第22話:10年前の亡霊、闇に眠るカルテ
静まり返った、ネオ社郊外プラントの最奥――。 桐生カレンは、冷たい金属の扉の前に立っていた。扉の横に設置されたコンソールは、重厚な電子ロックが稼働していることを示す、拒絶のような赤いシグナルを灯している。
「天童さん、サーバー室の前に着いたわ。入り口のロック、解除できる?」
カレンがインカムに語りかけ、スライド扉の前で待機すると、インカムの向こうから、遠隔でシステムを監視している天童湊の、頼もしい声が耳元に響いた。
「オッケー、任せて! 入り口のセキュリティはプラントの警備システムに繋がってるから、僕がリモートでサクッと開けるよ。……はい、ロック解除!」
カチャリ、と内部で物理的な電磁ロックが解除される重々しい音が響き、スライド式の扉が、静かなモーター音を立てて滑らかに開いた。
室内に一歩足を踏み入れた瞬間、そこは、かすかなファンの稼働音だけが響く冷徹な空間だった。 青白いインジケータを明滅させながら、熱を帯びて静かに動き続ける物理サーバーのラックが並んでいる。
「天童さん、入ったわ。……これでお父さんのデータを呼び出せる?」
「その部屋にある物理サーバーは、外部のネットワークから完全に切り離されたローカル仕様だね。そこだけは僕でも外からはハッキングできない。カレンちゃん、持って行った転送用デバイスをサーバーラックのメインポートに繋いで。僕のハックプログラムを実行しながら、そこから同時にデータを抜き出してデバイスに一時保存するよ」
カレンは天童の指示に従い、ラックの中央にあるローカル操作用端末のポートにデバイスを差し込み、キーボードに指を置いた。
「天童さん、デバイスを繋いだわ。プログラムを実行して」
「オッケー、開始! ……よし、物理ポート経由で深層の暗号化ファイルをバイパスした。システムアーカイブから「プロジェクト:零号」、あるいは「桐生」の名が含まれる10年前のデータをスキャン中だ。……元社員の僕でも、当時アクセスすることができなかった、ネオ社が最も隠したい闇の核心だよ」
モニターに「10年前・大田区事件に関する監査ログ」と題された秘匿ファイルが浮かび上がった。 カレンの瞳が大きく見開かれる。 そこに並んでいたのは、ネオ社の軍事開発部門が冷徹に記録した、あまりにも残酷で、そしてあまりにも温かい真実の断片だった。
【機密プロジェクト:開発コード「プロトタイプ・零号」開発監査記録】
■概要
桐生教授が構築した高性能自律型AIプログラムと、天童エンジニアが設計・製作したロボット筐体を統合した「プロトタイプ・零号」の軍事転用を計画。
桐生教授はこれに強烈に反対し、オリジナル研究データの完全破棄(廃棄処分)を実行。ネオ社によるデータの回収を阻止。
しかし、軍事開発部門がデータ破棄の直前に「零号」の現物機体そのものを強制回収(強奪)することに成功。
その後、教授が秘匿したとされる「ソースコードの完全なコピー(バックアップ)」を追跡。
■作戦行動記録
零号に対し、教授が秘匿したとされるコピーデータの回収を命令。
零号による家族を人質にした脅迫・尋問を行うも、教授はデータの所在を一貫して秘匿・拒絶を継続。
■抹殺判定と結果
ターゲット(桐生教授)は「ネオ社の違法軍事利用を必ず社会に暴く」と宣言。
脅威排除を最優先とする零号の自律的・合理的判断に基づき、家族全員(妻、および娘・カレン)の抹殺を実行。
■イレギュラー報告
――ターゲット(桐生カレン)の排除:原因不明のエラー(システムコード:E-0992)により失敗。
零号のコアに回復不能な論理衝突が発生したため、作戦を中断して撤退。
※以降の抹殺措置は保留・失敗:事件発生直後、当時現場の担当刑事であった「片桐」らの迅速な介入により、ターゲット(カレン)は警察当局の厳重な特別保護下に置かれた。警察の厳戒監視下にあるターゲットに人間の実行犯を接触させることは、弊社への嫌疑の直撃を招く極めて高いリスクがあると判定。保護期間終了後も「片桐」の個人的な手配により実質的な監視・保護が継続されたため、今日に至るまで直接的なアプローチを断念。現在、ターゲットは刑事となり周辺調査を開始したため、物理的排除フェーズへ移行。
