表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/106

【幕間】小さすぎる手と、大きな剣

 裏庭から聞こえてくる木剣の打ち合う音を、七星霜齢のファルイーアは縁側にちょこんと座って見つめていた。


 十二星霜齢のガイアの動きは、素早く力強い。

 その背中を、キョウが弓で援護している。

 二人の息はぴったりで、木剣の音も、風を切る矢の音も、ファルイーアには眩しいほど格好よく見えた。


 強いって、いいなと思う。

 守れるって、すごいなと思う。


 自分も、あんな風になれないのだろうか。


(僕も、剣のおけいこしたい……)


 そう思ってグレンに頼み込んだのは、つい先ほどのことだ。

 だが、三十三星霜齢の騎士団長は、ファルイーアの細すぎる腕に目を落とし、静かに首を振った。


『お前は食が細すぎる。体力も腕力も足りない今の状態では、まだ教えられない』


 正論だった。

 三星霜齢までに受けた凄惨な虐待のせいで、七星霜齢になっても体つきは四星霜齢ほどの子供と大差ない。そんなファルイーアにとって、木剣ですら重すぎる。


 頭では分かっていた。

 けれど、納得はできなかった。


「僕にだって、できるもん……っ!」


 庭の隅で一人ふくれっ面になりながら、舌足らずな声でそう言い切り、ファルイーアは「えいっ」と両腕を天へ突き上げた。


 細い腕に、目いっぱい力を込める。

 けれど、その拍子に袖が大きく捲れ上がり、真っ白な肌に刻まれた無数の傷跡が露わになった。


「あっ……!」


 ファルイーアは弾かれたように腕を引っ込め、慌てて袖を引き下ろした。

 誰にも見られたくない。

 この傷を見ると、暗くて冷たい地下室の空気まで蘇ってきてしまうから。


 ぎゅっと自分の腕を抱き締めて俯いていると、足音が近づいてきた。


「ファル、ご飯だよー」


 キョウだった。

 それでもファルイーアは、悲しそうに唇を尖らせたまま、ぽつりと零す。


「僕にだって、できるもん……」

「ん? 何ができるの?」

「剣のおけいこ!」


 キョウは少しだけ困ったように笑い、ファルイーアの金色の髪を優しく撫でた。


「そっかー、ファルもやりたいもんね」

「うん!」

「じゃあ、ご飯いっぱい食べなきゃね。先生も言ってたでしょ?」

「うん! たべる!」


 そう意気込んで食卓についたものの、現実は甘くなかった。

 どうしても、半分以上が腹に入らない。

 無理に飲み込もうとすると、すぐに吐き気が込み上げてくる。


「うぅ……たべるもん……たべて、おけいこするんだもん……」


 涙目で無理やり匙を口へ運ぼうとするファルイーアを見て、グレンが苦い息を吐いた。


「無理をするな。まだお前には早い。もう少し大きくなったら、そのうち教えるから」

「今がいいの! 今、おけいこしたい!」


 普段は大人しいファルイーアが、珍しく声を張り上げた。

 ぽろぽろ涙を零しながら、また匙を口に運ぶ。


「げほっ、げ……うぐ……」

「ファル!」


 とうとうファルイーアが吐き出してしまい、キョウが慌てて駆け寄る。


「無理しないで、ファル」

「……おけいこ……するの……っ」


 それでも頑固に言い続けるファルイーアの様子を見かね、ガイアがふいに立ち上がった。


「んじゃ、俺が教えてやる!」

「えっ」

「ほら、来いファル!」


 ガイアはファルイーアの細い腕を掴み、そのままずんずん庭へ連れ出していく。

 グレンが「おい、ガイア!」と止める間もなかった。


 昼巡りの終わりの庭。

 空は赤く染まり始めている。

 ガイアは自分が昔使っていた中で一番軽い木剣を、ファルイーアへ持たせて立たせた。


 けれど、十二星霜齢のガイアにとっての「一番軽い」は、ファルイーアにとって鉄の塊も同然だった。


「く、うぅぅ……っ」


 両手で必死に握り締めても、切っ先は地面すれすれまで落ち、細い腕がぷるぷると震えている。


「なんだよそれ! そんなんじゃ何もできねーぞ!」


 ガイアは喝を入れるつもりで、自分の木剣を軽く、こん、とファルイーアの木剣へ当てた。

 ガイアにとっては、本当にただのじゃれ合いのつもりだった。


 だが、その衝撃は今のファルイーアには強すぎた。


「あっ――」


 ばんっ、と木剣が弾き飛ばされる。

 反動で手首を不自然に捻ったファルイーアは、その場に崩れ落ちた。


「…………っ!!」


 声が出なかった。

 あまりの痛みに、ただ蹲る。


 泣けばいい。

 痛いと言えばいい。

