表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/77

第七十一話 偽りの父

 後方から、極大の爆発音と、地鳴りのような朱雀の雄叫びが響き渡る。

 彼らが『死の箱庭』たる広場で魔人の軍勢を引きつけている間に、グレン、ケセナ、ラルの三人は、入り組んだ市街地の裏路地を矢のように駆け抜けていた。

 無用な戦闘は避け、ひたすら先を急ぐ。やがて、市民の生活区画へ通じる堅牢な第二城門が、目前に迫った。


「……嫌な感じがする」


 最後尾を走っていたラルが、不意に足を止め、背後で死闘が続く広場の方角を振り返った。


「ラル?」


 不自然な立ち止まりに気づき、ケセナも慌てて足を止める。

 振り返ったラルの顔には、いつもの冷静さがひとかけらもなかった。目を見開き、額に冷や汗を滲ませ、何かを悟ったように全身を強張らせている。


「ごめん、ケセナ。先に行って」

「えっ?」


 短くそれだけを言い残し、ラルは第二城門へ背を向けた。

 ケセナが引き止める間もなく、来た道を猛烈な勢いで駆け出していく。


「ちょっ、ラル!? 一緒に!」


 呆気に取られ、遠ざかる背へ戸惑いの声を投げるケセナ。

 その肩を、先頭を走っていたグレンが力強く掴んだ。


「ラルを追うぞ」

「グレンさん!」


 グレンは第二城門から視線を切り、迷いなくラルが消えた路地へ向き直る。


「あいつが、私情や恐怖で持ち場を捨てるはずがない。あの広場で、よほどの異変が起きている」

「……うん!」


 ケセナは強く頷いた。

 第二城門への最短行程を一旦捨て、二人はラルの後を追って、ガイアたちの死闘が繰り広げられる『死の箱庭』へ踵を返す。


 ラルは、あの気配を知っていた。


 息が荒れる。鼓動が速い。

 頭ではない。魂の奥底が、あれを覚えている。

 普段の彼女なら決して崩さぬ呼吸が、今は浅く乱れていた。それでも、もつれそうになる足を必死に前へ運ぶ。複雑な路地を、ほとんど転がるように駆け戻った。


(あれは……あれはっ!)


 爆炎と怒号が吹き荒れる第一の広場。

 防壁の入口へ飛び込んだラルは、地上で繰り広げられる凄惨な戦いには目もくれず、真っ直ぐ城壁の上を見上げた。

 燃え盛るガイアの炎を、見えない障壁で弾き返しながら見下ろしている漆黒の髪の男。

 その姿を視界に捉え、ラルは喉が裂けんばかりの声で叫んだ。


「お父さん!!!!!」


 戦場の喧騒を裂く、悲痛な叫び。

 城壁の上で戦っていたガイアとキョウが、はっと下を振り向く。


 ラルが七星霜齢の刻。

 元皇妃ノヴェリアに裏切られ、目の前で無惨に殺されたはずの父。

 記憶の中の姿から、少しも老けていない。だが、間違えようがなかった。あの魔力の波長も、あの立ち姿も。ラル自身の血が、あれは実の父だと訴えていた。


「ラル!」


 遅れて広場へ駆け込んできたケセナとグレンが、立ち尽くす彼女の背へ追いつく。

 だが、ラルの視線を追ったグレンもまた、そこに立つ男の顔を見て、驚愕に目を見開いた。


「父、と言ったか……? では、あの男が……リーギスト・クレート!?」


 信じがたい名が、グレンの口から漏れる。

 麒麟族の復権を企て、ノヴェリアと共に禁呪『生物創造』へ手を染めた男。偽りの皇太子を生み出し、すべてを狂わせた大罪人の一人。

 そして、とっくに暗殺されたはずの男。

 その呟きすら耳に入らぬまま、ラルは城壁の上を見上げていた。

 男が持つ不気味な紫の瞳。それは皮肉にも、彼を見つめるラル自身の瞳とまったく同じ色をしていた。

 ラルが血を吐くような叫びを上げたというのに、城壁の上の男、リーギスト・クレートは眼下の娘を一瞥しただけで、何の感情も交えずに再び前方のガイアへ視線を戻した。

 その冷ややかな無関心に、ラルの理性が焼き切れた。


「っ……!!」


 ラルは足元で『風魔術』を爆ぜさせ、垂直の城壁を一気に駆け上がった。

 制御も荒い。風の推進力に任せて城壁の縁を蹴り上がり、勢い余って石畳の上を激しく転がる。擦り傷など意にも介さず身を起こしたラルは、ガイアとリーギストのちょうど中間にいた。


