第七十四話 背の王
激戦を終えた広場には、なお黒煙の匂いが残っていた。
石畳のあちこちで火がくすぶり、崩れた屍人の残滓が風に攫われていく。
その中を、ガイアが自分の傷など意に介さぬ足取りで歩き回っていた。
「お前ら、生きてるか! 重傷の奴は先にキョウのところへ行け!」
若き将の呼びかけに、座り込んでいた朱雀の精鋭たちが次々と手を上げる。
無傷とはいかない。魔人の軍勢との死闘で、深手を負った者も少なくなかった。
それでも、誰一人として命を落としてはいない。
その事実を一人ずつ確かめ終えた折、ガイアは大きく息を吐き、ようやく胸の底から安堵をこぼした。
「ちょっと、ガイア! 大人しく治療を受けなさいよ!」
その背後を、キョウが怒り心頭といった顔で追い回している。
腕には治療用の布と薬が抱えられていた。上空の戦いでラルの暴走魔力とリーギストの攻撃を正面から受け止めたせいで、ガイアの背や腕には、黒ずんだ焼け痕と裂傷が残っている。
歩き回る本人を追いかけ、キョウは半ば強引に薬を塗りつけていた。
「痛ぇっ!? おま、キョウ、もうちょい手加減しろ!」
「文句言わない! 一番酷い怪我してるの、あんたなんだから!」
叱りつける声は鋭い。
けれど、薬を塗る手つきは乱暴ではない。ガイアが生きていたことに、キョウはまだ安堵しきれていなかった。
そんな騒がしい二人のもとへ、グレンが静かに歩み寄る。
「大丈夫か」
短い一言だったが、そこには確かな気遣いがあった。
その声に振り返ったガイアは、ふう、と大げさに肩を竦めてみせた。
「おうよ! ……と言いてぇところだが、心の傷はでけぇかな」
「?」
予想外の返しに、グレンとキョウが揃って眉を寄せる。
身体の傷なら分かる。だが、心とは何か。
ガイアは頭をがしがしとかきむしり、やがて情けなさそうに天を仰いだ。
「俺、すっげぇ弱くねぇ?」
ぽつりと落ちたのは、飾り気のない本音だった。
朱雀の長として、炎の力には誰よりも自信があった。
だが、先ほどの戦いでは、リーギストの『魔人の加護』に手も足も出ず、空から降りてきたケセナと、あの宝刀にすべてを持っていかれた。
へらりと笑ってみせる弟子へ、彼を鍛え上げた師は、一切の容赦なく言い放つ。
「……未熟ではあるな。だが、あの劣勢で誰一人死なせなかった指揮は見事だ」
「っ! 先生! 少しは傷ついた弟子を……って、え?」
てっきり傷口へ塩を塗り込まれると思っていたガイアは、降ってきた労いに目をぱちくりさせた。
「何をそんなに不思議がる」
心外だと言わんばかりにグレンが眉を顰めると、ガイアは目を泳がせ、頭をがしがしとかいた。
「え、あー……いつもの先生だったら、『未熟ではあるな』で終わるだろ?」
「……ガイア、褒められてるんだから素直に喜びなさいよ」
薬を擦り込む手を止め、キョウが呆れて半眼を向ける。
「今のどっちの反応すりゃいいんだよ!」
ガイアが両手を広げて抗議すると、グレンはふいっと顔を逸らし、きっぱりと切り捨てた。
「分かった。もう褒めない」
「えええ!?」
肩を落とすガイアの背中を、キョウがぴしゃりと叩く。
「いってぇ!!」
「ほら見なさい。先生、私は? 私はどうだった?」
キョウはガイアを放置してグレンへ向き直ると、ぱあっと表情を輝かせ、期待に満ちた瞳で上目遣いになった。
「見事だった。上からの射手を封じ、地上を援護した。騎士団に欲しいくらいだ」
グレンが腕を組み、深く頷くと、キョウの顔がさらにぱっとほころんだ。
「ふふー! 聞いた? ガイア? 私、褒められた!」
「……先生、俺の扱い、酷くね?」
「お前は族長だ。甘くはせん」
「だーっ! そうかよ!」
理不尽な格差に頭を抱えて天を仰ぐ若き将と、それを見てくすくす笑う副将。そして、どこ吹く風で腕を組む無骨な騎士。
その微笑ましいやり取りが、黒煙の残る広場に響いた、その刻。
城壁の上から、周囲を照らすほど眩い黄金の光がふわりと舞い降りてきた。
黄金の双翼を背に広げ、ケセナがラルを抱えたまま静かに石畳へ降り立つ。
先ほどまでの禍々しい紫の渦は跡形もなく消え、そこに残ったのは、黄金の光をまとった青年と、穏やかな顔をした麒麟の少女だけだった。
その帰還は、広場の喧騒を奪った。
ガイアも、キョウも、朱雀の精鋭たちまでもが、声を失ってその光景を見上げる。
ラルをそっと地へ降ろしたケセナのもとへ、グレンが歩み寄った。
そして、ケセナの背でばさばさと羽ばたくそれを指し示し、至極真面目な顔で問う。
「ケセナ。それは何だ」
「え、えっと……」
威圧を放っていた青年の空気が、その一言で一気にいつもの情けない調子へ引き戻される。
ケセナは気まずそうに目を泳がせ、自分の背で羽ばたく黄金の翼をちらりと振り返った。
隣でラルがくすりと笑う。
注目を一身に浴びながら、ケセナは困り果てた顔で口を開いた。
「応龍と黄金龍の力が、妙な形で噛み合った……ようなもの?」