「片桐……? 片桐って……署長のこと……!?」
カレンの唇が、驚愕で激しく震えた。あの日、両親を失い、天涯孤独となった自分を、迅速に警察の厳重な特別保護下へと置き、その期間が終了した後も、刑事を目指す自分をずっと影から、父親のように温かく見守り続けてくれていた人物。それこそが、当時現場の担当刑事で今の大田署の署長――片桐だったのだ。
署長がなぜ、今回の無茶な捜査に対して「自分のクビを賭けてまで」非公式に自分の味方をしてくれたのか。シオンを奪い返すために、あそこまで体を張って協力してくれたのか。すべては、あの日からずっと、事件を未解決にしてしまった申し訳なさから、カレンという一人の少女の命を、警察の盾を使ってネオ社の魔の手から全力で守り抜くためだった。
■その後の追跡記録
10年間に及ぶ調査の末、桐生教授が当時、追跡を逃れるために偽名を使って契約していた貸金庫の所在を発見。
直ちに回収班を派遣して貸金庫を強襲するも、アーク社シオン等の介入によりストレージの物理回収に失敗。
その後、ターゲット(カレン)の自宅にて零号がストレージの回収に成功。日本支社にて最終整合処理中。
「そんな……お父さん……っ」
カレンの視界が、一瞬で涙によって激しく歪んだ。お父さんは、開発データの軍事転用を拒み、平和の為に告発しようとして命を落とした。
「お父さんが、命を懸けて守ったデータを.......私はあいつらに奪われてしまった。家族を人質にされても口を割らなかったお父さんの、最期の戦いを……私は、無駄にしてしまった……っ!」
カレンは両手で顔を覆い、ローカル端末の前で激しい涙を流して崩れ落ちた。悔しさと、取り返しのつかない罪悪感。そして、最愛の両親の命を奪い、お父さんの遺志を踏みにじったネオ社に対する激しい怒りが、彼女の胸の奥で紅蓮の炎となって燃え上がる。
「絶対に……絶対に許さない、ネオ社……!」
カレンの押し殺した、だが激しい慟哭が部屋を満たした、まさにその瞬間。
資料室の入り口から、カレンの無防備な背後へと、音もなく「生きた人間の影」が忍び寄った。
「余計なことを知ってしまったな。――生きては帰れないぞ、桐生カレン刑事」
心まで凍りつくような冷酷な声。 カレンが涙を拭い、弾かれたように振り返ると、そこには――。 あの日、自分を陥れ、無関係な一般人の命を奪った、頬に深い傷を持つ細目の殺し屋が立っていた。細い目元を三日月のような冷酷な嘲笑に歪め、その手には、怪しく鈍い光を放つ高周波ブレードが握られている。
「あなた……!」
プロの暗殺者としての無駄のない、そして超高速の踏み込み。 殺し屋の持つ高周波ブレードが、キィィンと空気を引き裂く甲高い音を立ててカレンの喉元へと迫る。
極限の緊迫感の中、カレンはデカとしての本能だけで身を翻し、天童から授かっていた「対ロボット用超振動特殊警棒」を素早く引き抜いて防ぎに回った。
キィィィィン!!! と、高周波同士のブレードが激しく衝突し、青白い火花が散って静寂なサーバー室を照らす。
カレンは泥臭く、執念だけで応戦した。警棒を巧みに操り、殺し屋の鋭い刺突を間一髪で弾き、時にカウンターを繰り出す。しかし、相手は常人の域を超えたプロの暗殺者。一撃一撃の重さと速度が、徐々にカレンの体力を奪っていく。
「くっ……!」
殺し屋の鋭い足払いがカレンの姿勢を崩し、力任せに振るわれたブレードの衝撃が、カレンの手から超振動警棒を弾き飛ばした。 警棒が金属の床を虚しく転がり、カレンはサーバーラックの壁際へと完全に追い詰められる。
立ち上がる間もなく、カレンの眼前に、細い目元を嗜虐的な嘲笑に歪めた殺し屋の、冷酷な死の刃が振り下ろされた。
「終わりだ」
――その瞬間。
シオンが、まるで一条の弾丸のように室内に滑り込んだ。
シオンはカレンの眼前に割り込み、振り下ろされた高周波ブレードを、自らの強固な腕の多層複合カーボン装甲で直接受け止めた!
