第93話:エルピノ
エルピノへ向かう街道を、俺たち五人は歩いていた。
だが、いつもの騒がしい行軍とは、明らかに空気が違った。
先頭を歩くガロードの背中が、壁みてぇに硬い。
ただ、それだけで話しかけるのを躊躇うのには十分だった。
いつもの気だるそうな歩調じゃない。
地面を一つ一つ踏みつけるような、荒く、重い足取りだった。
ワイバーンを取り逃がしたこと。
〈バアルスフィア〉を俺に止められたこと。
……首元の、あの黒い紋様を見られたこと。
どれが一番こいつに効いてるのかは知らねぇ。
だが、俺の手を叩き落としたあの瞬間から、こいつは完全に殻を閉じちまっていた。
「……おい」
背中に声をかけても、返事はない。
……当たり前だ。
こいつが言葉で返事なんかするわけがねぇ。
だが、いつもの『食い物以外に興味がねぇから返事をしない』のと、今の『明確な意思を持って拒絶しているから返事をしない』のでは、明らかに質が違った。
(……チッ)
無意識に舌打ちが漏れる。
無性に腹が立つ。
何にって――全部だ。
あのイカれたワイバーンを取り逃がしたことも、パーティの連携がバラバラだったことも、ガロードの秘密に触れちまったことも。
そして何より、俺がガロードに気を遣って声をかけようとしていることにだ。
この木偶の坊が……食い物以外のことで、まともに感情を見せたことが存外にショックだったらしい。
こいつがあんな拒絶の目をするなんて思ってもみなかった。
(……何を考えてるのかわかんねぇんだよ、お前は)
「あ、あの……」
背後から、ニーコがおろおろと人差し指を合わせながら、こそこそと俺に小声で話してくる。
「ガロードさんは……何故怒ってるんでしょうか……? わ、私が、盾の反応が遅かったからでしょうか……?」
不安げに見上げてくる小動物みてぇな顔に、俺は短く息を吐いた。お前らのせいじゃねぇよ。
「ほっとけ。ワイバーンの肉が食えなくて拗ねてるだけだ」
口ではそう言い捨てつつも、胸の奥にざらついたものが引っ掛かっている。
「まぁ! お腹が空いていらっしゃるのですのねっ?」
俺の苦しい誤魔化しを真に受けたエステルが、ポンと手を打ってパァッと顔を輝かせた。
「それではエルピノに到着しましたら、ガルドア到着記念の祝賀会を開きませんとねっ! 美味しいものをたくさんいただけば、きっとガロード様も笑顔になりますわ!」
「おおっ、それは良いアイデアじゃないか! エステルちゃんはいつも素晴らしい提案をするね」
すかさずジーンが、怪我した腕を庇うそぶりも見せずに、胡散臭い笑顔で同調してくる。
「やはり地元の美しいレディたちと親睦を深めるには、美味しい食事と美酒を共にするのが一番だからね。ボクの愛の詩を添えれば、祝賀会は最高にロマンティックな夜になること間違いなしさ!」
「やめろ! 町に立ち寄る度に宴会を開いてたら財布が持たねえだろうが!」
俺は即座に怒鳴りつけた。
たしかに、イレイル皇子にあの魔鉄の欠片を売りつけたおかげで、今の俺たちの懐はそれなりに潤っている。
だが、それも無尽蔵ってわけじゃない。
これから標的の追跡のために、どれだけ町や村を渡り歩くことになるか分からねぇんだ。
その度に馬鹿騒ぎして旅費を溶かしてちゃ、いつまで経ってもこの依頼は終わらない。
だいたい、皇子直々の『勅命依頼』などと大層な銘を打っておきながら、俺たち〈ジョーカー〉に支払われた実際の事前準備金なんてものは雀の涙ほどだった。
その大部分が『誉れ』だの『名声』だのという、金にも腹の足しにもならないモンで構成されている。
(あの腹黒皇子の御心なんてものは、俺にはさっぱり読めねぇが……)
資金調達の手間を含めて、俺たちに時間をかけさせようとしているのだけはわかる。
ま、内政的な調整が終わるまでは俺に戻って欲しくはないってとこだろうな。
(ふん、あんなクソ寒い国、こっちから願い下げだ)
いずれ報告には向かわなくてはならないが『無期限』ってことは、裏を返せば気が向いた時でいいってことだ。