 けれど、そうすればもっと酷い目に遭う。

 幼い頃に刷り込まれた恐怖が、身体を先に強張らせた。


 額にびっしりと冷や汗を浮かべ、小さな身体ががたがたと震える。


「悪ぃ! ファル、大丈夫か!?」


 事態の深刻さに気づいたガイアが、血相を変えて駆け寄る。


「だいじょう、ぶ……」


 脂汗を流しながら、それでもファルイーアは必死に笑おうとした。

 その痛ましい姿に、駆けつけてきたキョウが悲鳴のような声を上げる。


「ガイアの馬鹿! だから早いって先生も言ってたじゃん! さ、ファル、家に入ろ?」


 キョウはファルイーアの肩を抱き、急いで家の中へ連れていく。

 一部始終を厳しい目で見ていたグレンは、青ざめて立ち尽くすガイアの前に立ち、低く怒りを滲ませた声で告げた。


「金輪際、ファルイーアに剣を持たせるな。いいな?」

「……わかった」


 ガイアは唇を強く噛み締め、深く項垂れた。


 ------


「……手首の捻挫だ。骨に異常はない。だが、しばらくは痛むぞ」


 部屋の寝台に座るファルイーアの手首へ薬布を巻きながら、グレンが静かに告げる。

 キョウは心配そうに見守っていたが、グレンに「手当てをするから」と促され、後ろ髪を引かれるように部屋を出ていった。


 身体に残る傷跡を見られるのを、ファルイーアがひどく嫌うからだ。


 二人きりになった部屋で、ファルイーアは布で巻かれた右手首を見つめたまま、静かに涙を零していた。


「……ごめんなさい……」

「なぜお前が謝る。痛いなら泣いていい。痛いと声に出していいんだ」


 グレンは大きな手で、ファルイーアの涙をそっと拭った。

 痛い時に声を出せない。

 その痛ましい後遺症に、グレンは奥歯を強く噛み締めた。


「ファルイーア。なぜ、あんなに剣を持ちたがったんだ?」


 普段は聞き分けのいい彼が、あそこまで頑固になった理由。

 グレンの問いかけに、ファルイーアはしゃくり上げながら、震える声で本音を零した。


「だって……僕、弱いから……っ」

「……」

「弱いままだと、ガイアやキョウみたいに、グレンの役に立てない。だから、つよくなって、剣をもてるようになって、みんなをまもりたかったの……!」

「……馬鹿者」


 グレンの声が、微かに震えた。

 彼は大きな両腕で、小さなファルイーアの身体をすっぽりと抱きしめる。


「お前は、俺の役に立つためにここにいるんじゃない。俺たちが、お前を守りたいからここにいるんだ」

「グレン……」

「剣なんて持たなくていい。お前は俺の後ろで笑って、美味いものを食って、本を読んでいればそれでいい。お前が大きくなるまで……いや、大人になっても、俺がずっとお前の『盾』でいてやる」


 その力強くて温かな言葉に、ファルイーアはたまらずグレンの黒い制服をぎゅっと掴み、今度こそ、子供らしくわあわあと泣き出した。


「――っ、ファル、ごめんな!!!」


 突然、部屋の扉が勢いよく開き、目を真っ赤に腫らしたガイアが飛び込んできた。


「俺……俺の剣は、ファルを傷つけるためじゃなくて、ファルを守るためにあるんだからな! 痛い思いさせてごめん!」


 大声で謝りながら鼻をすするガイアの後ろから、キョウももらい泣きしながら飛びついてくる。


「そうよ、ファルは私たちが守るの!」


 三人にぎゅっと抱きしめられながら、ファルイーアは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、少しだけ嬉しそうに笑った。


「ガイアの剣……おもかった……」

「だ、だろ!? あれでも一番軽いんだぞ!」

「……ガイアは、すごいね」


 尊敬の眼差しを向けられ、ガイアは照れくさそうに「へへっ」と笑う。

 グレンはそんな騒がしい弟子たちを、呆れたように、それでもどこまでも優しい目で見守っていた。


 泣いて腫れた目元のまま、ファルイーアは小さな手を伸ばした。

 痛めた右手ではなく、まだ動かせる左手で。

 グレンの制服を、ガイアの袖を、キョウの服を、順番にそっと掴む。


 剣は、まだ持てない。

 持ち上げることすらできない。

 それでも、その小さすぎる手は、自分を守ってくれるものへ確かに伸びていた。


 今はまだ、この優しくて大きすぎる盾と剣たちに守られて、ゆっくり大きくなればいい。


 ――けれど、その願いが守られる時間は、あまりにも短かった。


 この一星霜後。

 その小さな手は、守るためではなく、奪うためのものとして扱われることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