第91話:国境検問
やがて、雪原の果てに灰色の石壁が見えてきた。
山間の谷を塞ぐように築かれた巨大な関門。
ガリア山脈の裾野に沿って左右に伸びる城壁は、まるで山そのものを繋ぎ止めているかのようだ。
壁の上には帝国を象徴する太陽の国旗が翻り、等間隔に見張り塔が立ち並んでいる。
「あれが、〈北ガリア関門〉か」
ガリア山脈を越えてガルドア王国へ向かうための、数少ない正規ルートの一つ。
――いや、「正規ルート以外は存在しない」と言った方が正確か。
「あ、あの山を越えるんじゃなくて、よかったですね……」
ニーコがガリア山脈を見つめながら呟く。
「あら? ニーコさん、山登りも楽しいのではありませんこと?」
「アホか、半分も登らねぇ内に滑落すんのがオチだ」
山越え? 馬鹿を言え。
今歩いてるこの峠は通商路として整備されてるからまだマシだが、本気でガリア山脈を登頂して向こう側へ下ろうなんて命知らずはいない。
気象条件だけでも十分に致命的だが、問題はそれだけじゃない。
山に棲む原生の魔物共も厄介極まりない。
わざわざあんな過酷な環境に根を下ろすような連中だ。
エブラオッカに始まり、フロストサラマンダー、グリフォン……。
そんな連中が巣食う凍てついた山で命懸けのやり合いをしてまで、非正規で国境を越えようなんて誰が思う?
足場どころか視界すら確保できねぇ暴風雪の中、歩くのもままならないただの人間が、奴らのホームグラウンドに踏み入るのは自殺行為だ。
だからこそ、この山脈を越えるには安全が確保されている山道――いくつかある関所のいずれかを通るしかねぇ。
(そのための〈ジョーカー〉)
俺は新たに発行された金色のパーティプレートを確かめるようにそっと触れる。
これは制限やら手続きやら、面倒な枷を根こそぎ取っ払う『金の鍵』だ。
北ガリア関門で出国手続きを行い、中立緩衝地帯である山腹を抜け、南ガリア関門からガルドア王国への入国手続きを行う。
……厳戒態勢でもなければ、手続きさえ踏めば国境は解放されているし、物流も、人の往来も、平時であれば滞りなく行われる。
これが正規の、そして最も安全なルートだ。
だからこそ一つの疑問が俺の中には浮かぶ。
(鉱山の中腹から転がり落ちながら逃げたあの魔族……グァマつったか?……ホントに生きてんのか?)
中腹とはいえ魔物はいる。仮にあの空間魔法を使ってやり過ごし、下山できていたとしても人里に入ることもできない。
万全でも厳しいだろうに、片腕を失って、全身に重度の火傷を負った文字通りの虫の息の状態だぞ?
(チッ……追跡、討伐任務よりも、『死体探し』になってる方が厄介かもな……)
ガリア山脈の麓。
残っているかわからない痕跡を探すのも一苦労だが、『魔族の死体』など見つけられるわけがない。
「わぁっ! すごいですわー! お城みたいですわねっ! あの旗、風にはためいて格好良いですわ〜!」
「え、エステルさんっ! あ、あまり目立つと……! その……っ!」
ニーコはキョロキョロといかにも「警戒していますよ」と言わんばかりに周囲を見渡す。
「ニーコちゃんこそ、そんなに挙動不審だと怪しまれるよ?」
ジーンが苦笑しながら窘める。珍しくまともなことを言うじゃねえか。
「大丈夫だ、こちとら皇子様が直々に指名した帝国の使者サマだぞ? 通達も出てるだろうし、ガルドアに入ってエルピノまで何の心配もねぇよ」
(……ないはずだ。……ねぇよな?)
