第103話:月の喰い方
「フードを取ってもらおうか……!」
アイラン皇国軍から派遣された討伐隊。そこらの町の衛兵とは練度も装備の質も違う。
最初に剣へ手が伸びた。逃げるより早く、考えるより早く。
プラレスは強い。
そしてオレも……もう、あの頃とは違う。
積み上げた日々の中で、強くなったはずだ。オレは強い。
ただただ、奪われたりはしない。
「おやおや、兵士さんが俺なんかに何か用……」
「フードを取れと言っている!!」
隊長らしき男はプラレスの軽口に付き合うこともなく声を荒げる。
プラレスは貼り付けた笑みを消して……観念したようにゆっくりとフードを外す。
プラレス、どうする? やるか?
チラリとプラレスがこちらを見る。
それに対してオレはこくりと頷いて返す。
やれるさ、プラレス。
「……悪りぃな。ガロード」
ぼそりとオレにだけ聞こえるようにそう囁く。
「『命令』だ。『動くな』」
「…………っ!?」
不意の『命令』によって発生した激痛に顔が歪む。
硬直。指の一本でも動かそうものなら痛みが走る。
この痛みには慣れている。一瞬なら耐えられる。
だが、間合いを詰め、腕を振り上げ、指に力を込め、振り下ろすまでに、一体どれだけの『動く』工程が挟まるだろうか。とてもではないが、動くことはできなかった。
プラレス……?
笑ったような、泣いたような顔で軽く口角だけを持ち上げてオレを一瞥するとフイッと兵隊に向き直る。
「はっはっはっ! まさかこんなにも早く追いついてくるとは、アイランの軍もなかなか優秀じゃねぇか!」
「魔族がこの国で何を企んでいる!?」
「バカが、言うわけねぇだろ! せっかくそこらの村から『攫ってきたガキ』を奴隷にして隠れ蓑にしてきたってのによぉ〜!」
何を……何を言っている?
「……っ! ソラガナ村の惨殺は、やはり魔物のせいではなく貴様のせいか……!」
「んー? 村の名前なんて覚えちゃいないがな?……ん、ああ『レンドル』とかいう男がいたな?」
「……貴様っ!」
プラレスは……この男の思考を読んでいる!
「その男がこのガキを最後まで守ってたもんでな? 街でのやりとりを代行させるために奴隷にしたってわけよ。かわいそうにな?」
そして、その情報を嘘に混ぜている。
「もういい……! 貴様はここで死に、〈魔結晶〉は売られる! 美術品として棚の上で永劫後悔するといいッ! 総員、抜刀!! 討伐対象は、この魔族のみ! 民間人は保護しろ!」
違う……違う! そんなこと、プラレスはしていない!
「大人しく捕まるわけねぇだろ! 〈エアブロウ〉!」
近づく兵に突風を浴びせかけるが、その威力は届く前に減衰している。
「ふんっ! 風属性を使うことは既に周知だ! なんの対策もしていないと思うな」
胸の辺りに取り付けられた編み紐のお守りがジリジリと短くなっている。
「チッ……護符の類か! んな、高価なモンを……」
「魔結晶が採れれば、いくらでも戻ってくるからな」
「そりゃ、どうも……!」
魔法を封じられては、もはや多勢に無勢。
それでもプラレスは暴れ回る。
凶悪な魔族として。
ギリギリと歯が鳴る。
全身の皮を剥がされるかのような激痛に耐えながらも剣を構えようとする。
だが、震えるばかりで身体は動かない。
加勢しなければプラレスが死んでしまう。
そして……ついに、プラレスは腰を落とす。
屈強な兵隊どもを何人も動けないように砂漠に沈めたが、ただの一人も殺してはいなかった。
だが、ヤツらは違う。プラレスを殺そうとしている。
やめろ……やめてくれ……!
けれど、言葉は出ない。
『助けを乞うて助かった者はいない』。
言葉に力などない。
「…………なぁ、アンタ」
プラレスはオレに背を向けて、兵の一人に向かって喋りかけている。
「『月の喰い方』って知ってるか……?」
だが、その意味は。
オレに向けられたものだった。
「はぁ……? 何だそれ? 月が喰えるわけないだろう」
「よせ、取り合うな……! 何かの術にかけようとしてるのかもしれん」
月を喰う。オレの……オレたちの夢。
「そうだな。届かねぇ。どれだけ手ぇ伸ばしても、腹空かせて吠えても、月は向こうから落ちてきてくれやしねぇ」
プラレスは、口の端から血を垂らしながら、いつものように笑った。
「……月なんざ、喰えるわけがねぇ」
だが、その声は少しだけ掠れていた。
「一人じゃ、届かねぇからな」
何を言っている。
こんな時に。
何を。
わからない。難しいこと言うなよ。
聞こえてるんだろ? プラレス!