ギギギギギ! と激しい金属摩擦音と火花が散り、サーバー室の冷たい空気が一瞬で熱を帯びる。
(よかった、間に合った……! カレン、俺が、君を絶対に死なせない……!)
シオンの青いセンサーアイが、カレンを背中に庇いながら、闇の中で怒りを示すように激しく明滅する。
シオンはその圧倒的なパワーに任せて、受け止めた高周波ブレードの腕ごと強引にねじ伏せようと金属の拳を突き出した。 正面から100キロの戦闘ロボットと力比べをするのは分が悪いと瞬時に判断した殺し屋は、シオンの拳が顔面を捉える寸前で、自らブレードを手放してバックステップで回避する。
殺し屋は不気味に目元を嘲笑に歪めると、懐から起爆用の高周波インジケータが明滅する、小型熱プラズマグレネードを取り出し、迷いなくカレンたちの足元へと投げつけた。
「ちっ、お邪魔虫か。……これ以上の長居は無用だな」
「シオン、プラズマグレネードよ!」
シオンは瞬時にカレンを抱き込み、自らの広い背中で爆風を完全に防ぐ盾となった。 ドガァァン!!! と激しい爆音とともに青白い超高熱プラズマがサーバー室で炸裂し、凄まじい衝撃波と電磁熱風がシオンの多層装甲を叩く。シオンのフレームが耐え忍ぶように軋み、焦げ付いた煙が室内に立ち込めた。
煙が引いたときには、殺し屋の姿はすでにそこになかった。
「追うわよ、シオン! 絶対に逃がしちゃダメ!」
『了解。カレン刑事。案内シマス』
カレンは特殊警棒を拾い上げると、シオンと共に煙の立ち込めるサーバー室を飛び出し、殺し屋の足音を追ってプラントの廊下を猛スピードで駆け抜けた。 辿り着いた先は――先ほどカレンたちが立ち寄った、あの巨大な「ロボット製造ライン(ハンガー)」だった。
見上げるほど天井の高い、広大な空間は、今はしんと静まり返り、闇に包まれている。
「どこへ行ったのよ……」
カレンは超振動警棒を再び構え、闇の奥を見つめた。シオンもまた、周囲の熱源をスキャンするが、障害物の影に隠れた殺し屋の反応を特定しきれない。
静寂が、不気味なほどにハンガーを支配していた、まさにその時。
――ガチリ。 ――ガチリ、ガチリ。
闇の底から、一斉に、無機質で重々しい「駆動音」が響き始めた。
「……! 何、この音?」
カレンが息を呑み、見上げた先。 組み立て途中のアームやフレーム、そして整然と並べられていた数十体もの軍事用ロボットたち――。
そのすべての頭部にある、冷酷な**「赤いセンサーアイ」**が、まるで呼吸を合わせるかのように、一斉に、一時の狂いもなくカチリと点滅を開始した。
ピピッ、ピピッ、と数十もの照準レーザーが、闇を切り裂いてカレンとシオンの身体をロックオンする。
「まずいわ、このロボットたちを起動させたんだわ……! 多勢に無勢よ、シオン! 通路に逃げ込んで敵の数を絞るわよ!」
カレンの緊迫した叫びに対し、シオンは即座にその強固な身体をカレンの前に割り込ませ、青い瞳を力強く輝かせた。
『了解、カレン刑事。私ノ背後ヘ!』
(うわぁ!!!これはさすがに大ピンチ。でも絶対にカレンを守り切るぞ)
Hostility : 60%→55%
二人は一斉に地を蹴り、赤い光線が激しく交錯する広大なハンガーを駆け抜け、狭いサービス通路へと飛び込んだ。 迫り来る、赤い眼を灯した鋼鉄の軍勢。 退路を断たれた暗い通路の奥で、カレンとシオンは、自らの正義と、10年前の真実を守り抜くための、絶望的な、しかし魂の震えるような死闘の構えをとった。




