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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十一章:カケ違えた釦だけ外しても襟元は正せず
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第102話:欲望都市ポロピア

 グレートバレー大熱砂の容赦ない日差しが、肌をジリジリと焼く。

 どこまでも続く褐色の砂の海。その果てに、蜃気楼のような巨大な影が揺らめいていた。


「見えてきたぜ。あれが目的地のポロピアだ」


 プラレスが砂丘の頂に立ち、額の汗を拭いながら遠くを指差す。

 オレは無言で隣に並び、その影を見据えた。

 近づくにつれ、蜃気楼は確かな輪郭を伴った石造りの巨大都市へと姿を変えていく。


「ここはドルマン商会ってデカい組織が取り仕切ってる、快楽と欲望の街だ。金が集まり、金が生まれ、金が消える。奴隷も、賭博も、女も……金さえあれば何でも買えるし、何でも金に変えられる」


 門番へと近づいていく。プラレスが数枚の硬貨を握らせると、門番はオレたちの顔も荷物もろくに見ず、面倒くさそうに顎で中を示した。


「な? 通門許可も金次第さ」


 高い防壁に囲まれた街。その中心で一際異彩を放っているのは、天を突くような巨大な円形の建造物だった。


「中心のあのでけぇ建物が〈ポロピアコロシアム〉だ。奴隷剣闘士と魔物の見世物試合で日夜血を流し、金が動く。……まぁ、オレたちに関係するとすりゃ見世物側だろうけどな」


 街の中は、砂漠とは別種の熱に満ちていた。

 陽射しではない。人の欲と、金の匂いが生む熱だった。

 香辛料のツンとした匂い、獣の脂の臭い、安っぽい香水……それらを全て煮詰めたような匂い。

 プラレスは周囲を警戒するように油断なく視線を配りながら、迷いのない足取りで喧騒の中を進んでいく。

 オレはその後ろを、フードを目深に被り、気配を殺してついていく。

 すれ違う連中の中には、首や腕に枷をつけられ、生気を失った目で歩く者たちの姿もあった。

 かつてのオレと同じ、ただの『モノ』たち。


(…………)


