第19話:不屈のガレージ、奪還へのカウントダウン
アーク・システムズ社の地下ガレージ。普段なら最先端のロボットアームが小気味よい動作音を立てているはずのその場所は、深夜の冷気と、張り詰めた重い沈寂に包まれていた。
桐生カレンは、使い古された作業用デスクの前に立ち、ただじっと自分の両手を見つめていた。 右の手首には、警視庁本部の取調室でかけられていた、あの冷たい手錠の赤い痕が痛々しく残っている。
警察官としての誇りだったバッジも、身を守るための愛銃も、今の彼女の手元には何一つ残されていない。本部監察官から突きつけられた「無期限の停職処分」という非情な現実が、彼女から「デカ」という肩書きを無慈悲に剥ぎ取っていた。
(私は、何をやっているの……)
悔しさと無力感が、胸の奥で黒く渦巻く。 だが、その焦燥の底から、カレンの脳裏を埋め尽くしたのは、これまでシオンと共に潜り抜けてきた凄惨な戦場の記憶だった。
雨の路地裏で襲いかかってきた、あの冷酷な暗殺ロボット。 生身の人間では視認することすら不可能な超高速の斬撃。そして、人間の肉体など一瞬で貫く、あの不気味な閃光。 あの時、もしシオンが盾として目の前に立ちはだかってくれなければ、自分の命など何度あっても足りなかった。
かつての両親の事件から、カレンは「自律ロボット」を憎み、忌み嫌い、人の手による正義にこだわってきた。だが、今回の事件で思い知らされたのは、戦闘用に最適化された鋼鉄の怪物に対し、人間の肉体がいかに無力で、脆いかという冷酷な物理的限界だった。
さらに、シオンはそこらの汎用型バディロボットとは決定的に違う。 天才開発者である天童湊が、アーク社の技術のすべてを注ぎ込み、規格外の防御パワーと戦闘判断スキルを組み込んだ「世界にただ一台のカスタム機体」なのだ。 お父さんのファントムAIを悪用し、国家レベルの兵器ロンダリングを画策するネオ・ロボティクス社。あの巨大な悪と対決し、お父さんの遺産を取り戻すためには、シオンのあの圧倒的な盾の力が、彼の存在が、絶対に必要だった。
「いつまでそうやって、自分の手を見つめているつもりだい、カレンちゃん」
不意に、ガレージの奥から穏やかな、しかしどこか呆れたような声が響いた。 作業用デスクのキーボードから手を離し、振り返ったのは天童湊だった。その表情には、いつもの飄々とした雰囲気の裏に、確かな怒りと決意が滲んでいる。
天童は立ち上がると、無造作に二つの物体をカレンの前に置いた。
一つは、重厚なマットブラックに塗装された、流線型のスチール製拳銃。 もう一つは、炭素繊維で補強された、細身の特殊警棒だった。
「……これ、は?」
「アーク社で非公式に試作していた、対ロボット用の非致死性装備だ。その拳銃は「高電圧電磁拳銃(EMPピストル)」。火薬は使わない。超高電圧の電磁ボルトを瞬間射出する。生身の人間なら一撃で気絶、戦闘ロボット相手なら、装甲の隙間に命中させればシステムを一時的に強制過負荷させて沈黙させられる」
天童は優しく、しかし真剣な眼差しをカレンに向けた。
「もう一つの警棒は「超振動特殊警棒」。先端に超高周波の物理振動を発生させる。ロボットの関節やフレームの接合部に押し当てれば、装甲を強引に削り、駆動系を物理的に破壊できる。……警察の銃が使えないなら、それを持っていけ。手帳を奪われたからって、相棒を鉄屑のままネオ社にくれてやるようなタマじゃないだろ、カレンちゃんは」
「……借りていくわ、天童さん」
「貸すんじゃない、あげるよ。シオンのシステムを誰よりも信頼して、僕の代わりにその盾の力を証明してくれた君への、エンジニアとしての投資さ。……バッジがなくても、君はあいつのバディなんだろう?」
カレンは小さく頷き、その非公式の牙を、自らの腰のホルダーへと静かに固定した。
*
同時刻。冷たい豪雨が叩きつける、大田区の路上。 ネオ・ロボティクス日本支社の裏口。警察の厳重な現場検証が行われているそのすぐ側で、ネオ社は「押収したロボットの保管の為の移送手続き」を表向きの正当な理由にして、シオンを一台の大型コンテナトラックへと積み込ませていた。
荷台の頑丈なスチールコンテナの内部。 そこには、極太の電磁拘束ワイヤーによって完全に固定された、シオンの身体があった。
(くそ……っ、外との接続が完全に遮断されている。GPSも、メインの通信回路も機能していない……!)
