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自由のアリア  作者: カラノニジ
第十一章:カケ違えた釦だけ外しても襟元は正せず
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第96話:焦燥

挿絵(By みてみん)


ここから第十二章です。

 

 生きることは、喰うことだ。


 人間も、魔族も、魔物だってそうだ。

 誰もが何かを喰って生きている。

 何かの命を奪い、何かの先を貪り、糧として取り込み、自分の力へと変えていく。


 生きるには、喰らわなくてはならない。


 喰らわなければ強くなれない。

 強くなくては喰えない。


 弱肉強食こそが、まごうことなきこの世の真理だ。


 真に強ければ、他者に煩わされず己の道を進める。

 真に強ければ、他者の都合にも関係にも呑まれず、己の我を通せる。


 だから喰う。


 喰って、喰って、喰らい続ける。


 骨も、肉も、力も、血も。


 そうして大きくなる。強くなる。強くあり続ける。

 それだけが、生きるために必要なことのはずだった。


 なのに――


『おい、てめぇ、ちっとは協力しやがれ!』

 苛立ったような、怒鳴るような声。


『みんなで食べると、きっと美味しいですわね!』

 何ひとつ疑わず笑う、眩しい声。


『安心したまえ。君が討ち洩らしても、このボクがいるからね!』

 軽薄なくせに、妙に自信に満ちた声。


『お、美味しいですか? よかったです……よ、よく食べるんですね……』

 優しく、こちらへ差し出される声。


 オレにはわからなかった。


 周りと協力する意味も。

 周囲に同調し、歩幅を合わせて進む意味も。

 自分より弱い者に獲物を分け与え、自分の取り分を減らす意味も。


 強ければ、自分一人で勝てばいい。

 強ければ、自分一人で喰えばいい。

 強ければ、誰かに合わせる必要なんてない。


 そんなものの意味が、わからなかった。


 最初は。


 ……今も。


 たぶん根っこのところでは、全部はわからない。


 それでも。

 ほんの少しだけ、その意味がわかりはじめていた。



 オレは強い。

 そう思っていた。


『おい、〈沈黙〉! 合わせろ!』


 一人では倒しきれない強敵が居た。

 〈鐵喰い〉、グリフォン、リッチ。

 オレの刃が今一歩、届かない。



 オレは強い。

 そう思っていた。


『〈ヴァーミリオン・ノヴァ〉!!』


 イシュカが放った、あのデタラメな魔法。

 オレの全力を、軽々と踏み越えていった威力。



 オレは強い。

 そう思っていた。


『所詮は魔族と人間、絶対に分かり合えねぇんだよ!』


 違うと否定するだけの力を、オレは持っていなかった。



『わりぃ……エステル。それから皆も……おう、連れてけ。……煮るなり焼くなり好きにしろ』



 鉱山を出た後のことだ。

 兵に囲まれ、連れていかれようとするアリアの姿に、遠い昔の光景が重なった。


 そして、すべてが終わったあと。

 自分の無力さに打ちひしがれていたアリアを見て、気づけば串焼きを差し出していた。


『食べて元気を出せ』


 どう慰めればいいのかなんて、知らない。

 ただ――昔、自分がそうされたようにしただけだった。


 悔しいなら、喰えばいい。

 喰って、強くなればいい。

 それが、オレの知っているやり方だった。



 同時に……以前のオレなら、絶対にしなかったことだった。



 獲物を分けること。

 背中を預けること。

 自分が取りこぼしたものを、誰かが拾うこと。



 一人で喰らうだけでは得られない何かが、そこにあること。



 その意味が少しわかりはじめると同時に――




 オレは……自分がどんどん弱くなっていくのを感じた。




 ワイバーンを取り逃がした。



 勝てたはずの相手だった。

 もっと早く〈バアルスフィア〉を練り上げ、飛び立つ前に〈ダウンバースト〉を叩き込めばよかった。


 ……いや、間に合っていた。

 あのまま吹き飛ばしていれば、仕留められたはずだった。



 仲間を巻き込む?

 タイミングを合わせる?

 連携?


 そんなものは、強くない者が縋る手段だ。


 負ければ死ぬ。

 喰われる。

 奪われる。


 だから勝たなくてはならない。


 オレが強ければ勝てた。

 あの時も。

 オレがもっと強ければ、みんなを守れた。

 あの時も。


 誰も危険に晒さずに済んだ。

 止められることもなかった。

 逃がすこともなかった。


 繋がりを得るためにも、強くならなくてはならない。

 繋がりを守るためにも、強くならなくてはならない。


 だから喰う。


 喰って、強くなる。

 強くなって、喰らう。


 そうしなければならない。

 そうでなければ――


 そこまで考えたところで、奥歯を強く噛みしめた。


 己の牙は、もっと尖っていたはずだ。

 己の爪は、もっと鋭かったはずだ。


 動きはもっと研ぎ澄まされ、

 飢えはもっと純粋だったはずだ。



 ……もっと単純で、もっと簡単な生き方だったはずだ。



 街を抜ける風は冷たくもない。

 夕暮れ前のガルドアの空気は、イドリアよりずっと柔らかい。

 それなのに、胸の内側だけが焼けた鉄みたいに熱を持っていた。


 足りない。


 まだ足りない。


 腹は満ちているはずなのに、渇きだけが消えない。


 もっと喰らわなければ。

 もっと強くならなければ。


 でなければ、また取り逃がす。


 また届かない。


 また守れない。


(なぜ飢える? 何が足りない?)