 だが、今のオレは違う。腰には剣があり、体内には練り上げられる魔力がある。

 前を歩く男との間に、はっきりとした形のない、はっきりとした名前もない……曖昧な何かがある。切れない何かがある。


 やがて、プラレスが足を止めたのは、大通りから一本外れた、重厚な鉄格子が嵌められた石造りの建物の前だった。

 看板はないが、周囲に漂う空気でわかる。ここは、人間をモノとして扱う場所だ。


「よし、着いたぜ。……行くぞ、ガロード」


 プラレスが分厚い木の扉を押し開ける。

 中は薄暗く、埃とカビ、そして独特の鉄錆のような匂いが立ち込めていた。


「いらっしゃい……おや、これは見慣れない顔ですな」


 カウンターの奥から現れたのは、でっぷりと太った、身なりの良い男だった。

 愛想の良い笑みを浮かべているが、その奥の目は冷たく、オレたちを頭の先から足の先まで舐め回すように値踏みしている。


「商談だ。奴隷売買の大手、ドルマン商会の店なら、間違いねぇよな?」


 プラレスがカウンターに歩み寄り、低い声で切り出す。


「ええ、もちろん。奴隷の売買、手配、あるいは……処理。金さえ払っていただけるのなら、ご要望にはお応えしますよ。で、そちらの……『品』を売りに?」


 商人のねっとりとした視線が、オレに固定される。

 首元に刻まれた奴隷の〈呪印〉は隠しているが、なぜわかったのだろうか。



「歩き方でわかります。主人の許可を待つ者の、特有の歩き方ですからね。よく躾けられている。健康状態も悪くな……」



「……売るんじゃねぇ。買う方だ」



 オレを品定めしようとした商人の言葉を遮るように、プラレスが半歩踏み出し、オレの前に壁となって立ち塞がった。


「こいつの所有権を、俺に移したい。そして、首の〈呪印〉の命令式を書き換えてもらおうか」


 商人の目が、わずかに細められる。


「……ほう。主人不在の奴隷ですか。その所有権の譲渡と、『書き換え』。それは出来……」


 ドンッ。商人の言葉を再度遮り、プラレスが懐から取り出した革袋をカウンターに叩きつけた。重々しい金属の音が、薄暗い店内に響き渡る。


「金ならある。出来るのもわかってる。手っ取り早く頼むぜ。……それから」


 プラレスは身を乗り出し、商人の顔に近づいて、ドスを効かせた凄みのある声で警告した。


「それ以上、詮索しない方がいい」


 商人のポーカーフェイスが一瞬崩れ、目元が僅かに揺れる。


「ふふ、もちろん。金さえお支払い頂けるのであれば、お客様ですとも。誰であれ、ね」


 商人は笑っていた。声も、手つきも、どこまでも丁寧だった。

 だが、プラレスの肩がわずかに強張る。


「おい、〈インク〉を持ってきてくれ」


 商人は従業員らしき男に目配せする。


「……ガロード。終わるまで動くなよ」


 その声は、いつもの軽さを装っていた。けれど、ほんの少しだけ硬かった。

 商人は黒い墨のような液体を指につけるとオレの首元に手をかざす。



「誓約の文言は如何いたしますか?」



「……ナシってのは?」



「……少なくとも主人の命令を聞くことは絶対ですね」



「なら『命令』と言った時だけ縛るようにしろ。それ以外は外していい」



「…………ま、いいでしょう」



 奴隷商の指からインクが揺らぐと〈呪印〉に染み込んでいく。

 ピリッとわずかな痛みが一瞬だけ走ったがその後は水を打ったように何もない。


「終わりましたよ」


 そう言うと、プラレスがオレの肩に手を置く。



「よし、ガロード。『命令』だ」



 その言葉に否応なしに身体がビクリと反応し、身構える。




「『自由に生きろ』」




「お前はもう、誰のもんでもねぇ」



「好きに喰って、好きに歩いて、好きに生きろ」



 それは命令だった。

 けれど、オレを縛るためのものではなかった。

 縛るための言葉で、初めて、オレは解き放たれた。


 自由……。自由って言ったって。

 どうすればいい……。



「取引成立だ。じゃ、帰るわ」



「発話チェックはしなくてもいいのですか?」



「ウチの教育方針は自主性ってのを重んじるんでな。好きにさせるさ。それに『包囲』が完了するまでには帰りたいから、な!」



 慌てて〈リード〉で扉の向こうの気配を探る。三、四……五人。

 ……囲まれている。


 商人が笑う。



「いやはや、お気づきでしたか」



「生憎、『耳』はいいもんでね」



「どうですか? 私としてもレアモノを傷つけたくはありませんのでね……大人しく捕まってくれるとありがたいのですが」



 プラレスの正体が魔族だとバレている……?