ネオ社の狙いはシオンのシステムを抽出することだった。これまでの戦闘からネオ社がシオンの高い自己判断能力に興味を持ったのだ。だが、現在、日本支社の地下プラントは警察の検証下にある。 ネオ社はシオンを解析に必要な機材が移設してある「プラント」へ移送することにした。
(このまま移設先のプラントに運び込まれて、システムを完全にパクられたら……。完全に複製されて、大和重工の軍事量産機に移植されてしまう。)
*
アーク・システムズ社の地下ガレージ。 天童がモニターの前に座り、シオンの最終ログと、ネオ社周辺のネットワークトラフィックを高速で解析していた。
バチン、と音を立ててガレージの重い鉄扉が開き、激しい雨の音と共に、ずぶ濡れの男が姿を現した。 カレンが瞬時にEMPピストルに手を伸ばすが、入ってきた顔を見て、その指を止めた。
「……署長!?」
そこに立っていたのは、カレンが所属する太田警察署の署長だった。 私服にレインコートを羽織った彼は、滴る雨水を拭いもせず、カレンと天童の前にずいと歩み寄った。
「本庁の監察の目を巻くのに手こずった。……お前たちに、これを持ってきた」
署長はポケットから、GPS移動履歴が記録されたデータ端末を、天童のモニターへと接続した。 画面に浮かび上がったのは、大田区のネオ社日本支社に停車しているトラックの現在位置だった。
「ネオ社にいる現場の刑事から、シオンの保管場所を移す為、トラックがネオ社から出発するとの連絡を受けた。」 署長は鋭い眼差しをカレンに向けた。 「奪い返すなら、日本支社から移設先へ向かうこの輸送中が絶好のチャンスだ。」
「署長……。ですが、署長までこんなことに付き合ったら、あなたの首が飛びます」
カレンが息を呑む。 所轄の署長が、本庁の決定に反し、停職中の部下と非公式の襲撃作戦に加わるなど、発覚すれば懲戒免職どころの話ではない。
だが、署長は低く、豪快に笑った。
「バカを言うな。部下をハメられ、その相棒を奪われたまま指をくわえているようなら、ハナから署長なんて座に収まっちゃいない。……それに、10年前、お前の両親の命とファントムを奪い、今回お前を奈落に落とした大元だ。今度こそ、私の手で引きずり出してやる」
その無骨で、熱い言葉が、ガレージの冷気を一瞬にして吹き飛ばした。
「……天童さん、ナビとバックアップをお願い。署長、私の車の助手席に乗ってください」
カレンは天童から渡された超振動特殊警棒を背中のホルダーに固定し、不屈のデカの瞳で署長を見据えた。
「相棒を取り戻しに行くわよ」
「よく言った。アーク社の機体のハッキング追跡とルートナビは、僕がこのガレージから完璧にサポートするよ。カレンちゃん、シオンを頼んだよ」
天童が力強く微笑む。 署長は車のキーを軽く放り投げ、カレンがそれを受け止めた。
「私の車を使え。シオンを取り戻しネオ社に宣戦布告をするぞ。」
「はい、署長!」
ガレージの外では、冷たい秋の豪雨が、アスファルトを激しく叩きつけていた。 だが、カレンの胸の中に宿る反撃の炎は、その大雨をものともせず、かつてないほど激しく、赤々と燃え上がっていた。




