第94話:ちゃんとした言葉
マハレの先導でギルドを出て、街の緩やかな坂を上っていく。
石造りの家並みを抜け、少し開けた高台に出ると、一際立派な屋敷が見えてきた。
高い塀で威圧しているわけじゃないが、門構えはがっしりとしていて、手入れの行き届いた庭の奥に白亜の邸宅が建っている。
貴族の屋敷にありがちな嫌味な豪華さはなく、辺境の街にしては小綺麗で立派な造りだ。
あくまでこの街の規模と豊かさに収まった、実益重視の構えだった。
(これが、領主の代理人……いや、『顔役』の家ってわけか)
邸宅の従者に案内され、俺たちはふかふかの絨毯が敷かれた応接室へと通された。
程なくして現れたのは、仕立ての良い服を着た初老の男だった。穏やかな笑みを浮かべてこそいるものの、所詮は冒険者相手という態度が端々から伝わってくる。
男は俺たちの顔と、首に提げた金色のプレート、そしてイドリア皇家の紋章が入った『使者任命状』を交互に見比べ、難しい顔をする。
(フン……「厄介ごとを持ち込みやがって……」って顔に書いてあるぞ)
「ううむ、確かに公式の書状のようですな。申し遅れました、私はこの街の顔役を務めさせていただいております、サザロと申します。このような辺境ではありますが歓迎致しますぞ。〈ババ抜き〉のアリア殿」
顔が引き攣りそうになるのを必死に取り繕う。
決して馬鹿にしているわけではない。
封書に添えられた使者任命状の身分書きにそう記されているのだから、そう呼ぶのがむしろ正しいのだ。
後ろではジーンが肩を震わせて笑いを堪え、ニーコは俺が暴れ出さないかとキョロキョロと視線を彷徨わせる。
そして意外にもエステルだけは場を弁えたように静かにしている。
(チッ……クソ腹黒皇子めっ!! 落ち着け……こういうのは最初が肝心だ……)
「……お初にお目にかかります。イドリア帝国より、イレイル殿下の勅命を拝領し参りました、金等級パーティ〈ジョーカー〉リーダーのアリア・ロアンです」
声のトーンを落とし、冷たく通る声で一礼する。
背後で、ジーンとニーコが同時にビクッと固まったのが気配でわかった。
俺の淀みない公的な名乗りに、サザロとマハレもまたスッと背筋を伸ばす。
(……フン、最初からそうしてろ。こちとら使者サマなんだからよ!)
少なくとも今こいつらは、俺をそこらのゴロツキ上がりの冒険者じゃなく、書状を持った使者として見始めた。
「単刀直入に申し上げます。――この度、イドリア帝国とガルドア王国の国境を分かつブラックロックマウンテンにて……両国に繋がる抜け穴が発見されました」
重大な国境問題を悟ったサザロとマハレが息を呑む。
「そして、両国の『どちら側からか』侵入を果たした魔族――グァマが、イドリア帝国領内にて件の穴を拠点に活動しておりました。我々は事前にその計画を挫き、撃退に成功したものの、魔族はその抜け穴を通じてガルドア王国領内へ逃走しております」
「なっ……ま、魔族が、この地にですと!?」
マハレは額から汗が滲ませ、ハンカチでたびたび拭っている。
魔族の侵入。国境警備上の責任問題。
わかりやすく『事件』ではある。
だが、単純な戦力と被害規模だけで見れば、魔族一人だ。
厄介な魔物が一体、国境を越えたのと大差はねぇ。
イドリア帝国が、わざわざ使者まで立てた理由はそっちじゃねぇ。
『正規の関門を通らず両国を行き来できる穴が、誰にも把握されないまま開いていたこと』の方だ。
密輸人でも密偵でも、同じ道を使える。
しかも今回は、イドリア帝国で追い詰めたグァマが、その穴からガルドア王国へ逃げ込んだ。
イドリアは「ガルドア側から入り込んだ魔族の後始末だ」と言える。
ガルドアは「イドリアの不始末を押しつけられた」と言える。
どっちの警備がザルだったのか、イドリアがわざと逃がしたのか。先に責任の話を始めりゃ、水掛け論で泥沼になる。
だから責任は一旦横に置く。
そして先に通路の実態とグァマの所在を押さえ、両国で封鎖と再発防止を決める。
両国の軍や高官が大挙して動く前に、俺たちが初動を揃え、現地協議を済ませる――それが、この勅命の政治的な役目だ。
「両国間の無用な摩擦を避けるため、そして事態を迅速に収拾するために、我々〈ジョーカー〉はイレイル殿下より魔族グァマの侵入に関する調査、討伐の任を帯びております。つきましては、当地での調査活動の許可をいただくために、辺境領主オグルッド・ユーレイル卿への面会を取り次いでいただきたく」
勅命そのものは、軍と鉱夫たちの前で下された。俺たちが魔族を追って国外へ出たことまで、今さら完全に隠せるとは思っていない。魔族の流入についてはいずれ噂は回る。
だが、坑道の奥を実際に見た人間は限られている。イドリア側の通路は既に軍が封鎖し、その位置とグァマの逃走経路も、関係者以外には伏せられている。
