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第六十話 王の剣、鉄火へ

「ジェグヌから皇都オーレルディアへ至る道は、一つしかない」


 静寂の森での野営。小さな焚き火が爆ぜる音だけが、夜気の中に乾いて響いていた。

 グレンがしゃがみ込み、地面に広げた羊皮紙の地図を指でなぞる。その背後では、レイアとツェヴァンが腕を組み、無言で地図を見下ろしていた。


「二つの都市の間には、荒れ狂う海がある。人の足で越えられる道は、玄武の土魔術で海上に隆起させた、この巨大な街道だけだ」

「ずっと疑問だったんだけど。あの街道、なんで海水を被らないの?」


 焚き火を挟んでグレンの正面に座るラルが、素朴な疑問を口にする。

 それに答えたのはツェヴァンだった。


「麒麟族の秘術じゃ。街道全体を、透明な筒で覆っておる。海がどれだけ荒れようと、中には海水どころか潮風一つ入らぬ。……その海中道のちょうど中ほどに建つ巨大な関所。それが『鉄火の門』よ」


 玄武の土魔術と、麒麟の秘術の結晶。

 海上の一本道を完全に封じるその門は、迂回も包囲も許さぬ、絶望的な防衛拠点だった。


「本来なら、あんな門を正面から抜けるつもりはなかったんだがな……」


 グレンの横に座り、地図には目もくれず焚き火へ小石を放り込んでいたガイアが、忌々しげにぼやいた。


「門の下、荒れ狂う海の絶壁を伝ってやり過ごす。それが最初の潜入作戦だった」


 その言葉に、ガイアの隣で焚き火を見つめていたケセナは、胸の奥が焼けるように痛むのを感じた。

 本当なら、誰にも気づかれず皇都へ辿り着くはずだった。だが、その計画はジェグヌの街で完全に崩れた。


(あの刻、俺がちゃんとしていれば……)


 琥珀色の瞳が僅かに揺れる。

 高熱に浮かされたグレンを、ケセナは助けられなかった。触れることが怖くて、手を伸ばせなかった。

 その無力さから逃げるように、オウセイの力へ縋った。

 そして力尽き、目を覚ました刻、そこには誰もいなかった。


『――置いていかれた』


 グレンたちが買い出しに出ていただけだとは夢にも思わず、混乱したまま街へ飛び出した。

 本来なら一番避けるべき人混みの中で、取り返しのつかない歯車を回してしまった。


「この馬鹿がいなくなったからなぁ」


 ガイアが軽くケセナの肩を小突く。

 ケセナが気まずそうに視線を伏せると、レイアが冷ややかに言い放った。


「フィサルーアからは『潜伏している最大凶悪戦犯を抹殺しろ。背けば白虎一族を皆殺しにする』と命じられていたのだ。我らが血眼で探していたところへ、お前が一人でふらふら現れた。あれほど都合のいい獲物もない」

「それで、『少し休むといい』ですか……」


 ケセナは半眼になり、レイアを睨み返した。

 その隣に立つツェヴァンも、ちらりと見る。

 

 先ほどラルが悲痛な顔で手当てしていた傷は、その際の無茶な脱出と、暴走の末にレイアとツェヴァンの幻影に胸と背中を貫かれた痕だ。

 そっと胸に手を当て恨み言を吐く。


「正直、今でも貴方たちのこと、半分くらい疑ってます……」

「光栄だな。一族を守るためには当然の処置だ」


 レイアは悪びれもせず、鼻で嗤った。


「過去の遺恨はどうでもいい。問題はこれからだ」


 ぱん、と。

 グレンが乾いた音で柏手を打ち、険悪になりかけた空気を強引に作戦の場へ引き戻す。


「今のケセナの身体では、当初の『絶壁の岩肌を伝って裏へ回る』作戦は無理だ」

「ならどうするんだよ。玄武の精鋭が待ち構えてる門を、たった数人でぶち抜くのか?」


 ガイアの問いに、ツェヴァンが「くかっ」と喉を鳴らして笑った。


「裏口からこそこそ忍び込む必要などあるまい。我ら『四獣同盟』の力、堂々と見せつけてやればよい」


 ツェヴァンは立ち上がると、杖の先で鉄火の門の地図を力強く叩く。


「白虎と青龍の軍勢を、この海中道へ正面から進軍させる。ビャクレンとて、我ら二部隊の総攻撃を無視はできまい」

「陽動、ということですか……」


 ケセナが問うと、レイアが深く頷いた。


「そうだ。我らが鉄火の門の正面で玄武の軍勢を引きつける。その間に、お前たち『王の剣』は門の内部へ潜入し、要塞の制御機構、あるいは指揮官の首を取れ」


 ただの潜入任務ではない。

 同盟軍という巨大な盾を囮にし、難攻不落の要塞の心臓部を少人数で食い破れという、あまりにも過酷な作戦だった。


「『王の剣』か……。面白ぇ。要するに、外で派手に暴れてる間に、俺たちが中をぶっ壊せばいいんだな」


 ガイアが獰猛に笑い、短剣の柄を叩く。

 ラルも不安げにしながら、しっかりと頷いた。


「でも、潜入って……一本道だよ。絶壁の道が無理なら、どこから中に入るの?」

「一つだけ、ある」


 ケセナが立ち上がった。

 まだ痛みの残る身体をゆっくり運び、グレンが広げる地図の前まで来ると、その一点を見下ろした。


 しゃがみ込み、真っ直ぐに指し示したのは、鉄火の門の直下――海面すれすれの位置だった。

 オウセイの記憶が、その存在をはっきりと示している。


「玄武の土魔術で作られた土台部分。そこには、要塞の排気と排水を行うための『隠し水路』がある。同盟軍の陽動で敵の目が正面へ向いている隙に、門の真横から海へ飛び降りて、その穴へ直接潜り込むんだ」

