第20話:雨のハイウェイ、隠密の潜入
ザァザァと、フロントガラスを激しく叩きつける容赦のない豪雨。 深夜の第三京浜道路は、視界を遮る雨幕と強烈な水しぶきによって、闇の中に完全に溶け込んでいた。
カレンは両手でステアリングを固く握りしめ、前方の暗闇を見据えていた。 エンジンの低いうなりが、激しく路面を叩く雨音にかき消されていく。 助手席には、静かに前方の状況を注視している署長が座っていた。
「緊張しているか、カレン」
署長が、低く無骨な声で問いかけてきた。
「いいえ。……不思議なくらい、頭が冷えています。ただ、あいつを早く取り戻さなきゃっていう、それだけです」
かつてロボットを忌み嫌い、人の手による正義に固執していた自分が、今は一台のロボットを、自らの「相棒」として取り戻すために、警察の規律を捨てて夜のハイウェイを疾走している。
「カレンちゃん、ターゲットとの距離が縮まっているよ」
ダッシュボードに置いた天童湊のデータ端末から、ノイズ混じりのクリアな音声が流れた。
「君たちのすぐ前方だ。ネオ社が手配した大型コンテナトラックが、保土ヶ谷方面へ移動しているよ。……見つからないように、気をつけてね」
「了解です、天童さん。……署長、いきます」
「ああ。現場の報告によれば、トラックには社員が二人乗っている。見つからんように完全に気配を殺して、後ろにピタリと密着しろ。お前が飛び移った後は、プラントに着くまで一切の物音を立てるなよ」
「分かっています」
前を走るトラックのバックミラーに、こちらの車影を映さないため、カレンはヘッドライトを完全に消灯した。 テールランプの明かりすら頼りにならない豪雨の闇の中、カレンは極限まで集中力を研ぎ澄ませ、セダンの速度をトラックの巡航速度へと合わせていく。
やがて、激しい雨幕の向こうに、おぼろげな大型コンテナトラックの巨躯が浮かび上がった。 ただ黙々と雨の夜を走る、ネオ社が手配したトラック。 カレンはエンジン音を殺すようにして、トラックの死角である真後ろへと、音もなく車を滑り込ませた。コンテナの背面ドアが、目の前に壁のように迫る。
セダンのノーズが、走るトラックの直後に吸い付くようにピタリと密着したその瞬間、フロントガラスを激しく叩いていた雨と、タイヤが跳ね上げていた猛烈な水しぶきが、嘘のように一瞬で消え去った。 トラックの巨大なコンテナの真後ろ――その直背後だけに生まれる、後流の無風ポケット。 暴風雨が荒れ狂うハイウェイのただ中で、そこだけがまるで真空のシェルターに入ったかのように、静まり返っていた。 助手席の署長が、シートベルトを握りしめながら、固唾をのんでその光景を見守る。
「天童さん、車の制御を任せるわ。自動追従モード、オン」
「了解、オートパイロット接続したよ! 車間距離三十センチで自動固定、いつでもいけるよ、カレンちゃん!」
「待て、カレン!」 助手席の署長が、身を乗り出そうとするカレンの腕を力強く掴んで引き止めた。 「無茶を言うな。この豪雨だ、時速百キロのトラックに飛び移るなど自殺行為だ。……私が行く。お前はここでハンドルを握っていろ」
だが、カレンは首を横に振った。その瞳には、かつてないほど強い、揺るぎない光が宿っていた。 「署長……。私、あいつと離れている間、ずっと考えていたんです。私は今まで、どれほどシオンに助けられてきたか」 カレンは掴まれた腕にぐっと力を込め、署長をまっすぐに見つめ返した。 「お父さんの無念を晴らしてネオ社を倒すには、あいつが、シオンが絶対に必要なんです。……何としても、私の手で助け出したい。行かせてください、署長!」
その決死の表情と、かつてロボットを激しく憎んでいた少女の「相棒を救いたい」という魂の叫びに、署長は息を呑んだ。やがて、彼はゆっくりとカレンの腕を放した。 「……死ぬんじゃないぞ、カレン!」
「はい!」
タイミングは、今しかない。
カレンは運転席の窓を全開にすると、窓枠から身を乗り出して、目の前のボンネットへと這い出た。 ボンネットへと這い出たカレンを襲うはずの強烈な向かい風は、目の前にそびえ立つコンテナの巨大な壁に完璧に遮られていた。 カレンは滑りやすい金属の肌を慎重に滑り、ボンネットの先端へと進むと、目の前のハシゴに向けて身体を躍らせた。
ガシッ!
両手が、濡れた鉄のハシゴを捉える。 トラックの直背後に生じるスリップストリームによって風圧は遮られ、タイヤが巻き上げる水しぶきもここまでは届かない。飛び移った目の前、ちょうどカレンの胸の高さに、スチール製ロックバーがあった。 カレンは背中から「超振動特殊警棒」を引き抜き、スイッチを入れた。 ジジジジジジッ! と、肉眼では見えないほどの超高周波の振動が警棒の先端に走る。 その先端を、頑丈な金属ロックバーへと力強く押し当てた。
キィィィィィィン!
