本番だぞ。もし仮にグァマが生きてたとしたら、アイツとまた、やり合わなくちゃいけねぇんだからな」
「あの重傷で生きているでしょうか……」
「さぁな……」
「ふふっ! わたくしたち、金等級パーティ〈ジョーカー〉はイドリア帝国の使者でエルピノの英雄ですのよ? 何が来たとしてもへっちゃらですわ〜っ!」
「ああ、そうだねエステルちゃん! キミの応援があればボクの力は一騎当千さ!」
かくして、英雄という虚像を背負わされた俺たち〈ジョーカー〉は、エルピノを拠点とした魔族グァマの捜索任務を、ついに開始することになった。
───
──
俺たちは屋敷を出ると、その足で冒険者ギルドへと向かった。
支部長のマハレは、俺たちがサザロの名前を出して鑑定を依頼すると、昨日と変わらぬ揉み手で「ただちにウチの鑑定士に回しましょう!」と快諾してくれた。
(……ひとまず、石の件はこれでいい)
「それで、マハレ支部長。ガリア山脈の麓を調べたい。地図はあるか?」
「もちろんでございます。エルピノ周辺と、山麓部の簡易地図でよろしければ、すぐにご用意いたしますとも!」
マハレはそう言うと、奥の職員へ声をかけた。
ほどなくして、羊皮紙の地図がカウンターの上に広げられる。
エルピノから伸びる街道とガリア山脈へ続く細い道。
山麓の森に農業地、その周辺に点在する小さな村。
こうして見ると、山麓部は思ったより広い。
村と村を繋ぐ道も細く、森へ入れば見通しも悪そうだ。
魔族一匹が身を隠すには、いくらでも場所がある。
「……こりゃ、骨が折れるな」
「ええ。ガリア山脈の麓と一口に言っても、実際にはかなり広うございます。金等級の皆様であれば問題ないとは思いますが……」
「金等級だからって、足が十本に増えるわけじゃねぇよ」
俺は地図から目を離して、天を見上げる。そこには天井が広がるだけだった。
「あら! わたくしたち五人の足を合わせれば、ちょうど十本ではありませんの?」
「ふふっ、確かにそうですね」
エステルとニーコが指折り数えて笑いあっている。
「テメェらを数に含めんな」
ガロードの索敵魔法、ジーンの狩人としての追跡術は使えるかもしれねぇ。
だが、こいつら二人は賑やかし。……どころか、魔物が寄ってくることを思えば、むしろ邪魔と言っていい。
どう考えても今回の調査において役に立ちそうにもない。
「最近、山麓の方で変わった報告は?」
「変わった、でございますか?」
「ああ。魔物の動きでも、行商人の話でも、狩人の噂でもいい。何かいつもと違うことがあれば聞いておきたい」
マハレは、顎に手を当てて少し考え込む。
「そうでございますな……山麓部はもとより魔物の多い土地ですので、多少の目撃情報は珍しくありません。昨日からは皆様の件もありまして、フレイムワイバーンの話題一色でしてなぁ」
「そりゃそうか」
あれだけ騒ぎにもなれば、他の小さな異変なんぞ埋もれる。
「じゃあ、この地図に、普段使われている道と、危険地帯だけでも書き込んでくれ」
「かしこまりました。ああ、ただ……こちらはギルド管理の調査地図ですので、本来であれば写しの作成に少々お代を……」
「……いくらだ」
「ええと、詳細地図となりますと、写し代込みで30ガルドほど……」
30ガルド。
高い。いや、地図としては妥当なのかもしれないが。
値段の問題じゃない、払う筋合いの問題だ。
なにせ昨日、この『街のために』フレイムワイバーン一頭分の素材と報酬をまるごとフイにしたばかりだ。
…………。
「……マハレ支部長」
「は、はい」
「俺たちは、サザロ殿から暫定的な調査許可を受けて動いている……よな?」
「ええ、それはもう、伺っております」
「魔族グァマの追跡は、エルピノにとっても無関係じゃねぇ。昨日のワイバーンの件もある。俺たちが動くことで、あんたらの手間も減る」
「……ごもっともでございます」
「なら、調査協力費として処理できねぇか?」
別に払いたくないわけじゃない。
いや、払いたくはないが。
だが、これは俺たちの私用じゃない。
サザロの許可を受け、ギルドにも情報が回っている以上、必要経費として処理できる余地はあるはずだ。
マハレは一瞬だけ商売人の顔をしたが、すぐに揉み手の笑みに戻った。
「……なるほど。確かに、皆様には昨日、大変なご尽力をいただいておりますしな。では、こちらはギルドからの調査協力という形でご用意いたしましょう」
「助かる」
よし。
言ってみるもんだ。
「ただし、詳細な山道となりますと、現地人の方が詳しい場合もございます。ギルドの地図も……抜け道やら隠れられるような場所についてまでは」
「だろうな」
俺は地図に目を落とす。
結局のところ現場で確認する必要がある。
問題はその範囲が広すぎることだ。あのブラックロックマウンテン坑道からガルドアへ続く、抜け穴の位置を起点として、そこから身を隠しながら移動できる距離を逆算する。
俺たちだけでしらみ潰しに探し回るには、時間が足りない。
グァマが生きているとして、あの重傷でどこまで動けるかはわからないが……痕跡は時間が経つほど薄れ、探さなきゃならねぇ範囲はさらに広がっていく。
人手が要る。
できれば、腕の立つ冒険者が。
「あら。ずいぶん難しい顔をしているのね」
背後から、聞き覚えのある女の声がした。