「それ……結局、開いてる傷に塩水、被るよ?」


 ラルが眉を寄せた。

 その通りだった。今回は、ケセナ自身がその激痛に耐えなければならない。


「頑張る……」


 ケセナは引き攣る頬のまま、それでも強く唇を噛み締めて頷いた。


 こうして、灰の舞う静寂の森で。

 歪な同盟軍による『鉄火の門』攻略作戦が、静かに定まった。


 ------


 アイランバへ戻ってから二十夜が過ぎた。

 季節は封還の季へと移り、極寒の風が一気に大陸を覆い始めていた。


 その間は、文字通り決戦へ向けた準備の刻だった。

 ツェヴァンは青龍軍を呼び寄せ、ガイアもまた朱雀の精鋭へ親書を飛ばした。

 ケセナは相変わらず怪我の療養に励んだ。あのツェヴァンの恐るべき激痛秘薬が効いたのか、以前よりもずっと身体は動くようになっていた。


 ビャクレンを通じて、評議会にもフィサルーアにも同盟の動きは筒抜けのはずだが、あちらからの先制攻撃はない。

 奇妙で不穏ではあったが、ツェヴァンは「フィサルーアは自ら動かぬ」と断じ、レイアもまたそれに同意していた。

 その読み通り動かぬ不気味な静けさに、ケセナは逆に恐怖を覚えた。


 そして、出陣の刻。

 白虎の本城は、すでに全軍出陣に向けた熱気と喧騒に包まれていた。

 廊下を行き交う重武装の兵士たちの足音。物資を運ぶ怒号。

 その絶え間ない響きの中、ケセナは白虎から支給された黒と白の軽装束を身につけ、潜入任務に向けた最後の準備を進めていた。


「ほら、ケセナ。これ」


 寝台の端に腰掛けていたケセナの膝へ、同じ軽装束を着たラルが小さな包みをぽいと放る。


「これは?」

「防水の油布と、傷口を保護する軟膏。海に飛び込む前に塗って。少しは塩水が沁みるのを防げる……と思う」

「ありがとう、ラル。助かるよ」


 ケセナは目を細め、細やかな気遣いの詰まった包みを大切そうに腰袋へしまった。


「にしても、外はすげぇ熱気だな。あの堅物のレイアが本気で全軍動かしてやがる」


 ガイアが短剣を砥石で研ぐ手を止め、窓の外を見下ろして口笛を吹く。

 眼下の練兵場には、白虎の紋章を掲げた精鋭部隊が整列し、そこへ合流した青龍の魔術師部隊が合同陣形を組んでいた。空には青龍の操る雷雲が薄く立ち込め、白虎の闘気が城全体を震わせている。

 まさに、大陸を揺るがす二大勢力の進軍だった。


「あれが全部、俺たちの『囮』か……」


 ケセナが窓辺へ寄り、眼下の圧倒的な軍勢を見つめて息を呑む。


「重圧に潰されるなよ、ケセナ」


 漆黒の騎士団服を着込み、剣帯を締め終えたグレンが歩み寄り、ケセナの肩にぽんと手を置いた。


「陽動がどれだけ派手でも、俺たちが鉄火の門の内部へ潜り込み、防衛機構を落とせなければ意味がない。あの軍勢を無駄死にさせるな」

「グレンさん、それこそ凄い圧なんだけど……」


 ケセナが呻くと、グレンは「ははっ」と意地悪く笑った。

 すかさず、ガイアが割って入る。


 いつの間にかツェヴァンから貰っていたらしい怪しげな緑の小瓶を懐から取り出し、ひらひらと見せつけながら言った。


「安心しろ。途中でへばったら、また爺さんの『青龍族秘伝の傷薬』をぶっかけて、走らせてやるからよ」


 ――ぴきっ、と。

 ケセナとグレンの顔が、まったく同刻に引き攣った。


「それだけは絶対に嫌だ!!」

「御免被る」

「んなこと言ったって、お前らすぐ怪我するじゃねーか」

「「嫌だ!!」」


 ケセナとグレンの悲痛な叫びが、見事なまでに重なった。

 地獄の痛みを脳が思い出したのか、二人そろって顔を青褪めさせ、露骨に胃のあたりを押さえている。

 そのあまりに見事な同調っぷりに、ラルが堪えきれずに吹き出した。


 張り詰めていた客室の空気が、ふっと和らぐ。


「よし……」


 ひとしきり笑いが収まったあと。

 ケセナは両頬を軽く叩いた。

 ラルに叩かれた痛みを、もう一度思い出すように。


「行こう」


 振り返った琥珀色の瞳には、もう迷いも怯えもなかった。

 ただ、一人の人間として未来を見据える、静かな覚悟だけが宿っている。


 頷く仲間たちを背に従え、ケセナは客室の扉を開け放った。

 喧騒に包まれた城の廊下へ踏み出す四人の『王の剣』の歩みは、力強く、迷いなく揃っていた。

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