 前だけを見て歩く。

 街外れへ向かう足は止まらない。


(教えてくれ、プラレス……)


 機能を失ってもなお、首元に残り続ける呪いの跡に、その痛みを思い出すかのように爪を立てる。


 誰も、何も言わない。

 言う必要もない。


 ただ、胸の奥で煮え立つ焦燥だけが、獣のように吼え続けていた。



 ──────────

 ──────

 ───

 ──



 満天の星。


 見渡す限りの赤い砂の海を、底冷えのする風が吹き抜けていく。

 昼のあいだに蓄えられた熱が、足元の砂からまだかすかに立ちのぼっていた。だが、カラカラに乾いた夜気は、その残り火さえさらうように、容赦なく肌から熱を奪っていく。


 痩せ細った黒髪の少年は、ひんやりと冷えゆく砂の上に座り込んでいた。

 背を預けているのは、つい先ほどまで自分を運んでいた砂上船――その残骸だ。


 奴隷を移送するはずだった船は、もはや元の形を保っていない。


 始まりは、ほんの些細な音だった。


 その振動に引き寄せられたのは、砂の底を泳ぐ巨大な蟲。

 船底を突き上げられ、あっという間に船はひっくり返った。


 最初に喰われたのは、誰よりも甲高い悲鳴を上げた奴隷商人だった。


 次いで、我先にと逃げ出そうとした奴隷たち。

 恐慌に陥り、無意味に剣を振り回した船員たち。


 砂が跳ね、血の匂いが混じり、鈍い咀嚼音が響く。


 ひとつ、またひとつと、夜の砂漠から音が消えていった。


 少年は逃げなかった。

 逃げる気も起きなかった。

 自由意志などというものは、とっくに取り上げられていた。

 声を出す『権利』すら、持ち合わせてはいない。


 ただ残骸のそばに座り込み、自分の番が来るのをじっと待っていた。

 助けを呼ぶ、などという発想そのものが浮かばない。

 ただ与えられるものを受け取るだけだった。


 それが、もしも家畜の餌なら、黙ってそれを受け取る。

 それが、もしも言われなき暴力なら、黙ってそれを受け取る。

 それが、もしも死だというのなら、黙ってそれを受け取る。


 短い生で覚えたことは、それだけだった。





『助けを乞うて助かった者はいない』。


 言葉に力などない。





 目の前の砂丘を波縫いするように、巨大な蟲の背がうねりながら通り過ぎていく。


 いつ頭上から、あるいは地中から、巨大な顎が降ってきてもおかしくなかった。


 ――だが、その時は結局回ってこなかった。


 皮肉にも……声ひとつ上げなかったことで、奴らに気付かれることはなかった。

 この中で最も生を諦め、最も死を受け入れた自分だけが生き残った。


 どれくらい経っただろうか。

 喰う者も、喰われる者も消え去った。

 誰も何も喋らない。


 砂に散った血がじわりと吸われていく。

 ひっくり返った船体の軋みすら、もう止んでいる。

 さっきまで耳を埋めていた悲鳴が嘘みたいに消え、残ったのは風が砂を撫でる音だけだった。


 自分もまた、その残骸のひとつみたいに動かなかった。


(静かだな……)


 怒号も悲鳴もない。

 鞭打つ音も、苦痛に呻く声も聞こえない。


 風が砂を擦る音しか聞こえない静寂のなかで、座ったまま何時間が過ぎたのかわからない。


 ふと見上げた空には、不気味なほど巨大な月が浮かんでいた。


(何故、あんなにも大きいのだろう)


 天を圧するような丸い光の底で、己という存在のなんと矮小なことか。


 喰われる価値すらなく、死にさえ見逃されたちっぽけな命。


 広大な砂の上でただ一人。

 声を上げることなく。

 このまま終わりが来るのを、〈沈黙〉だけが迎え入れていた。


 その終わりのない沈黙を破ったのは、一人の男の声だった。


「こりゃ、ずいぶん派手にやられたな……さてさて、なにか使えそうなもんは……っと、おん?」


 砂を踏みしめる重い足音。

 月光を遮り、男の影が少年の前に落ちる。


「おー……おー……酷いことしやがるぜ……」


 男の声からは、何も感じなかった。

 怒りも、嘲りも、怯えも、焦りもない。


 ただ、転がった死の痕跡を眺めるような、どこか間の抜けた響きだけが砂漠の夜に落ちていた。


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