いつになくシリアスで真面目なやり取りに、流石のジーンも空気を読んで茶々を挟まない。
ニーコは固まったまま場違いに背筋を伸ばしている。エステルですら珍しく口を開かず聞き入っている。
「……なるほどですな、それで金等級の冒険者が使者に」
俺の言葉に、サザロはゆっくりと、深く息を吐き出した。
先程までのにこやかな笑みがスッと消える。
代わりに浮かんだのは、辺境の街を預かる実務者としての、誤魔化しようのない重い疲労と緊張だった。
「……国境の抜け道、そして魔族の侵入。これは確かに、一介の顔役が独断で抱えきれる問題ではありませんな」
サザロは傍らで脂汗を拭うギルド支部長マハレを一瞥し、重々しく口を開いた。
「体面を気にして見栄を張っても仕方がありませんので正直に申し上げますが……アリア殿、このエルピノの自警戦力は、あくまで街の治安維持に毛が生えた程度の最低限のものです。大事が起きれば、強固な門を閉ざして、領主様からの騎士団派遣をひたすら待つしかないのが実情なのです」
(ま、辺境の防衛力なんてどこもそんなもんだ)
「事態がこじれる前に、イドリア帝国の誇る金等級の方々が直々に処理してくださるというのであれば、我々にとってこれほどありがたい話はありません。全面的な協力をお約束しましょう。直ちに領主のオグルッド卿へ急使を走らせましょう」
「ご賢察に感謝いたします。サザロ殿」
俺は恭しく一つ頷き、相手が完全にこちら側の「任務」の重さを理解し、協力姿勢を見せた絶好のタイミングで、すかさず言葉を継いだ。
「――ただ、その『騎士団の派遣を待つしかない大事』について、もう一点、追加でご報告しなければならない事態が発生しております」
「……と、申しますと?」
「関門を抜けた先の平原で、フレイムワイバーンの襲撃を受けました」
「なっ……!」
サザロの眉がピクリと動き、傍らのマハレへと視線を向ける。マハレはビクッと肩を跳ねさせ、慌てた様子で頬の肉を左右に揺らしてそれに返答する。
(なるほど、目撃証言はなしか)
フレイムワイバーンはC+ランク。
騎士団の駐屯地がどこかは知らないが派遣を依頼しても数日はかかる。
……とはいえ辺境戦力でも、それなりの被害さえ覚悟すれば対応できるランクだ。
金さえ積めば冒険者だって動く。
驚きはあるが、絶望ってほどじゃねぇ。
飛竜が出るくらいは想定内。
驚いてんのは、そっちじゃなくて到着したばかりの『使者』の俺たちが襲撃されたって事実に対してだ。
「突然の上空からの強襲でした。もっとも、我々はあくまで他国からの使者。勝手に他国の領地で大立ち回りを演じ、無断で山野を荒らすわけにもいきません。故に、深追いは避けて撃退に留めました」
(……仕留め損ねた言い訳に聞こえるかもしれねぇが、勝手に暴れて街に迷惑をかけるような、頭の悪いゴロツキじゃねぇって念押しだ)
「ただ……どうにも妙な……いえ、異常というべき個体でした」
言葉を切り、平原での光景を頭に浮かべる。
「赤い鱗に火炎のブレス。フレイムワイバーンであることは間違いありません……。しかし、色は通常の個体よりも赤黒く、おまけに、自らの身体が地面に激突して砕けることも厭わない、半狂乱の自爆特攻を仕掛けてくる異常な凶暴性。極めつけは……ウチの弓使いが眼窩から脳天まで矢を貫いたにもかかわらず、平然と活動を継続して空へ逃げ去るほどのタフネスです」
「……矢で脳を貫かれて、活動を……?」
サザロの顔から、明確に余裕が消え去った。
(……異常個体、って言葉でようやく危機感を覚えやがったな)
「この肥沃なガルドア王国ではフレイムワイバーンもこのように強力に?」
反応から既にだいたい察したが、認識の擦り合わせのために確認と同時に皮肉も付け加える。
「……そのような異常個体の目撃報告は、これまでギルドにも、領主館にも一件もあがっておりません」
サザロが顎に手を当て、険しい目つきで呟く。
「ごく最近、この周辺に流れ着いた個体と見るべきでしょうな。しかし、フレイムワイバーンとなれば話は別だ。あのような巨大な火種に、これからの時期の穀倉地帯を飛ばれでもしたら……万が一、実り前の麦畑に火を放たれでもすれば、この周辺の村々は一溜まりもない……」
魔物の厄介さは強さそのものだけじゃねぇ。
活動範囲の広さや、凶暴性、あるいはその特性。
フレイムワイバーンは単純な強さだけ切り取ってもCランク上位。
そこらの有象無象じゃ、出会った瞬間に消し炭にされちまうのがオチだろう。
さらに、飛行するアイツは行動範囲も広く、非常に好戦的で、挙げ句に火まで吐く。
家畜や農作物への影響も加味すると、領地経営者からすれば厄介極まりない相手というのが結論だ。
サザロの視線が、不意に俺へと向けられた。
(……おいおい、その目はなんだ? まさか、俺たちにタダ働きで処理させようって魂胆じゃねぇだろうな?)