(とはいえ、イシュカとの約束もある。いずれ帰るさ……そのうちな)
今はまだ目の前の問題を順番に片付けていく必要がある。
国境の関門から数時間。
ガリア山脈の雪解け水が流れる小川を越え、草原を歩いていくと、見えてきたのは、石造りの家々が丘の斜面に段々と積み上がった、こぢんまりとした街並みだった。
「あ、あれがエルピノですね! 街並みも変わらないなぁ……」
以前にこの地に立ち寄ったことのあるらしいニーコが、懐かしそうに目を細める。
「まぁ! なんて素敵な街ですわっ! お屋根が赤くて、まるで街全体がお菓子みたいですわ〜!」
門の隙間から街の様子を覗き込んだエステルがはしゃぐ。
「はしゃぐな、静かにしてろ!」
(お菓子の街て……どこのお伽噺だよ)
形ばかりの検問所で金色のパーティプレートを提示すると、すぐに入門許可が下りた。
雪国イドリアの角張った建築様式と違って、屋根は丸みを帯びた赤い瓦で覆われ、壁は白い漆喰。
建物同士の隙間も広々と確保され、窓辺には花が飾られ、通りには露店が並び、行き交う人々の服装も薄い。
当たり前だが、雪がねぇってだけで街の雰囲気がまるで違う。
ゆったりと空気が柔らかい。
鼻の奥がツンとしない。
すれ違う人間の顔に、凍死しそうな切迫感がない。
「浮かれる気持ちもわかるが、まずは仕事をすましちまうぞ。ここの冒険者ギルド経由で領主への取り次ぎを請求する……ぞ、ってオイ」
街のなかに入って振り返ると、ガロードはスゥーっと数十歩先の屋台の前に、吸い込まれるように歩いていく。
鉄板の上でジュウジュウと音を立てて焼かれている何かの肉を、目の色を変え食い入るように見つめていた。
「ガロード様~! 行きますわよ~!」
エステルが声をかけるが、俺は苛立ちをため息混じりに吐き出して、軽く手で制止する。
「ほっとけ。つーかちょうどいい、こいつは飯屋にでも放り込んどけ。……報告中に隣で飯食われてもかなわん」
呆れ果てて言葉も出ねぇ。本当に胃袋と脳みそが直結してやがんのか。
「……ハァ。ニーコ、ギルドの場所は分かるか? 案内してくれ」
「は、はいっ、ええと……たしかこっちの住居区の奥の……」
おろおろと記憶を辿るニーコを先頭に、俺たちは歩き出す。
街に敷き詰められた凹凸のある石レンガの道を、足の裏で引っ掛けるようにして進み、冒険者ギルドへと向かった。
辿り着いたエルピノのギルド支部は、ファルメルのそれと比べるとずいぶんとこぢんまりとした作りだった。
国境近くの街とはいえ、辺境は辺境だ。
受付の窓口は二つしかなく、〈大看板〉も一つだけ。
その〈大看板〉も半分を埋めるのがやっとといった隙間だらけの有様だ。
昼時だというのに冒険者の数もまばらで、併設された酒場のテーブルも半分は空いている。
(ま、少し進めばもっとデカい都市があるんだ。わざわざ、こんな場所で根を下ろすもの好きも少ないってことだろうな……。小さい分、話は通りやすいといいがな……)
俺は受付に歩み寄ると、懐から金色のパーティプレートを取り出し、イレイル皇子の署名が入った『使者任命状』と共に提示した。
書状に触れようとしていた受付嬢は、『イドリア帝国の使者』の文字を見て、火傷でもしたかのようにビクッとその手を引っ込める。
まあ、こんな辺境の街で金等級パーティ、おまけに他国の皇子の書状持ちなんざ、お目にかかる機会は滅多にねぇだろう。
「し、失礼いたしました……! 少々お待ちください、すぐに支部長をお呼びいたします!」
バタバタと慌ただしく奥へ消えていく受付嬢。
その過剰な狼狽えっぷりを見て、ジーンが胡散臭くくすくすと笑う。
「おやおや、金色は伊達じゃないね」
その騒ぎで、酒場にいた数少ない冒険者たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
背後からひそひそと声を抑えた会話が漏れ聞こえ、チクチクと値踏みするような視線が背中に刺さる。
(チッ、見せもんじゃねーぞ……!)