関門に近づくにつれ、周囲の喧騒が耳に届くようになる。
荷馬車の列、商人たちの怒声、兵士の号令。関門の前には出国を待つ人々が列をなし、帝国兵が一人一人の身分証を確認している。
物々しい雰囲気だが、これが日常なのだろう。
戦時でもなければ、国境とは人と物が行き交う場所だ。
「あ、あの、私たちもあの列に並ぶんですかぁ……?」
ニーコが不安そうに長蛇の列を見つめる。
「いや、俺たちは専用の窓口だ」
俺は一般の列を横目に、関門の脇に設けられた小さな詰所へ向かう。
事前にイレイル皇子から通達が届いていたらしく、詰所の兵士は俺たちの姿を認めるなり、背筋を正した。
「〈ジョーカー〉の皆様ですね。お待ちしておりました」
丁寧な対応だ。さすがは〈勅命〉の威光、といったところか。
「ああ。これが書状と、パーティプレートだ」
俺は懐から蝋印の押された書状と金色のプレートを取り出して見せる。
係員は恭しく書状を受け取り、蝋印を確認すると、深々と頭を下げた。
書状……といっても『封書』の方ではない。
今、俺たちの手にはいくつかの書状がある。
まずは使者としてユーレイル領領主であるオグルッド・ユーレイル卿へ届ける『封書』。
そして俺たち〈ジョーカー〉と…………〈ババ抜き〉のアリアがイドリア帝国からの使者であると示す『使者任命状』。
これを見せれば俺たちはイレイル皇子からの使命を帯びた使者だって証明できるわけだ。
「確かに。イレイル殿下の御印です。――では、メンバーの確認をさせていただきます」
係員が〈魔紋認証〉の術式が刻まれた台座へ促す。
パーティプレートを台座に置き、所有者が触れると、登録された魔紋と照合されプレートに対応した署名が浮き出る仕組みだ。
――要は、本人確認装置だ。
「お一人ずつ、台座に触れてください」
プレートに触れるだけでも署名自体は確認できるが、国境検問でわざわざ台座を介するのは、認識阻害などの魔法を使っていないことを証明するためらしい。
俺が最初に台座に手を置くと、淡い光とともに『アリア・ロアン』の署名がプレートに浮かび上がる。係員が台座とプレートの記録を照合し、頷く。
「確認しました。次の方、どうぞ」
続いてガロードが無言で台座に手を置く。
『ガロード・プラレス』
(……プラレスね)
『プラレスはそうじゃなかった』
グァマとの戦いでガロードが喋った場面が蘇る。
……結局、コイツの出自については謎のままだ。
(まあ、この食い意地の張った無言野郎に聞いても答えるとも思えねぇけどな……)
「はいっ! 次は、わたくしですわねっ!」
エステルが元気よく台座に触れる。『エステル・リーゼ』の署名が浮かび上がる。
ファルメルの冒険者ギルドで、このアホが本名を書きかけたのを俺が慌てて止めて残った、中途半端な偽名だ。
……そう、この魔紋認証はパーティプレートの作成時に行った登録内容を参照している。
それこそがこのウルトラCプランの肝だ。
つまり、ギルドで身元を確認している『はずの』登録情報自体をここで再度確認したりはしない。
あくまでも、偽造が難しく身分証明書として信頼のおけるパーティプレートに記載されているメンバーであることを証明できれば俺たちは〈ジョーカー〉として出国できるのだ。
係員が台座とプレートを照合し、『エステル』が『エステル・リーゼ』本人であることを確認して頷く。
(よし、通ったぞッ!)
思わず口角が吊り上がりそうになる。
「ボクの番だね」
ジーンが優雅な仕草で台座に触れる。
『ジーン』の署名が浮かび上がり、これも問題なし。冒険者にもいろんな奴がいるからな。家名の有無を問われることもない。
「では、最後の方」
「えっと……こ、こうですね」
ニーコがおずおずと台座に触れる。手が震えている。
『ニーコ・リル』と署名が浮かび上がった瞬間、ニーコは「ひゃっ、ご、ごめんなさいぃ!」と小さく悲鳴を上げた。
「……問題ありませんよ」
係員が苦笑する。そりゃそうだ。
正規の手続きで登録されてんだから、問題があるわけがない。
だが、ニーコは「よ、よかったですぅ……」と胸を撫で下ろしている。
(オドオドすんな! 怪しまれんだろうがッ!)
……くそっ、やっぱりコイツらに話すのは出国してからの方がよかったか……?
(全く、エステルの図太さを見習ってほしいもんだ)
当のお嬢様はそんな俺の心配事もよそに、傍に立つ警備兵に向かって質問を繰り返している。
「まぁ! みなさま方、ずっとここで見張りをなさってますの? 大変ですけれど、お国を守る立派なお仕事ですわね! それに訪れる色々な方とお話しできるというのも素敵……とっても楽しそうですわっ!」
「おい、エステル! 仕事の邪魔だこっちにきとけ」
「ははは……元気だね」
警備の兵たちも、警戒するどころか、踏み込んで戯れてくるエステルにすっかりと骨抜きにされている様子だ。
それでいいのか……? まあ、このアホ面を見たら警戒する気も失せるよな……。
やれやれ……自分がどれだけ綱渡り状態だったか分かってんのか?
身分証もなしにここを通ろうとしたら、その場で拘束されて尋問なんだぞ?
