第100話:遺ったモノの価値
「朝だぞー起きろー、ガロード」
夜明け前。空はまだ薄暗く、底冷えのする砂漠の風が肌を刺す。
毛皮から這い出し、寝ぼけ眼を擦るオレの目の前に、プラレスが剣を差し出してきた。
「うし、早速だけどよ……ガロード、剣持て」
……剣? 一体、何を?
「強くなんだろ? 教えてやる。つっても……専門じゃねえけどな」
その言葉に、残っていた眠気は一瞬で消し飛んだ。
代わりに、ドクン、と強く鼓動が胸を打つ。
オレは弾かれたように立ち上がり、頭の中にあるイメージの通りに、両手で剣を構えようとする。
だが、抱えるのとは違う。腕から先に伸びるずっしりとした重さ。
細い腕はすぐに悲鳴を上げた。水平に保持することすらままならず、切っ先はふらふらと情けなく宙を泳ぐ。
「振ってみ?」
プラレスに促されるまま、無理やり振り下ろしてみる。
刃は風を切る音すら鳴らさず、ただ鉄の自重に引っ張られるようにして、ズブッと砂の奥へ埋まった。
「……どうだ?」
オレの無様な素振りを見るなり、プラレスはやけに抽象的な質問を繰り出してくる。
……どうって……重い。
振ってるというより、鉄の塊に振り回されているだけだ。
「今の自分は、強そうか?」
……弱そう。
ひどく、弱い。
腕はふるふると震え、その重さを無理やり支えるために、腰の引けた不格好な体勢になっている。自分でもわかる。
「そうだなぁ……もう少し柄の根元を持ってみな。それから、最初からずっと強く握り締めるな、落とさない程度に軽くでいい。振る直前、滑らないように締めるんだ。力は、必要な時に必要なだけ込めるといい」
言われた通りに柄の握りを変え、肩の力を抜いてみる。
ずっしりとした重心が、先ほどよりも少しだけ手元に寄った気がした。
そのまま、砂を払って素振りを何度か繰り返す。
重さ自体は当然変わらない。だが、不格好な力みが消えた分、ほんの少しだけ剣を制御しているという手応えがあった。たったそれだけのことで、さっきより少しだけ、自分が強くなったような気がした。
「よし、いいな! じゃあこれから狩りに行くぞー」
……は?
思わず動きを止め、プラレスの顔を見上げる。
もう? 今、生まれて初めて剣を振ったばかりなのに?
「おいおい、ガロード。ならお前は、剣の達人になるまでこの何もない砂漠で素振りすんのか?」
オレの戸惑いを読み取り、プラレスはわざとらしく大袈裟に肩をすくめてみせた。
「実践で足りねえもんを見つけて、そこからがようやく一歩目さ」
圧倒的な合理。同時に暴論だった。
だが、その言葉には抗いがたい説得力があった。
朝稽古と呼ぶにはあまりにも短い素振りの直後。
休む間もなく、オレたちは砂漠の奥へと足を踏み出していた。
足りないものを見つけるって言ったって……そもそもオレは『何も持ってない』。
足りないと言うのなら試すまでもなく全部ってことになる。
「……それも含めて、実践さ。剣だけ振ってても、腹は膨れねぇからな。いい加減覚悟を決めろ」
前を歩くプラレスが軽い調子で答える。
ふと、風向きが変わった。
鼻を突くのは、生温かい腐臭。
砂の上には乱れた足跡が点在し、遠くの砂丘の影で何かが蠢いているのが見えた。
「おー、手頃な相手がいたな……ありゃ、砂漠の掃除屋ゲブだ。ひぃ、ふぅ、みぃ……六匹か」
獣の死骸か、あるいは誰かが食い荒らした後の骨の山か。
そこに群がっているのは、砂に汚れたまだらの毛並みを持つ獣たちだった。
前傾姿勢で、肩だけが妙に高く盛り上がっている。飢えているくせに、死肉を詰め込んだ腹だけが不気味に膨らんでいた。
「ブフ……ゲゲッ、ゲフ」
喉の奥で泥を鳴らすような、濁った鳴き声。
一匹と目が合うと、そいつはビクッと怯えたように後ずさる。だが、オレたちが二人しかいないとわかると、途端に群れ全体が図太く歩み寄り始めた。
「うし、やるぞ! ガロード」
オレは黙って、抜き放った剣を両手で構えた。
……やるしかない。
訓練通りになど、いくはずがなかった。
痛みや死への恐怖ではない。極度の緊張だ。
『これから相手を攻撃する』という意識そのものが、オレの全身をガチガチに力ませていた。
息を止め、正面からにじり寄ってきた一匹へ向けて力任せに剣を振り下ろす。
だが、その太刀筋はあまりにも素直すぎた。
ゲブは身軽なバックステップで軽々と刃を躱す。空を切った剣の重さに振られ、オレの体勢が大きく前に崩れる。
(しまった……!)