舌打ちを噛み殺し、思考を切り替える。
いかんいかん、まずは目先の仕事に集中だ。
「あ、あのっ、私たち、そんなに変でしょうか……?」
注目に耐えきれなくなったニーコがおろおろと自分の頬に触れる。
「あるいはボクの瞳を直視できないほどの、恥ずかしがり屋さんだったかな?」
お前らの顔のせいじゃねぇよ。
「皆様~! ごきげんよう! わたくしたちはイドリア帝国から参りました金等級パーティ〈ジョーカー〉ですわ~! 今後ともよろしくお願いいたしますわっ!」
エステルの口上が一手に視線を独占する。
俺たちに向けられていた余所者に対する探るような警戒と値踏みの色は、場違いな珍獣を見るような好奇の視線へと変換された。
「目立つなってんだ!」
エステルのほっぺたをつねりあげながら引き寄せる。
「い゛たたたた! アリア様、ご挨拶は友好の基本ですのよ!?」
「ここは茶会の席じゃねえつってんだよ!」
自己紹介というよりは宣戦布告だ。
いきなり現れた余所者が金等級を笠に着てデカい顔をしている……などと捉えて面白くないと感じる輩もいるかもしれない。
(ああもうっ、さっさとしてくれ……)
ニーコじゃないが注目に晒され続けるのも、気が滅入る。
受付嬢に騒ぎ立てるなと先んじて釘を刺しておくんだった……と後悔しながら、待つこと数分。
奥の扉が開き、受付嬢に案内されて一人の男が小走りで現れた。
「やあやあ、お待たせいたしました! 当エルピノ支部の支部長を務めております、マハレと申します!」
(声がデケェんだよ! どいつもこいつも!)
現れたのは、初老で小太りのオヤジだった。
顔にはニコニコと胡散臭い商売用の笑みがへばりついているが、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
人当たりは良さそうだが、あの脂ぎった感じ……ギルドの女性職員からの人気は皆無だろうな。
俺は金色のパーティプレートと使者任命状を提示し、さらにオグルッド卿宛の封書の表書きだけを見せた。
マハレはカウンターの上の書状に目を落とし、封蝋の紋様を確認すると、ゴクリと喉を鳴らした。
決して中身を改めようなどとはしない。
自分が読むべき代物ではないと、己の立場をきっちりわきまえている証拠だ。
「宛先はユーレイル領領主、オグルッド・ユーレイル卿。差出人はイドリア帝国のイレイル殿下だ。俺たち〈ジョーカー〉は、その勅命を受けて動いてる」
俺は相手を過剰に威圧しない程度に、だが足元を見られないよう、砕けた実務口調で手短に用件を伝える。
「ここじゃ詳しい内容は言えねぇが、北部の安全保障に関わる内容だ。もたもたしてる暇はないんでな。領主との面会を最短で取り付けてくれ」
「ほ、北部の安全保障……! なるほど、承知いたしました。私のような者がおいそれと触れてよい案件ではございませんね」
マハレは懐から取り出したハンカチで額の汗を拭いながら、何度も深く頷いた。
「オグルッド卿は現在ご多忙の身ではございますが……この書状と、金等級の皆様の来訪とあらば話は別でしょう。そうですな……差し当たっては、卿の代理人であるサザロ殿への面会を私が責任を持って手配しましょう!」
(サザロ……? ああ、この街の顔役か?)
「話が通じて権限があるなら誰でもいい。必要なら使者としての任命書は提示する。案内を頼む」
「ははっ、ただちに! ささ、皆様、サザロ殿の邸宅へご案内いたします!」
揉み手でもしそうな勢いで、マハレがギルドの出口へと手で道を示す。
(はぁ……まあいい。ここまではスムーズだ。……注目されてんのは気持ち悪いけどな)
俺たちはマハレの先導に従い、サザロの邸宅へと向けてギルドを後にした。