金属が削られる鋭い高音が響く。だが、それさえも周囲を叩きつける凄まじい豪雨と強風の音にかき消され、運転席の社員に届くことはない。今夜の嵐は、完全にカレンたちの味方をしていた。 超振動によって分子結合を破壊されたスチールバーは、まるで熱いナイフを入れられたバターのように、ジワジワと削り取られていく。 パキンッ! と金属音を立ててバーが真っ二つに叩き割れると、カレンは警棒を収め、半分に割れたロックバーを外して扉を静かに引き開け、コンテナの内部へと滑り込んだ。
*
コンテナの内部は、光が一筋も届かない完全な暗闇だった。 カレンが「シオン!」と密やかに呼びかけると、その声に応じるように、暗闇の奥でシオンの青いメインセンサーアイが静かに発光し、コンテナ内を青い光で照らし出した。 その光の中に、極太の電磁拘束ワイヤーによって床へと完全に縫い留められた、鋼鉄の巨躯が浮かび上がる。
カレンが小声で叫び、駆け寄る。 消えかけていたシオンの青いセンサーアイが、驚いたように、しかし確かな光を取り戻した。
『カレン……ケイジ……?』
スピーカーから、いつもの機械音声が漏れる。
シオンの内部で、ユウキの意識が歓喜に震えていた。
(カレン……助けに来てくれたんだ。なんて無茶な事を...... ! )
「今、助けるわ」
カレンは超振動警棒を収め、シオンの傍らに設置された給電ユニットのコントロールパネルへと手を伸ばし、非常用の電磁リリーススイッチを力強く押し下げた。 バチリと高い放電音が鳴り、強力な磁力を失った極太のワイヤーが床へと滑り落ちた。
四肢の拘束が、すべて解き放たれた。 エネルギーが再び全身に巡り、シオンの重厚な巨躯が、ゆっくりと立ち上がる。
『……救出ニ、感謝シマス、カレン刑事』
「お礼はいいわ。……シオン、このままネオ社のプラントに突入するわよ。トラックに乗ったままなら、あいつらが勝手に連れて行ってくれる。ここで派手に暴れたら警戒されて、お父さんのファントムAIを回収できなくなるから」
『了解。ミッション、開始シマス。全力デ、アナタノ盾トナリマショウ』
シオンは自らの怪力を用いて、切断された背面扉を内側からぴったりと閉め、そのまま手で力強く押さえた。 カレンとシオンは、コンテナの隅の暗がりに身を潜め、目的地に到着するまで静かに呼吸を整えた。
Hostility : 75% → 60% (あれ?急に数値が下がってる?カレン、何があったんだろう。でもうれしい!)
*
やがて、トラックの速度が落ち、静かに停車した。 重々しい電子シャッターが上がる音が響き、トラックはどこかの屋内施設――機材一式が移設された、ネオ社の郊外プラントへと滑り込んだ。
エンジンが停止し、静寂が訪れる。 直後、外から扉のロックハンドルが回される。だが、ロックバーがすでに切断されているため、スカスカと軽い音を立てるだけで手応えがない。
「あれ? ……これ、ロックが――」
ネオ社の社員が不審に思い、扉を引こうとした、その瞬間。
ズガァァン!
内側から扉を押さえていたシオンが、その圧倒的なパワーで一気に背面扉を蹴り開けた。強烈な衝撃をまともに喰らった社員は、悲鳴を上げる間もなく後方へと吹き飛び、プラントの床へと叩きつけられて気絶した。
「な、なんだっ――!?」
それを見たもう一人の社員が、驚愕に目を見開き、慌てて背後のアラームスイッチへ向かって走り出す。 だが、それよりも早くカレンがコンテナから躍り出た。手にしたEMPピストルの銃口を正確に向け、引き金を引く。
パシュッ!
青白い電磁パルスが走り、社員の懐に下げられた警備用通信機を撃ち抜いた。強力な電撃を浴びた社員は、その場に崩れ落ち、意識を失った。
カレンとシオンは、倒れた二人の社員をコンテナの奥へと引きずり込み、音もなくプラントの床へと降り立った。
目の前に広がっていたのは、深夜の静寂に包まれた、広大で無機質なプラントの搬入ドックだった。 日本支社の裏を暴くために、ネオ社と大和重工が秘密裏に兵器を開発している決定的な証拠――その「違法ロボットの製造ライン」が、この巨大な施設のどこかに潜んでいるはずだ。
「行くわよ、シオン。きっとここに軍事ロボットの製造ラインがあるはずよ」
『了解。カレン刑事。コレヨリ、極秘捜査ヲ開始シマス』
闇の中、復活した鉄の盾と不屈の刑事が、反撃の第一歩を踏み出した。