ふぅと小さくため息を吐く。
だけどよ……。
(……俺も〈鐵喰い〉を倒したあと、エステルに出会わずに金だけ持って、この国境を越えようとしていたら――そのまま捕まってたかもしれねぇんだよな……)
ガロードと組まされ、エステルと出会ったことで、金等級なんて無茶な目標を目指して、その過程でジーンとニーコも加わって……。
ずいぶんと遠回りさせられたが、結果的にはこうして憂いなく出国できる状態になった。
……そういう意味ではエステルの悪運によって救われていたことになるわけだ。
(……認めたくねぇけどな!!)
「全員確認が取れました。――どうぞ、お通りください」
兵士が敬礼し、関門の扉が開かれる。
一般の列に並んでいた商人たちが、羨望と好奇の目でこちらを見ている。
ふふん、クソ面倒な手続きをすっ飛ばして検問を通過できるってのは、ほんの少しばかり優越感に浸れる。
「ふふっ、VIP待遇というやつだね」
ジーンが俺の内心を読み取ったかのようにニヤついた顔を向ける。
(コホン……顔に出てたか?)
「……調子に乗るな。さっさと行くぞ」
やれやれと肩を竦めるジーンを無視して、先へ進む。
両国の間に挟まれた、どちらにも属さない山間の中立緩衝地帯。
切り立った岩壁に挟まれた道は、予想以上に広かった。
何台もの馬車がすれ違えるほどの幅があり、両国間の交易路として整備されていることが窺える。
冷たい風が吹き抜けるが、雪原ほどの寒さはない。山に囲まれているおかげで、多少はマシなようだ。
やがて、前方に再び関門が見えてくる。
南ガリア関門――ガルドア王国側の入国審査だ。
こちらも同様に見張り塔が並んでいる。
違うのはガルドア王国の国旗。青色をベースとし金色の刺繍。描かれているのは「剣と盾」だ。
警備の兵の標準装備も異なる。イドリア帝国軍の黒鉄の鎧に対して、ガルドア王国の騎士団の鎧は白。そして武器は一律に直剣と盾だ。
四大国において白兵戦最強を謳うガルドア騎士団。王国流盾術により崩れない鉄壁の前線。
(どんなもんか一度手合わせしてみたいところだな……)
もちろん、王国騎士団とコトを構えるなんてのは御免被るが。
こちらの審査も、驚くほど滞りなく終わった。
書状の蝋印を確認し、パーティプレートを照合し、それだけだ。質問もなければ、荷物検査もない。
拍子抜けするほどあっさりしている。
「ようこそガルドア王国へ、〈ジョーカー〉の皆様。事前の通達は受けております」
係員は使者任命状を丁寧に返すと、俺が持つもう一通の封書へ目を向けた。
「オグルッド・ユーレイル伯宛ての書状をお持ちと伺っておりますが……。これより直接、領都ユーレイルへ向かわれるのですか? 必要でしたら馬車の手配も可能ですが」
「いや、まずは最寄りのエルピノへ寄る。現地の代表者に、領主との面会を取り付けてもらってから向かった方が話も早いだろ?」
約束もなしに、いきなり領主の館へ押しかけるわけにもいかねぇ。
「……それに、せっかく温暖なガルドアの地へやってきたんだ。ぽかぽかな陽気っていうのもイドリア人としては物珍しくってな」
「ああ、なるほど。承知いたしました」
……もちろん、半分は方便だ。
一介の冒険者なら好き放題動ける。だが、今の俺たちは〈ジョーカー〉であると同時に『イドリア帝国の使者様』だ。
本格的な調査は、ガルドア側の許可が下りてからじゃないとできねぇ。
それでも、エルピノまで徒歩で向かえば、ガリア山脈の麓や街道沿いにグァマの痕跡が残っていないか、『ついで』に確認できる。
領都まで馬車で直行して、面会の返答を待って、それから国境近くまで引き返すよりは、よほど無駄がない。
「なるほどっ! それではエルピノへの地図をお持ちしましょう!」
「ずいぶんとスムーズだったね」
「金等級の恩恵だな。……あと、書状の威光」
金等級の冒険者は、この世界における上澄みのエリートだ。国を跨いで活動する者も多く、貴族のお抱えだったりもする。
実際、俺たちは皇子の書状持ちだ。
しかも入国する側からすれば、自国の問題を片付けてくれる可能性のある人材でもある。
さらに活動拠点をガルドアに移して貰えれば国益にも直結する。よって、無下にはできない。
むしろ、歓迎すらされる。
「ふぅ……緊張しましたぁ……」
ニーコが大きく息を吐く。お前だけだよ、あんなにガチガチだったの。
「さて、と」
ここを越えた以上、もう後戻りはできない。
「……来たぞ、ガルドア王国!」




