【幕間】酒場へ続く皇帝の抜け道
「……」
半眼になり、深い溜息をついたのは、オウセイだった。
直後、彼は無言で灯りにしていた魔力を止めた。
途端、坑道は完全な暗闇に呑まれる。
奥の方から、土に埋まった男の情けない悲鳴が響き渡った。
「うわっ!? おい、オウセイ! 灯り! 灯りを寄越せ!」
「……勝手に掘ってろ」
「冷たいことを言うなよ! 酒場が僕を待ってるんだ!」
「待ってない。呼んでもいない。……そもそも何故、俺が穴掘りにつき合わされている」
「一緒に美味い酒を呑むためだ!」
「理屈になってない」
「気持ちの話だ!」
「なお悪い」
オウセイはこめかみを押さえ、心底面倒そうに魔力を放った。
淡い光が坑道を照らし出す。
その先で、人影が「おお、見える!」と子供のようにはしゃいでいた。
「……ライネル。お前、一応は皇帝になったんだ。少しは落ち着け」
「何度も言うが、僕は『皇帝』って柄じゃないんだよなぁ!」
土埃まみれの金髪を揺らし、ライネルが振り返る。
暗い坑道の中でも、その紅い瞳だけは妙に目立っていた。
この世界で初めて『皇帝』と呼ばれることになった男。
もっとも、本人が望んだ玉座ではない。結界を維持し、ライネルとその先へ続く血を守るために、オウセイが半ば無理やり用意した座だった。
「……威厳がないことだけは、疑いようがないな」
「おい、親友に対して容赦がなさすぎるだろ」
ライネルは笑いながら、再び壁を掘り始めた。
ざく、ざく、と土を削る音が坑道に響く。
やがて、ふいに手を止める。
「オウセイ、お前に一つ頼みがある」
「嫌な予感しかしない」
「まだ何も言ってないぞ?」
「ここまでで十分だ」
オウセイが胡乱な目を向けると、ライネルは泥だらけの顔のまま、妙にいい笑顔を浮かべた。
「この地下道の入口と出口に、ちょっとした細工をできないか?」
「できなくはない。何をどうしたい」
「僕の寝所と、お前の家の地下室を繋げたい」
「…………は?」
「見つかったら側近どもがうるさいから、誰にも気づかれないようにしてくれ」
さらりと、とんでもないことを言う。
オウセイは眉間を押さえた。
「……俺の家の地下室に繋げる必要性が、まるで見えないが」
「お前、いつも地下室に籠もって妙なからくりばっかり作ってるだろ」
「悪かったな」
「この道が繋がってれば、僕が直接迎えに行ける。そのまま酒場まで連行できる」
「連行する前提なのか」
「当然だ」
「当然じゃない」
世界を救った救世主と、世界初の皇帝が結ぶ極秘地下道。
その用途が『地下室に籠もる男を酒場へ引っ張り出すため』だなどと後世に知られたら、記録官は筆を置くだろう。
オウセイはしばし黙り込み、とうとう諦めた顔をした。
ライネルは「頼むよ」と笑うばかりだ。この男、自分がどれほど面倒な術式を頼んでいるのか、まるで分かっていない。
だが、オウセイはその笑顔に弱かった。
「……分かった。考えておいてやる」
「さすが親友!」
「調子に乗るな」
その直後だった。
ふとオウセイが上を見上げ、指を差す。
「ところでライネル。上、崩れるぞ」
「あ?」
ずざざざっ、と大量の土砂が頭上から落ちてきた。
「うおっ!?」
ライネルは見事に埋まった。
「おっと……! 痛たた……。オウセイ、助けてくれ。土が僕を離してくれない」
「土に嫌われているんじゃないか」
「そんなことある!?」
「ルーロエはお前が嫌いだからな。土精霊もお前のことが嫌いなんだろ」
「玄武族長はいいとして、僕はちゃんと土精霊と契約してるぞ!?」
こめかみに手を当て、オウセイの眉間に、深い皺が刻まれた。
「なら、なぜ土魔術を使わん」
「……こんなことに使ったら、土精霊はしばらく力を貸してくれなくなる」
「ふぅん? 土精霊は利口なんだな」
興味なさげに言って、オウセイは片手で魔法を編み、土砂ごとライネルを引き剥がした。
「げほっ……この辺り、やけに地盤が緩いな」
「島全体が海に囲まれている。水脈も多い。仕方ない」
「なるほどなぁ」
「だから無計画に掘るな」
「今さら言うなよ」
「今さら言ったんだ。感謝しろ」
オウセイは気怠そうに肩を鳴らすと、空いた手で新たな術式を編み始めた。
「補強しておいてやる。……ついでに」
「うおおっ!?」
坑道に、暴力的なまでの光と突風が吹き荒れる。
ライネルは反射的に目を閉じ、腕で顔を庇った。
風が止む。
恐る恐る目を開けた彼の視界に飛び込んできたのは――遥か先まで真っ直ぐ伸びる、見事な地下道だった。
崩れかけていた土壁は岩盤のように固められ、足元まで綺麗に均されている。
「ちまちま掘るのが面倒になった。最後までまとめて通した。出入り口の隠しは、後でやる」
「おおおおーーーーーっ!! すげええ!! これでいつでも酒場へ行けるな!!」
オウセイの言葉など半分も聞いていない顔で、ライネルは端から端まで見渡して感動していた。