「『ようなもの』とは何だ……」
グレンたちが揃って呆れた顔を見合わせる。
無理もない。咄嗟の勢いで、怯えて引き籠っていた黄金龍から翼だけを引っ張り出してきたものの、ケセナ自身にも理屈はさっぱり分かっていない。
「俺も、よく分からないんだけど……」
「分からないで使うおめぇもすげぇな」
頭を抱えて呻くガイアへ神妙な顔を向けつつ、ケセナは正直に打ち明けた。
「これ……魔力をかなり食ってて、凄くしんどい」
「は? 仕舞いなさい、そんな翼!」
しんどいと言いながら出しっぱなしのケセナに、キョウが弾かれたように飛びつき、その肩を前後に揺さぶった。
「……消す? どうやるの、これ。ラル、分かる?」
「あたしに聞かないで。ケセナ、さっき上で一度消してたよ?」
「そうなんだけど……やり方忘れちゃって……」
「早く消しなさーーい!!」
「おら、ファル! 消せ! 消しやがれ!!」
キョウに揺さぶられ、ガイアから野次を飛ばされ。
大騒ぎする仲間たちの前で、ケセナは「分かった、分かったから!」と苦笑しつつ、念じるようにして背の黄金の双翼をすっと霧散させた。
「あ、消えた」
「どうやった?」
ガイアの真剣な問いに、ケセナは苦笑して首を横に振る。
「分かんない……」
「分からないのかよーーー!」
情けない返答に、ガイアはますます頭を抱える。
「とりあえず……立て続けにオウセイが表へ出てきて力を使ったし、今の双翼でちょっと魔力が空っぽっていうか……」
「ああ……すまない。引っ張り出してしまった」
一夜前、ビャクレンとの死闘で、ケセナにオウセイの力を使わせてしまった。その記憶が過り、グレンは気まずそうに目を伏せた。
するとケセナは、ふらりと身体を揺らし、情けない顔でグレンを見上げた。
「……グレンさん。謝るなら、背負って」
「は?」
「もう、一歩も立ってられない……」
言い終えるより早く、限界を迎えたケセナの膝が崩れ落ちかける。
「っ! それを先に言え!!」
グレンが血相を変えて飛び出し、石畳へ倒れ込む寸前の身体をがしっと抱き留めた。
そのまま腕へ力を込め、抱き上げようとする。
「あ、抱っこは嫌だ。恥ずかしいから」
「……言うようになったな」
瀕死のくせに素の我儘をこぼすケセナへ、グレンは呆れ半分、安堵半分の声で返し、何の躊躇もなく自らの広い背中へひょいと背負い上げた。
元騎士団長の慌てぶりと、隠しようのない過保護ぶりに、周囲で見ていた朱雀の精鋭たちからどっと笑いが起こる。
そんな中、グレンの背にしっかり収まったケセナが驚いて声を上げた。
「高っ!」
「お前、さっきまで空を飛んでいただろうが」
「そうだけど! それとこれとは別っていうか……!」
文句を言いながらも、ケセナは安心しきった顔でグレンの太い首元へ腕を回し、その背へすっかり体重を預けた。
グレンの体温と匂いが、ひどく安心できた。
「行くぞ。まだ先は長い」
グレンはかすかに口元を緩め、ケセナを背負い直して再び歩き出す。
その後ろを、ラルが柔らかな表情で追った。
「キョウ、俺たちも行くぞ」
ガイアが傷など忘れたようににやりと笑い、腰の短剣を鳴らして立ち上がる。
「ええ」
キョウも力強く頷き、手当てを終えたばかりの朱雀の精鋭たちへ向け、凛とした声を張り上げた。
「第二城門、開けに行く!」
「「「おう!!!」」」
疲労と痛みを押し返すような雄叫びが、広場を震わせた。
絶対防御の罠を打ち砕き、確かな絆で結ばれた前線軍は、皇都オーレルディアのさらに奥――『死の箱庭』の最後の関門へ向けて、再び前進を始めた。
第二城門前へ続く石造りの通路を駆け抜けながら、ケセナを背負うグレンが、ふと思い出したように口を開く。
「お前、オウセイが表へ出ている間、傷は痛まないのか?」
「え? 何でそんなこと」
「あの隠居、加減を知らんからな。お前の身体に無理が来ていないかと思ってな」
「あー……」
ケセナは背中の上で少し視線を彷徨わせ、先ほどの感覚を思い出しながら正直に答えた。
「……すごく痛いけど、我慢しろって言われてる……気がする」
それを聞いた途端、グレンの顔が露骨に不機嫌へ歪んだ。
「……あの業腹の古竜が。人の身体を何だと思ってやがる。次に出てきたら本気で叩きのめす」
「グレンさんって……オウセイのことになると急に大人げなくなるよね」
「あ?」
「あ、いや、感想! ただの感想だから!」
慌てて首を振るケセナへ、グレンはさらに低い声で言い募る。
「いいか、ケセナ。あいつに似るなよ。絶対にだ」
「あーーー……うん、善処する」
オウセイの記憶と感情が少しずつ混ざり始めているケセナとしては、何とも言い切りづらい要求だった。
曖昧に笑って誤魔化しながら、彼は胸の内でそっと誓う。
(……グレンさんの前で、もうオウセイの話題は軽々しく出さないでおこう)
血生臭い死の箱庭のただ中。
それでも前線軍の先頭には、張り詰めた空気を解くような、確かな温かさが流れていた。