「アリア殿。イドリア帝国の誇る金等級の御力、先ほどの見事な思慮深さ。誠に頼もしい限りです。もし、その異常な飛竜が再びエルピノの脅威となるようなことがあれば、その時はぜひ――」
「お言葉ですが、サザロ殿」
俺は冷たく通る声で、その虫のいい打診をピシャリと遮った。
「我々〈ジョーカー〉は、イドリア帝国より『魔族グァマの調査と討伐』という明確な勅命を帯びて派遣された身です。帝国の戦力を、現地の魔物退治のために安易に割く権限は、『使者としての我々』には与えられておりません」
要するに頼みたいなら、使者にではなく〈ジョーカー〉に依頼して「金を払え」って話だ。
なんでもかんでも首を突っ込んで解決してやるような、安い便利屋じゃねぇんだよ。
皇子からの〈勅命〉ってのは厄介だが、こういう面倒事を突っぱねるための最強の笠でもあるんだからな。
「もちろん、任務の過程で我々の行く手を阻むのであれば、その時は容赦なく排除いたしましょう。ですが、飛竜の専任討伐をお約束することはできかねます。……現地の防衛は、あくまでエルピノの皆様の管轄かと存じますが」
一歩も引かずに見据える。
サザロは僅かに目を見開き――やがて、深く息を吐いて頷いた。
「……出過ぎた真似をいたしました。仰る通り、使者殿を煩わせるような問題ではありませんな。こちらの防衛は、我々の責任で手配いたしましょう」
サザロの態度から、『腕っぷしは立つが所詮は冒険者』という軽視の色が完全に消えた。
目の前の相手を、公的な使者として明確に見直したのがわかる。
(……よし。これで舐められることはない)
「ご理解いただき感謝します。……では、我々はこれにて。オグルッド卿への面会の段取りが決まり次第、ご連絡をお待ちしております」
「ええ。すぐに急使を走らせます。皆様の宿につきましては、私どもの方でエルピノで一番の宿を手配させていただきましょう。費用はすべてこちらで持ちますゆえ、どうか旅の疲れを癒やしていただきたい」
「お気遣い痛み入ります。返答をお待ちする間、我々も街の空気に触れ、少しばかり情報を集めさせていただくとしましょう」
俺は最後に、イドリア貴族式の隙のない一礼をし、踵を返す。
エステルたちに目で合図すると、その歩を応接室の扉へ向けた。
(これ以上の長居は無用だ。言うべきことは言い、通すべき筋は通したからな)
ジーンはニヤニヤと含み笑いを浮かべながら俺に続く。
エステルも「ごきげんよう」と軽く挨拶を述べたのちに、スカートの裾をちょこんと持ち上げると可愛らしくも完璧な礼を行う。
ニーコも何かしないといけないのかとおどおどと慌てて、エステルの見よう見まねで裾に手をやろうとする。
だが、今コイツが着ているのは装備を身につけたままの戦闘服だ。
掴むべきスカートなどあるはずもなく、宙を摘むように手を浮かせたまま、「ご、ごきげんよう……!」とだけいうと小走りでついてくる。
重厚な応接室の扉を背に、俺たちはサザロの邸宅を後にした。




