第101話:ガロード・プラレス
それから、オレは足りないものを少しずつ積み上げていった。
喰って、戦って、強くなる。そうしたら、また喰って。
強さを価値に変えるたび、オレの手の中に残るものが少しずつ増えていった。
首元を隠すための服。自分用の背負い鞄。自分用の椀。
ある夜の野営中。
プラレス、オレも魔法を使ってみたい。
プラレスがあのジオルガを仕留めた時や、風の魔法でゲブの群れを薙ぎ払った時のような、逆境を跳ね返すための力が欲しかった。
「んー、魔法なぁ」
プラレスは腕を組み、焚き火の炎を見つめながら唸った。
「基礎的なことは教えてやれるが……詠唱ができねぇもんなぁ……」
……オレには、使えない?
「魔法ってのはイメージだ。できるって信じてやらねえと出てきやしねえもんさ。声に出さなくても使う方法はある」
プラレスが指先を軽く弾く。
フワッ、と温かい風が流れ、オレの黒髪を揺らした。
「こんな風にな。〈無詠唱〉ってんだが……呪文を唱えなくても使えなくはねぇ。感覚だけで魔力を練り上げて放つ技術だ。まぁ、イメージだけで形にする分、コントロールはバカみたいに難しいけどよ。できるようになりゃ発動が早い分、戦闘の合間に差し込める。立派な武器になるさ」
……難しい。
目に見えない魔力を体内で練り、それを形にするという感覚が、まだよく掴めない。
「……ま、時間はあるからな。無理と言わずに気長にやろうや」
……魔法は、よかった。
腕が届かない場所にも届く。
剣が間に合わない隙間にも、差し込める。
オレの足りない強さを、埋めてくれる。
────
───
──。
ゴミを拾って、獲物を狩り、生き延びる日々の中で、もう一つの問題があった。
価値の保証される魔石はどこの店でもそれなりの値段で売れるが、ギルドを通さずに売る魔物の素材は、どうしても足元を見られて買い叩かれる。
「ガロード、妙案を閃いた! お前、文字を覚えろ」
また、いきなり何を言い出すのか。
「文字はいいぞ? 読めりゃ物の名前がわかる」
砂に小枝で文字を書き始める。
『ガロード』
「これが、お前の名前だ」
砂の上に刻まれた、いびつな記号。
これが、オレ。
「価値がわかれば、騙されずに済むしな。お前の場合は、何かあったときに書けば伝えられるだろ?」
……プラレスが居れば必要ない。
「そこだよ!」
プラレスが枝で砂を叩く。
「魔物の素材を買い叩かれるのは、ギルドに卸せないからだ。なぜ卸せないか。俺がギルドで冒険者登録できねえからだ。魔族だって一発でバレちまうからな」
はっはっは、と何がおかしいのか自分で言っておいてケラケラ笑う。
「だから、ガロード。お前がギルドで冒険者として登録して、俺の代わりに魔物の素材を売ってこい。そうすりゃもっと効率よく稼げる。美味い肉も食える。そのためには文字くらい読んで書けるようにならねぇとなんねぇってこった」
……。
「まあ、そう面倒くさそうな顔すんなって! みなまで言うな!」
まだ何も言ってない。
面倒な気持ちを息と共にふぅと吐き出してプラレスに尋ねる。
……『プラレス』はどう書く?
「ん、おおっ……! よし、枝持て。まずはだな……」
……文字は、よかった。
物の価値を正確に読み取れる。
騙されないように、書かれた契約の文字が読める。
『プラレス』を表せる。
そして、プラレスがくれた『ガロード』を目にも見える形で表してくれる。
───
──。
それからしばらくして。
オレはプラレスの代わりに街のギルドへ出向き、冒険者としての登録を済ませてきた。
首は服と布で隠して、あらかじめプラレスが書いたメモを受付に渡すだけ。
用紙に名前を書いて、魔紋認証さえ通れば余計な質問はされなかった。
「おっ、プレートできたか。見せてみろ見せてみろ。……ん?」
スッと魔力を込めると〈魔紋認証〉が働き、登録した名前が青白く浮かび上がった。
そして、そのプレートに刻まれた文字を見てプラレスは固まった。
オレは首を傾げる。
……書き間違えたのだろうか。
いや、何度も砂の上で練習した。
合ってる……はずだ。
『ガロード・プラレス』
「……お前、これ」
これは、『オレたち』のプレートだ。
「……ははっ」
プラレスは、やがて噴き出すように笑った。
「そうかよ。ま、いいんじゃねえか。強そうだしな」
日々は砂のように、オレの指の間を流れていった。
けれど、何も残らないわけじゃなかった。
名前。剣。魔法。文字。プラレスが見つけた『お宝』のマジックポーチ。
細っぱちだったオレの手が大きくなるにつれて、手の中に残るものは、少しずつ、増えていった。
──。
……そして、ある日。
「ガロード。お前の〈呪印〉外すツテが見つかった」
いつにもなく神妙な面持ちで、焚き火の向こうからそう告げた。
〈呪印〉を外す……?