そもそも、正面の一匹はただの陽動だったのだ。
体勢を崩したのを見た側面の一匹が、よだれを垂らした顎を開いてオレの首元へ飛びかかってくる。
(……防げ、ない!)
しかし、オレの肉が抉られるより早く。空中で牙を剥いていたゲブの身体が、見えない何かに撥ね飛ばされるように軌道を変え、砂の上へ無様に転がった。
直後、オレの頬を鋭い一陣の風が通り過ぎていく。
「ガロード、焦んな。言ったろ? 力抜けって」
すぐ後ろから、プラレスの落ち着いた声が聞こえた。
オレは、こくりと頷いた。
プラレスに対してではない。自分自身に対してだ。
言われた通りに肩の力を抜き、深く息を吐く。
すると、視界を狭めていた焦燥がスッと晴れ、周囲の景色が広がったような気がした。
そうだ。相手は一匹じゃない。群れだ。
再び、剣を構え直す。
ジリジリと距離を詰めてくるゲブ。さっきと同じように、正面の一匹が威嚇しながらにじり寄ってくる。
オレは一歩。力強く鋭く踏み出した。
攻撃を察知した正面のゲブが、ピクリと反応して下がる。
同時に、オレの死角となる側面から、別の一匹が砂を蹴って飛びかかってきた。
(……今度は、見えてる)
身を半分だけ逸らし、飛び込んできた獣の側面に向かって刃を振り下ろす。
重たい肉の感触。
ゲブの身体に刃が叩き込まれ、ゲギャッ! と鈍い悲鳴が上がる。
だが、浅い。
剣を振り抜く勢いにオレの細い腕の筋力が追いつかず、刃は肉の途中で止まってしまった。
結果、再びオレの体勢が大きく崩れる。そこへ、隙ありとばかりに残りの群れが一斉に襲いかかってきた。
「へへ、ビビらずに一太刀浴びせるなんてやるじゃねぇか! 初めてにしちゃ上出来だ、ガロード!」
プラレスがオレの足元に食らいつこうと迫るゲブを蹴り飛ばしながら、一歩前に出る。
「〈エアブロウ〉!」
放たれた見えない風の拳が、周囲から迫るゲブの群れを纏めて薙ぎ払う。
吹き飛ばされ、砂に叩きつけられたゲブたちは、明確な実力差を悟り、旗色悪しと一斉に逃走を始めた。
群れの逃走を追おうとしたプラレスが、不意に足を止め、砂の表面を見つめた。
「……ん? おっと……こりゃ、大物が釣れちまったな」
ズズ……。
砂海の下を滑る、巨大な黒い影。
それは波を立てるように地中を進み、逃げ遅れたゲブの一匹の真下で、砂ごと爆ぜるように上空へと打ち上がった。
ゲブの断末魔が響く。
砂を割って噴き上がったのは、額から捻れた一本角を生やした大型の魔物だった。
背を裂く刃のような突起。そして、不気味なほど真っ白な流線型の腹部が一瞬だけ太陽の光を反射する。
砂に染み込んだ血の匂いと騒ぎを嗅ぎつけてきたのだろう。
地中に潜ったまま、獲物に喰らいつく直前にだけ大地を鳴らす、砂漠を泳ぐ暗殺者。
「ありゃ、ジオルガだ! ガロード、剣借りるぞ。見てろ!」
プラレスがオレの手から剣をひったくると、砂を跳ね上げ、飛ぶように前へと飛び出していった。
恐慌状態に陥ったゲブの群れに向かって、再びジオルガが地底から突き上げてくる。
だが、プラレスはその出現地点を完全に読んでいた。
砂が盛り上がった瞬間、宙に舞うジオルガの巨体に向けて、プラレスが剣を振り下ろす。
オレと同じように、型などない自己流の構え。
だが、決定的に違う。
有無を言わせぬほど『強そう』だと感じさせる、あまりにもサマになった鋭い一太刀。
(……ああやって、振るのか)
刃がジオルガの分厚い皮と脂肪を裂き、鮮血が砂漠に舞う。
完璧な一撃。このまま華麗に仕留める――。
「あ、やべ……仕留め損なった! 逃すかよっ!」
…………。
急所を外したらしい。
血を吹きながら再び砂の底へ逃れようとするジオルガの背中に、プラレスが慌てて飛び乗り、剣を深々と突き立てた。
そこからはもう、泥臭い力比べだ。
砂まみれになりながら格闘した末、もがくジオルガの動きが徐々に弱まり、やがて完全に停止した。
サラサラと音を立てるかのように、光の粒が宙に舞う。
息を弾ませるプラレスの足元には、肉の一部と一本の捻れた角、そして砂と同じ赤褐色の魔石。
そして、ゲブ。逃げ遅れた二匹だけが、砂の上で息絶えていた。
一匹はジオルガに突き刺された個体。そして、もう一匹は、オレの刃傷によるもの。
(やった……!)