「ラル!?」


 突如として乱入してきた戦友の異様な姿に、ガイアが思わず歩み寄ろうとする。

 だが、その胸元へ、ラルの槍の鋭い銀の穂先が突きつけられた。


「……あたしに、やらせて」


 俯いたまま、地を這うような声が漏れる。


「おい、何言ってんだ! そいつは!」

「この男を……お父さんの顔をした偽物を、あたしに殺させてって言ってんの!!」


 顔を上げたラルの瞳から、涙が溢れ落ちていた。

 悲しみと怒りが入り混じった叫びが、城壁の上に響き渡る。


「あたしのお父さんは、あたしの目の前で殺された! そこにいるのは偽物! お父さんを愚弄する、ただの悪趣味な偽物!」


 自分に言い聞かせるように、ラルは槍を握り締める指へ、さらに力を込めた。

 そうだ、偽物に決まっている。両親は確かに、自分の目の前で血の海に沈んだのだから。

 だが、その叫びを受けた男は、紫の瞳をゆっくりと細め、ふっと、昔と変わらぬ柔らかな笑みを浮かべた。


「……偽物? 何を言っているんだい、ラル」


 心臓が跳ね上がる。

 優しい声だった。最後に聞いた、大好きな父そのものの声。


「うるさい……!!」


 ラルが震える手で槍を構え直す。


「ラル、おいで」


 リーギストが、迷子の娘をあやすように両手を広げた。


「うるさい!」


 ラルは両足に風を纏わせ、偽物の心臓を貫くべく一歩を踏み出そうとする。

 だが、次の一言が、その全身を完全に硬直させた。


「ラル。『仇を取ろうと思うな』と、お願いしただろう?」

「…………!!!!」


 息が止まる。

 頭の中が真っ白になり、握り締めた槍が、かたかたと震え出した。


 刺客の刃に倒れ、虫の息となった父が。

 泣き叫ぶ自分を血まみれの手で抱き締め、最後に遺した言葉。

 他の誰にも聞かれていない。この世界で、ラルと死にゆく父しか知るはずのない、たった一つの秘密の遺言。


「うるさーーーいッ!!!」


 ラルの絶叫が、オーレルディアの空を劈いた。

 その瞬間、彼女の細い身体から、それまで押し込められていた膨大な魔力が、天を衝く竜巻となって爆発的に噴き上がる。


 麒麟族。

 応龍族をも恐れさせた、強大な秘術を宿す血脈。


 ラルの紫の瞳が凶悪な光を放ち、周囲の空間そのものを軋ませ始めた。

 絶望と怒りによって、封じられていた麒麟の力が、この死の箱庭で解き放たれる。


「ラルッ!!」


 城壁の上で巻き起こった異常な魔力の奔流を見上げ、ケセナは血相を変えて防壁の根元へ駆け寄った。

 足場はないか、上へ行く道はないかと必死に視線を走らせる。

 だが、分かっている。そんな都合のいいものが、あるはずもない。

 ラルのように、風の精霊へ頼んで城壁を駆け上がることは、ケセナにはできない。

 できるのは、精霊を傷つけて無理に従わせることだけだった。


「ケセナ! 待て、一人で突っ込むな!」


 背後からグレンの鋭い制止が飛ぶ。

 それでもケセナは構わず石壁へ手をかけ、無謀にも素手で登ろうとした。


(方法は……今からでも編み出せばいい!)


 必死に壁を掻きむしる胸の奥で、激しい警鐘が鳴り響く。

 それはケセナ自身の直感だけではない。魂の奥底に眠る、オウセイの記憶が悲鳴を上げていた。


 ――ラルのこの状態は、危険すぎる。

 麒麟族が、その身に余る力を振るえばどうなるか。


『使わないように……力を使わずに済むように、外界結界内に置いたのに』


 ケセナの脳裏に、血を吐くような後悔が渦巻いた。

 応龍族すら凌駕する強大すぎる魔力。それは麒麟族自身の肉体と魂を、内側から焼き尽くす力だった。

 だからオウセイは、彼らがその力を使わずに済むよう、二重の結界を張った。迫害するためではない。守るためだった。

 けれど、その真意は伝わらなかった。

 守るための隔離は、麒麟族にとっては檻でしかなかった。

 何千星霜ものあいだ積もった憎悪は、結界が失われたこの刻、破滅の力として解き放たれようとしている。


「くそっ……どうすればっ……!」


 指先から血を滲ませながら、ケセナは焦燥に息を乱す。

 このままでは、ラルの命が危ない。


 見上げた上空では、オーレルディアの空を塗り潰すほど、禍々しく巨大な紫の渦が荒れ狂っていた。

 ガイアの炎すら呑み込み、城壁そのものを軋ませる絶大な魔力。

 だがそれは、ラル自身の命を磨り潰して生まれる破滅の光だ。


(……だから、麒麟族は力ではなく、『秘術』を求めたんだ)


 ケセナは壁を登るのを諦め、足を止めた。

 もはや一刻の猶予もない。


 頭上高くで荒れ狂う紫の渦へ。

 命を燃やし、偽物の父を殺そうとしている戦友へ向けて。

 全身の力を込め、喉が裂けんばかりに叫ぶ。


「使うなぁぁぁぁぁッ!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