オレたちは繋がってるんだろ? なのに、なぜわからない?
「だから、よ」
兵たちは顔を見合わせた。
魔族の戯言だと、そう思ったのだろう。
「まずは、喰えるくらいにでかくなれ」
……月を。
「そんでな」
プラレスの声が、小さくなっていく。
「一人じゃ届かねぇもんは――」
その先は、聞こえなかった。
剣戟。怒号。砂を蹴る音。
ただ、ちらりと一瞬だけこちらを向いたプラレスの口が、最後に何かを形作った。
「おい……! 心臓を傷つけるな! 〈魔結晶〉が残らないからな!」
「はん、テメェらにゃ……何も遺してやんねぇよ!」
「なっ――まずい! 取り押さえろ!」
何かが肉を打つ鈍い音。
「こ、コイツ自分で刺しやがった! くそっ! 死んじまったら何も残らねぇじゃねえか!」
『命令』が解けて動けるようになった。
解いたのではない。解けたのだ。
淡い光が舞う。
……魔族の……いや、プラレスの最後だ。
この口から言葉は出ない。
胸の中ですら形にならない。
ただ……言葉にならない胸の痛みに、悶え、吠える。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ァ!!!」
剣を抜き放って砂を蹴る。
オレは強くなったはずだ。
喰ってデカくなった。
剣も、魔法も、文字も覚えた。
全部、プラレスがくれた。
もう奪われることは無くなったはずだったのに。
「く、落ち着け! お前は民間人だ! 誰も傷付けはしない」
「魔族に操られてた影響か!? 錯乱してやがる!」
「ダメだ、殺すな、抑えろ!」
意識が沈んでいく。
──────
───
──
目覚めると、そこは治療院だった。
オレは失意に打ちのめされ、しばらく動くことができなかった。
プラレスは死んだ。何も残らずに。
『テメェらにゃ何も遺してやんねぇよ!』
けれど、プラレスは遺してくれた。
月を喰うという、途方もない夢だけを。
足りない。足りない。足りない。
足りなかった。
奪われないためには。
届かない。
月を喰うには。
プラレスの最後の口のカタチは今も鮮明に覚えている。
そのカタチがなにを意味するのかは理解できていない。
……『月の喰い方』は、まだ……わからない。
世界中の美味いものを喰っちまうくらいじゃねぇと。
プラレスは、そう言っていた。
なら、喰う。
喰って、喰って、喰らい続ける。
この砂漠だけでは足りない。
アイランだけでも足りない。
世界を回る。
世界中の美味いものを喰う。
喰って、でかくなる。
月を喰えるくらいに。
最初に向かう場所は、北東。
赤い砂漠を越えた先。
イドリア帝国。
プラレスと一緒に行くはずだった世界を。
今度は、オレ一人で歩き始めた。
だが、この得体の知れない飢えは、どれだけの強敵を屠ろうと。
何を食べても、満たされることはなかった。
──
───
──────
──────────。
いた。
見つけた、というより来る場所を予測した。
風を読む〈リード〉は万能ではない。
岩壁に囲まれた坑道や、木々の密集した森なら、空気の揺らぎはよく届く。
しかし、だだっ広い平原では、音も、風も、気配も、返ってくる前に散ってしまう。
空を飛ぶ魔物を、どこまでも追えるわけではない。
だから、直接あの赤黒い火の蜥蜴を探したのではない。
他の生き物が避け、離れていく場所を探した。
傷ついた魔物は、身を隠す。
熱を持った魔物は、水を求める。
水辺に来るという読みは、外れていなかった。
本体や巣を狙うのではなく、狩り場を待ち伏せるというのはグリフォンとの戦いで学んだ。
平原の窪地にある雨水が溜まった小さな水場。
そこに、あのフレイムワイバーンはいた。
長い首を下げ、水を飲んでいる。
いや、飲んでいるというよりも……赤黒く脈打つ胸元を水面へ押しつけ、焼けた身体を冷やしているようにも見えた。
尾や頭を水面に打ち付け、相変わらず興奮状態で気こそ立っているように見えるが、周囲を警戒している様子はない。
初撃で〈バアルスフィア〉を撃ち込む……。
隠密性は無いがあの気性の荒いトカゲは逃げるよりも、外敵の排除に動き出すだろう。
(……やれる。間に合う)
グッと拳を握ってから緩く開く。
『おいバカッ、やめろ!』
『こんなところで〈バアルスフィア〉なんてブチかましてみろ、そのままイドリアに蜻蛉返りだ!』
「…………」
肺に溜まった緊張感を鼻から抜く。
スッと、手の中に揺らめきかけた風を振り払う。
代わりに背負った幅広長剣〈リレーション〉に手をかける。
チャキ……。
策も、奇襲も、必要ない。
(大丈夫。オレは強い)
正面からゆっくりと距離を詰める。
フレイムワイバーンはこちらを一瞥すると、かぶりを振った。
水面に赤い飛沫が散る。
ジーンの突き刺した矢はそのまま残っているが、その割には出血は異様に少ない。
竜種の回復力というものだろうか。
濁った双眸が、こちらを外敵として捉える。
低く喉が鳴り、胸元の赤黒い脈動が、怒りに呼応するように強く明滅した。
逃げる様子はない。
知っている。
魔物であっても同じだ。
あの目は強者が弱者を値踏みする目だ。
(オレは強い……!!)