初めて聞いた話に、オレの眉が動く。
オレが魔物の素材を売りに行ってる間、あちこち走り回っているとは思っていたが、そのツテとやらを探していたのか。
「ああ、そうだ。目的地はここから北西。この大熱砂を越えて、金があれば何でも買える都市……ポロピアだ」
ポロピア。あの日、オレが運ばれるはずだった場所。
「俺もあんまり気乗りはしねぇけどよ。〈解呪〉となりゃどうやらエトノーシアまで行かなきゃなんねぇらしい。なら、いっそのことドルマンの奴隷商人に直接書き換えて貰おうってワケよ」
書き換える?
「お前の所有者を俺にする」
……。
所有者。
その言葉には、本来なら首を絞められるような嫌な響きがあるはずだった。
オレの思考を読んだプラレスが、苦笑しながら手を振る。
「そうムッとすんなって! 形式上さ。主人が変われば命令も変えられる。『声を出すな』とかいうバカな命令を、無害なものに置き換えれば万事解決よ!」
……別に。ムッとなんてしていない。プラレスの指示なら、今でも当たり前のように従っている。主従関係なんてものを意識したことはなかったが、所有者がプラレスになったところで、今と何が変わるわけでもない。
「へへ、だろ? 単純な利害だけでもねぇんだよ。命令じゃなくても、頼める。頼まれてやれる。そういうのがあるだろ?」
……ある、のだろうか。プラレスが言えば、オレは大体従う。そこに疑問を挟む余地はオレの中にはない。けれど、それが逆らうことの許されない『命令』ではないことだけは、なんとなくわかっていた。
「ま、そういうのを……なんつうんだろうな。『繋がり』って言うのかねぇ」
照れ臭そうに鼻を擦りながらプラレスは言う。
『繋がり』……ふーん。
正直、よくわからない言葉だった。
プラレスが言えば、オレは動く。
オレが思えば、プラレスは勝手に聞く。
困ったときには隣にいるし、腹が減れば一緒に喰う。
それにわざわざ名前がいるのだろうか。
けれど、プラレスが少し嬉しそうだったので、まあいいかと思った。
だが、わざわざ大金をはたいてまで、〈解呪〉とやらをする必要があるのかは疑問だった。
現に今までも、プラレスが居れば困ることは少なかった。
戦闘中、敵の攻撃を受けたときに声が漏れると痛みが連鎖するのは厄介だが、それももう慣れた。怯みこそすれどすぐに復帰できる。
魔法の詠唱が出来ないせいで、魔法のコントロールは難しいが、それも訓練を続けたお陰で無詠唱で使えるようになった。
総じて、オレの『声』には価値が薄い。
それなら飯の美味しい店にでも行った方が随分と利があるように思える。
そう考えると、プラレスは少しだけ困ったような顔をした。
「……そりゃ、まあ、そうなんだけどよ」
何かを言いかけて、けれど結局、プラレスは枝の先で砂を掻いただけだった。
「じゃあ、声に価値がねぇと思ってるお前に、ひとつ見せてやる」
プラレスは立ち上がり、夜の静かな砂丘の向こうへ手を向けた。
「〈エアボール〉はお前も無詠唱で使えるだろ? 空気を丸めてぶつける。だが、こいつは違う」
「風属性の固有特性は〈発散〉だってのは、前にも説明したよな?……力は本来なら外へ向けて離れていくもんだ。その向きを制御するのが風魔法だ」
……覚えている。以前、魔法を教わる際にも聞いた話だ。
感覚的にしか魔法を捉えられないオレには、あまり意識してはいない理屈だったが。
「その方向を逆に内へ向ける! 全方向から、均等に、少しも歪ませずにな」
プラレスの口が、短く術句を刻む。
聞き慣れない音だった。
ただの声ではない。明確な形を持った命令が、空気を縛っていく。
「……〈バアルスフィア〉」
プラレスの掌の先で、見えない何かが軋んだ。
風が集まる。いや、押し込められていく。
キュイイイイイイイイイイィィィィィィィ!!!!!!!!
何かを、甲高くこすり合わせるような、耳を劈く音が、その小さな空気玉からけたたましく悲鳴のように夜の砂漠に木霊する。
同時に、周囲の空気が、吸い寄せられるように、猛烈な勢いでその玉へと渦を巻いて流れ込み始めた!
「〈ダウンバースト〉」
次の瞬間、砂丘の向こうで空気が潰れた。
遅れて、腹の底を叩くような爆音が届く。
ズガァァァァァァンッ!!
砂が柱のように吹き上がり、夜の空へ散った。
砂を孕んだ突風が吹き、焚き火の火を消し去る。
オレは、息を忘れていた。
「……な? 声を取り戻すってのも、そう悪くねぇだろ?」
プラレスは笑った。
「使えるようになりゃ、この切り札が、いつかお前を助けるかもしれねぇ」
……声は、少しだけ価値があるのかもしれない。
そう思わせるほどの破壊力。理不尽をねじ伏せるだけの圧倒的な力だった。
詠唱に使える。
魔法を形にできる。
強くなるための道具になる。
……納得した。
やはりプラレスの言うことはいつだって正しい。
けれど。
……けれど、それでもやっぱり『言葉』は、まだよくわからなかった。
喋れなくても、狩った素材は売れる。
欲しいものは、指で示せばいい。
困ったことがあれば、砂に文字を書けばいい。
何より、プラレスが側にいれば、言葉なんて一切必要ないのだから。
そうしてオレたちは、かつてオレが売られるはずだった都市へ向かうことになった。
『売られる』ためではなく、声を『買い』に行くために。