まったく、どうしようもない男だ。
だが、それ以上文句を継ぎ足す気にはなれなかった。
薄暗い地下道の中、泥だらけではしゃぐ親友の背中を見ながら、オウセイはそっと目を細める。
その顔には、呆れと、それに少しばかりの笑みが滲んでいた。
数夜後。
完成したばかりの豪奢な皇帝の私室に、あまりにも場違いな作業着姿の男が一人、窓枠へ張りついてぶつぶつ言っていた。
「……だから、何故私室なんだ。こんな警備の厳しい場所を起点にするから、隠蔽の術式がやたら面倒になる」
「おっ、オウセイ! できたか!?」
政務を抜け出してきたらしいライネルが、目を輝かせて部屋へ飛び込んでくる。
オウセイは手元で弄っていた透明な小石を、窓枠の端へかちりと押し込んだ。
「……ちょうど私室側の起動石を組み終えたところだ。見てみろ」
「おお! 全然わからん! どこだ!?」
「窓枠の端だ。魔力で視認をずらしてある。押し込めば、壁の空間が歪んで扉が出る」
「すげぇ! さすがオウセイ!」
「地下側の仕掛けは壁の最下段だ。床と接するぎりぎりの位置に、色の違う小石を埋めてある」
「底の底か! 誰も気づかねぇな!」
「ああ、だから少し黙れ。繋ぐ」
鬱陶しそうに言い放ち、オウセイは指先へ魔力を込めて起動石を押し込んだ。
壁が、ぐにゃりと陽炎のように歪む。
やがて小さな扉が現れた。
「おおおおっ!! 出た!!」
「……よし、成功だ。これでお前は側近の目を盗んで、いつでも俺の地下室へ――」
そこで、オウセイの言葉が止まる。
「……なぁ、オウセイ」
「…………一応聞いてやる。なんだ」
「これ、ちょっと高くないか?」
「…………」
ライネルが見上げた先。
扉は、あろうことか天井すれすれの位置に浮いていた。
「ここから出入りするんだよな? 僕、一応皇帝なんだが。壁に飛びつけと?」
「……少し待て。位置がずれた。やり直す」
「さらっと言ったけど大丈夫か?」
「黙れ」
オウセイは冷や汗を押し隠し、術式を組み直して再起動した。
再び壁が歪む。
「おお! 今度はちゃんと下に出たぞ!」
「……当たり前だ」
胸を撫で下ろしたのも束の間。
扉へ歩み寄ったライネルがぴたりと止まる。
「……オウセイ」
「だからなんだ」
「これ、執務机の真下なんだけど」
「…………」
分厚い木材の巨大な机。
その足元の奥に、扉はきっちり収まっていた。
「ここからの出入りって、四つん這いだろ。泥棒すぎないか? あと扉、小さいな」
「…………」
「なぁ、オウセイ。もう一回」
「ああもうっ、やかましい!!」
オウセイは両手で顔を覆い、天を仰いだ。
「隠蔽に魔力を割きすぎて、空間の噛み合わせが狂ったんだ! 開くたび、この部屋のどこへ出るかが定まらん!!」
「えっ!? じゃあ直せよ!」
「馬鹿を言うな! 最初から組み直すなら、丸三十夜は寝ずに術式を解き、組み直すことになるぞ! 誰が『今すぐどうしても酒場に行きたい』などと喚いたと思っている!」
「僕だな……」
「お前だ」
「急がせてすまん」
「本当に思っているか?」
「半分くらいは」
「……帰れ」
「ここが僕の部屋だけど?」
その返答に、オウセイはぱちぱちと瞬きをしてから頭を抱えた。
少し萎れつつ、ライネルが口を開く。
「大きさはさておき、天井とか机の下とか、やっぱり不便だろ?」
「……よく考えろ、ライネル」
オウセイは、すっと顔を整えた。
妙に理知的で、妙にそれらしい威厳を纏って、親友の肩へ手を置く。
「お前は『誰にも見つからないように隠せ』と言ったな?」
「お、おう」
「ならば、誰が天井近くや机の下から人が湧くと思う?」
「……誰も思わん、と思う」
「そうだ。その常識の死角だ。出入口をあえて定まらぬ位置へ散らすことで、追う者の目も惑わせられる」
「……!!」
ライネルの紅い瞳が、みるみる輝き出す。
「す、すげぇぜオウセイ!! そこまで考えて、あえて妙な場所に!?」
「ああ、そうだとも」
「さすが僕の親友だ!! 完璧な抜け道じゃねぇか!!」
「……ふっ。俺にかかればこんなものだ」
(ただの術式の綻びだが)
胸の内の本音を欠片も漏らさず、オウセイは涼しい顔を保った。
「じゃあ、さっそくこの隠し道を使って酒場に行くぞ! よいしょっと……!」
「ああ。……頭はぶつけるなよ」
「ぶつける前提で言うなよ」
「実際ぶつけそうだろ?」
「否定できないな……」
四つん這いになり、埃を被りながら机の下の小さな扉へ嬉々として潜り込んでいく初代皇帝の尻を見送りながら、
(面倒だ。このままでいいか)
オウセイは静かに息を吐いた。
己の妥協と失敗は、誰にも告げぬまま闇の中へ埋めることにした。
五千星霜後、この酒場に行くためだけの地下道を抜け、仲間たちから怪訝な顔を向けられることなど、この刻は微塵も想像していなかった。