「ふぅ……ああ、やったな!」
プラレスは肩で息をしながら、剣についた血を砂で拭った。
「……な? 『何も持ってない』なんてことはなかったろ? 足りねぇもんだらけだが、お前にゃ……『根性』がある!」
へへへと笑いながら、ガシガシと頭を乱暴に撫でてくる。
「さて、こっからが大事だ。狩りってのは、倒して終わりじゃねぇ。食えるもんと売れるもんを取って、持てねぇもんは捨てる。いいな?」
……食えるところ。売れるもの。
オレは、砂の上で、すでに動かなくなったゲブを見た。
「まず魔石だ。魔物ってのは、死んだら体のどっかに魔石を残す。色やら、形、大きさ、場所なんかは種類によって違うけどな……まあ、大体は心臓の近くだと思っときゃいい」
プラレスは腰の短剣を抜くと、慣れた手つきでゲブの胸元に刃を入れた。
肉が裂ける音がしたが、プラレスの手つきはあまりにも迷いがなかった。まるで、焚き火に薪をくべるのと同じくらい当たり前のことのように。
「ここをこう……ほら、あった」
血に濡れた手のひらの上に、小さな石が乗っていた。
砂色に濁った、親指の爪ほどの石。
「こいつが魔石だ。小せぇが、ちゃんと金になる。嵩張らねぇし、腐らねぇ。だから魔物を狩ったら、まずこれだけは絶対に取っとけ」
そう言うとプラレスは魔石を指で摘み上げて見せる。
魔石。金になる石。
オレは、その小さな石をじっと見た。
「さっき、ジオルガが光になったのを見ただろ?」
……見た。
死んだあと、身体がさらさらと崩れて、光の粒になった。
ゲブからも光は抜けていた。だが、ゲブはほとんど形が残ってるのに対して、ジオルガはもはや解体の必要すらなさそうなくらいに消えてしまっている。
「あれは魔素結合が解けたんだ。魔物の身体ってのは、魔素が固まってできてるところがある。死ぬとそれがほどけて、残るもんだけが残る。肉とか皮とか、角とか、魔石とかな。理由は……ま、そういうのもいるってだけ思っとけばいい」
プラレスはジオルガの角を軽く蹴った。
「だから、魔物は死んだあとも役に立つ。喰える。売れる。道具にもなる」
……死んだあとも、役に立つ。
死んだら魔素化する……。
その言葉で、砂上船の残骸が頭をよぎった。
叫び声と血の匂い。動かなくなった奴隷商人と船員。そして残りの奴隷たち。
(……誰も、光になんてならなかった)
ふと、思い至ったその疑問にプラレスが先んじて回答する。
「『人間は』、死んでも魔素化しねぇ」
プラレスの声が、ほんの少しだけ低くなった。
オレは顔を上げる。
『人間は』……。
「獣もそうだ。死んだら死骸が残る。腐って、砂に埋もれて、虫や魔物の餌になる。それだけだ」
……じゃあ、『魔族は』?
「……魔族は死ぬと、身体の魔素結合がほどける。……魔物みてぇにな。そんでもって、心臓を傷つけずに死ねば……魔石に似た、〈魔結晶〉ってもんを残すことがある」
〈魔結晶〉。聞き慣れない言葉だった。
「昔はな、それを欲しがる奴もいた。綺麗だから。力があるから。触媒になるから。魔物扱いした方が何かと都合がいいってな……まあ、ろくでもねぇ話だ」
プラレスは笑った。
けれど、その笑い方は、いつもの軽いものとは少し違っていた。
…………。
……よくわからなかった。
魔物は死んだら魔石が残る。
魔族は死んだら魔結晶が残る。
人間は身体がそのまま残る。
心臓が止まれば、死ぬ。
動かなくなれば、死ぬ。
喰えなくなれば、死ぬ。
心臓が止まるのと、魔素化するのとで、何の違いがあるのだろうか?
死んだ後に石が残るかどうか。
それが、そんなに違うことなのだろうか。
「……難しい顔すんな」
プラレスが、オレの頭をくしゃりと撫でた。
「今のお前が覚えときゃいいのは、ひとつだ」
ひとつ。
「魔石は金になる」
プラレスは掲げていた小さな魔石を、オレの手のひらに落とした。
ころり、と硬い感触が乗る。
「金がありゃ飯が買える。水が買える。服も買える。寝床も借りられる。つまり、生きられる」
生きられる。
「で、それを手に入れるには、狩る力がいる」
オレは、手のひらの魔石を握りしめた。
小さくて、硬くて、冷たい。
けれどそれは、ただの石ではなかった。
オレが初めて斬ったものから出てきた『価値』だった。
弱ければ、あのまま喰われるだけだった。
けれど、強ければ、剣が届けば。
喰える。
売れる。
生きられる。
オレは初めての狩りを成功させ、強さが『価値』に変わるのを実感した。
*本イラストは生成AIを使用しています