 ……どうする? プラレス。


「言ったろ? 帰るってな!」


 プラレスが笑った。


 次の瞬間、店内の空気が弾けた。


「〈エアバースト〉」


 短い詠唱。

 それだけで、カウンターの上に置かれていた金貨、書類、帳簿、黒い〈インク〉の瓶が一斉に宙へ跳ね上がった。


 バシャッ、と黒い液体が商人の顔面にぶちまけられる。


「ぐっ!? 目が、目がぁっ!」


 奥の扉を蹴破るようにして踏み込んできた男たちも、突然巻き上がった砂埃と紙束に視界を奪われ、足を止める。


「ガロード、走れ!」


 プラレスがオレの腕を掴む。

 その手に引かれるまま、オレは出口へ向かって駆け出した。


 奥からは複数の気配。

 裏口にも回り込まれている。


「なら、正面だな! 人の多い方だ、混ざれば、紛れる!」


 プラレスはオレの〈リード〉の結果を読み取って、即座にルート取りを始める。


 扉を蹴破るように外へ飛び出す。

 大通りの喧騒が、一瞬だけこちらを向いた。


「どけどけどけっ! 急ぎの商談帰りだ!」


 プラレスはいつもの調子で叫びながら、人混みを縫うように走る。

 だが、その時だった。


 背後から飛んできた短い刃。

 プラレスは咄嗟に〈エアシールド〉を展開し、投げナイフを弾く。

 軌道は逸れてプラレスのフードの端を裂いた。


 布が落ちる。

 砂色の街の中で、逆巻く二本の角が露わになった。


「……魔族だ」


 誰かが呟いた。


 次の瞬間、その声は火のついた油のように広がった。



「魔族だぁああああっ!!」




 鐘が鳴る。

 街の奥で、甲高い警鐘が何度も打ち鳴らされた。


「門を閉めろ! 魔族だ! 逃がすな!」


 正面の大門が軋みながら動き始める。

 分厚い鉄の扉が、ゆっくりと、しかし確実に閉じていく。


 間に合わない。


 そう思った瞬間、プラレスがオレの背を叩いた。


「ガロード、跳べ!」


 考えるより先に、足が動く。

 砂を蹴る。

 身体が前へ飛ぶ。


 その背後で、プラレスが両腕を広げた。


「〈エアブロウ〉!」


 見えない風の拳が、オレとプラレスを殴りつける。

 その勢いに押されて門が閉まりきる直前。

 その隙間を、オレたちは転がるように抜けた。


「クソ! 外に出たぞ! 門を開けろっ!」


 相反する命令が下され、中はパニックになっている。

 その中でも冷静さを幾分か保っている衛兵は門の上から、弓を向けてくる。


 プラレスが砂地に手を叩きつける。


「〈サンドガスト〉!」


 砂が爆ぜた。

 視界が褐色に染まる。

 追ってきた衛兵たちの怒号が、砂嵐の向こうへ遠ざかっていく。



 声は買えた。


 逃げ切った。


 けれど、その代金を、まだ払い終わってはいなかった。



 ─────

 ───


 砂嵐に紛れ、追っ手を振り切り、グレートバレー大熱砂の岩盤で腰を下ろす。

 すでに日は沈み、暗がりに身を隠している都合、火は起こさない。

 当然、食事も簡素なものになる。プラレスはマジックポーチから赤い果物を投げて渡す。


「いいか。うまいもん食った時は、『うまい』だ」


 ……うまい。

 声に出そうとすると、喉が強張った。

 痛みが来る気がした。

 来るはずがないとわかっていても、身体が先に怯えた。



「……うま」



「よーし、いいぞ。じゃあ、もっと欲しい時は?」



 ……もっと。



「お、かわり」



「ははっ、上出来だ」



 声は戻った。

 痛みは来なかった。

 喉の奥に、今まで閉じ込められていたものが通る感覚があった。

 だが、それだけだった。

 オレの考えていることは、プラレスには伝わる。

 欲しいものは指で示せる。

 値段は読める。

 必要なら文字も書ける。

 なら、言葉のためにここまで危ない橋を渡る意味が、オレにはわからなかった。


「……そんな顔すんなよ」


 プラレスは暗がりの中で、苦笑した。


「お前にとっちゃ、まだそうだろうな」


 月明かりだけが、砂の上に薄く落ちている。


「でもな、言葉だけありゃいいってもんでもねぇ」


 プラレスは、砂の上に落ちていた小石を拾い、指で弾いた。


「強くなきゃ、どんなに正しいことを言っても通らねぇ。どんなに切羽詰まった願いでも、力がなきゃ踏み潰される」


 ……それは、わかる。


 弱ければ、奪われる。

 弱ければ、喰われる。

 弱ければ、声を上げる権利すらない。


「だから、喰え。食わなきゃデカくなんねぇぞ、お前は月を喰うんだろ?」


 ハハッと軽い口調でプラレスが笑う。


「……でもよ、ガロード」


 プラレスは、そこで言葉を切った。


「もし、お前が困った時――」


 困る?

 オレは首を傾げた。

 プラレスがいるのに?


「……いや」


 プラレスは、がしがしと頭を掻いた。



「……なんでもねぇ」



「ふぅ……なぁ、ガロード。人間と奴隷、人間と魔族。何が違うってんだろうなぁ?」



 オレは違うと漠然と思っていた。

 少なくともオレと人間は違う。そういうもんだと。

 だがそうやって改めて問われればわからなかった。


「こうやって食って、寝て、また起きて、食って……」


 難しい話は、わからない。



「そうだな、難しいよなぁ……根っこの部分に違いなんてねぇさ。きっとな……」



(でもよ、ガロード……)




 俺は……お前を、『人間』にしてやりたかったんだよ。




「……ま、考えても腹は膨れねぇな!」



「うし、行くか! 夜が明けるまでには、もう少し進んでおきたいからな」



 それから、しばらくは逃げて、隠れる日々が続いた。


「チッ……この辺も潮時か……」


 プラレスの『聞こえる力』で、人の疑念が形になる前に察することができた。

 怪しまれても、確信を持たれる前に撤退できる。

 それがオレたちの逃亡を、オレたちの時間を延命していた。


 砂漠の夜を歩き、昼は岩陰に身を潜めた。

 井戸場には張り紙が増え、ゴミを漁るにも、魔物を狩るにも、街へ売りに行くにも、前よりずっと多くの危険がつきまとった。




 逃げて、逃げて、逃げて。




 そして、追いつかれた。



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