ゴウッと手元の〈リレーション〉から風が噴き上がり、髪を揺らす。
幾筋もの翠色の極光が刀身を繋ぎ合わせるかのように這い上がる。
こちらに敵意ありと見るや、フレイムワイバーンは翼を大きく広げ、威嚇の雄叫びをあげる。
次の瞬間、片翼が痙攣するかのように歪んだ。
翼の骨格が、意思とは別のものに引っ張られたみたいに跳ねる。
バランスが崩れる。
巨体が横へ傾き、地面へ倒れ込む。
――違う。
倒れるのではない。
崩れた姿勢のまま、フレイムワイバーンは長い尾を鞭のようにしならせた。
(……動きが全く読めない)
オレは〈リレーション〉を横へ振り抜いた。
ギャリギャリギャリッ!!
赤い竜鱗と、翠色の風が噛み合う。
衝突の余波でふわりと草原に風がそよぐ。
ミシリ……と刀身が軋み、腕の筋繊維がブチブチと千切れるのを感じる。
同時に、ヤツの尾に並んだ棘が砕け、破片が頬を掠めた。
踏み込んだ足が、土を抉る。
刀身にまとわせた風をさらに膨らませ、尾の軌道を逸らす。
叩きつけられた尾が、すぐ横の草地を爆ぜさせた。
土と草が舞う。
一撃を受け流したとて、一息たりもつけやしない。
その向こうで、フレイムワイバーンの胸が赤く発光する。
口腔から、灼けた息が漏れる。
喉の奥に炎が溜まっていく。
「……っ」
考えるより先に、身体は前へ出た。
尾を弾いた反動を殺さず、そのまま懐へ潜る。
振り上げた〈リレーション〉の切っ先が、下顎へ食い込んだ。
硬い。
竜鱗が割れ、顎が跳ね上がる。
噴き出しかけた炎が空へ逸れた。
赤い火線が、日の暮れかけた平原の空を裂く。
だが、フレイムワイバーンは怯まない。
跳ね上げられた頭が、そのまま重力に引かれるかのように、落ちてくる。
直後、さっきまでオレが立っていた場所に、竜の頭蓋が叩きつけられた。
遅れて、逸れたはずの炎が草原を這う。
青々と茂っていた草原が、一瞬で赤く染まり、次に黒く縮れた。
焦げた草の臭いが鼻を刺す。
長い攻防の末に、ようやく息を吸い込む。
「……」
興奮したフレイムワイバーンの攻撃はますます苛烈さを増す。
剥がれた竜鱗も瘡蓋のように再生されつつある。
競り勝ってはいる。だが、こちらはヤツのように無尽蔵ではない。
このままでは、仕留めきれない。
〈バアルスフィア〉。
わかりやすい切り札が頭をよぎる。
「…………」
だが、詠唱を差し込む暇がない。
空気を溜め、圧縮する時間を稼げない。
普通の魔物なら、傷つけば怯む。
痛みに硬直し、体勢を立て直してから次の攻撃へ移る。
だが、こいつは違った。
傷付いた尾も砕けた顎もそのままに赤黒い脈動が、傷口の奥で膨れている。
痛みを無視しているのではない。
痛みという信号そのものを、別の何かに上書きされている。
息を整える間も無く、ヤツの右翼が迫る。
躱し、再び懐へ潜り込もうと身を屈める。
次の瞬間、翼の付け根から肉が突き出すように膨れ、巨体を無理やり押し出して、不自然に軌道を変えた。
メキ……。
鎧の上から衝撃が突き抜ける。
痛みを置いて、身体が先に吹き飛ぶ。
草地を削るように、転がる。
だが、肺の中の空気がまとめて吐き出され、身体が言うことを聞かない。
ようやく止まった後、痛みが走り、指先は痺れる。
握ったはずの〈繋がり〉が、半ば土に埋もれていた。
『手』。
『手』だ。
プラレスが最後に言った言葉。
その言葉だけが、胸の奥で軋んだ。
届かない。
届かないなら、もっと伸ばせばいい。
もっと強く。
もっと速く。
もっと大きく。
そうすれば、いつか月にだって届くはずだった。




