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第十話 名もなき英雄

 家の中に入り、ケセナは落ち着かない様子でそわそわしながら、丸い木製の食卓の一角にぽつんと腰を下ろしていた。

 中は、夜風まで熱を帯びる外とは違い、不思議と涼やかだった。


(魔術、なのかな……)


 未だ理のわからぬ魔術に思いを巡らせながら、ケセナは家の中を眺めた。

 外観の南方地区特有の造りとは違い、内装は清潔で機能的だった。使い込まれてはいるが手入れの行き届いた木製の食卓や椅子が並び、床も掃き出しやすい板張りになっている。


 周囲の席では、数人の客らしき人々が先ほどの騒動など意に介さず、和やかに談笑しながら食事をしている。楽しそうだなと思いつつ視線を巡らせると、奥には筆立ての置かれた小さな帳場があった。それがここが宿屋であることを主張しており、族長の家という厳格な雰囲気はまるでない。


 さらに横へ視線を動かせば、炊事場の奥でガイアとキョウが何やら小声で話しているのが見えた。キョウは、藍色の小袖の袖を赤い襷で潔く跳ね上げ、どこからどう見ても活発な宿屋の女将そのものだ。腰に巻いた白い前垂れを揺らしながら、大きな鍋を器用に捌いている。


 先ほど青銅色の髪を振り乱して玄武の兵を怒鳴りつけていた面影はなく、真剣な眼差しで味を調えている。その無駄のない洗練された所作は、ただの炊事というよりは、何か別の――もっと静謐な武術の型を見ているような錯覚をケセナに抱かせた。


 ケセナは肩を竦めて、小さく吐息を吐く。

 なにしろ、気まずかった。


 記憶を封印し、過去を覚えていないとしても、自分が“ファルイーア”であることに変わりはない。だが先ほど、明確に「違う」と言ってしまった。記憶がないのだから別人だと言い張ることもできる。けれど、本当にそれで良かったのか、心が揺れる。


 ただ、もし自分がファルイーアだと認めてしまえば、『応龍狩り』に遭う危険が跳ね上がるのも確かだった。それだけは絶対に避けなければならない。道中で目撃した凄惨な光景を思い出し、ケセナは慌てて首を振った。


 応龍狩り。


 四星霜前の内乱後、『評議会』は戦の全責任を『皇帝直系応龍族』に押しつけ、彼らを戦犯として断罪した。世界中が皇帝直系を血眼になって追い、そのほとんどはすでに捕らえられ、処刑されて消えていった。


 すると、行き場を失った人々の憎悪は、無関係な『一般の応龍族』へと向けられた。異常なことに、評議会はそれら一般の応龍族すらも形ばかりの審判に掛け、事実上の戦犯として次々に処罰していったのだ。


 その結果、今度は『応龍族と疑われただけの者』までもが狩りの対象となった。

 各地方の代表が集う評議会の決定は、この世界では絶対だった。なぜなら評議会は、戦後わずか二星霜で疲弊した地の交易と暮らしを立て直し、内乱前以上に成長させたという圧倒的な功績を持っているからだ。

 『平和な世界は評議会が作ってくれた』。

 その事実だけで、人々は彼らを盲信し、応龍族への理不尽な迫害を黙認し、あるいは熱狂的に加担している。


 そんな狂った世界の構図に、苦虫を噛み潰したような顔をしていたケセナの目の前へ、こつん、と水の入った木杯が置かれた。


「あ……」

「なに難しい顔してんだ?」


 見上げれば、赤い髪のガイアが立っていた。ケセナは慌てて視線を逸らし、返答に窮する。だがガイアは構わず、対面の椅子にどっかりと腰を下ろした。


「……」


 黙り込むケセナを横目に、ガイアは短く息を吐いた。自分の分の水を一気に飲み干し、木杯を食卓に置くと、声を潜めて切り出した。


「……お前、あの刀」

「あ、あれは、人伝に預かって……」


 咄嗟に弁明しようとするケセナに、ガイアはゆっくりと首を横に振った。両肘を食卓につき、顔の前で指を組みながら言う。


「違う。俺が言いてぇのは、人前で出さねぇ方がいいってことだ。お前の身のためにな」

「……え?」

「あれは、応龍宝刀だ。知ってる奴が見れば、一発でお前まで応龍族だと疑われる。金輪際、出さねぇ方がいい」


 ケセナを真っ直ぐに見据える赤い瞳は、真剣そのものだった。


「でもま」


 そこでガイアは少しだけ声色を落とし、言葉を切る。組んでいた指を解き、食卓に身を乗り出してケセナへ顔を近づけると、誰にも聞こえないような小声で紡いだ。


「ここだから言う。いや、ここじゃなきゃ言えねぇが……俺は『応龍族』が戦犯だなんて、これっぽっちも思っちゃいねぇ。むしろ、あの内乱を終わらせた英雄として扱われてもいいと思ってる」


 腐ってもガイアは評議会の一員――族長だ。

 それなのに、応龍族を戦犯だと思っていないと言う。


「……どういうことですか」

「さっき言っただろ。評議会の中で“あの戦の真実を知っている人間”は、俺を含めてごく少数だ、ってな」


 確かに聞いた。

 だが、評議会が応龍族を戦犯に仕立て上げた事実に変わりはない。


「ではなぜ、評議会は応龍族を戦犯に?」

「内乱直後の大混乱の中で、暴動寸前の民衆を纏め上げるには『共通の敵』が必要だったんだろうよ。俺は他の方法があるはずだと散々抗議したが、通らなかった。衆議によって決せられ、今に至るってわけだ」

「止めようとは、思わなかったんですか?」

「したよ、最初はな。けど……分かるだろ? 今じゃ、応龍を少しでも庇えば『お前も応龍の回し者か!』と糾弾される。応龍族には心底申し訳ねぇと思うが……俺は自分の身や、この街の連中まで、あんなイカれた応龍狩りに巻き込みたくねぇんだ」

「……そう、ですよね」


 ケセナは痛ましそうに顔を顰めた。

 ガイアの言う通りだ。人々は傍観するか、加担するかの二択しかない。自分の命や、護るべき街の民の命を天秤に掛ければ、誰も応龍族を助けようとはしない。そうやって見捨てられた結果が、あの悲惨な『狩り』の光景なのだ。


「だろ? あの戦に『応龍族』は何の罪もない。そもそも終わらせたのは、他でもない応龍族の一人だ。戦犯として裁かれるべきは、火種を作った『玄武族』と『ベラリティル家』のはずなんだよ」


 ケセナは無言で頷いた。


「内乱を引き起こした両家は、実質お咎めなしだぜ? どう考えてもおかしいだろ。裏で評議会の連中と何か取引してるとしか思えねぇが、尻尾が掴めねぇんだ」


 深い徒労感を滲ませ、ガイアは椅子の背もたれに深く体重を預けた。

 しばらくの沈黙の後、不意にケセナを見る。


「お前はどう思う?」

「え?」


 唐突な質問に、ケセナは戸惑った。


「外から見たお前には、どう見える?」


 どう見えると言われても、記憶のないケセナには、ありきたりな道理しか語れそうにない。それでも、真剣な赤い瞳から逃げることはできず、ケセナはゆっくりと口を開いた。


「……俺は、戦の詳しいことは分かりません。ただ……応龍族が戦犯として罪に問われているのは、絶対に間違っていると思います。終結させたのが応龍族なら、なおさらです」


 そこまで言って、ケセナはごくりと唾を飲み込んだ。冷や汗が背中を伝う。


「けれど……この狂った状況では、彼らの『自分たちは違う』という否定は、無意味なのだろうという気はします」

「『否定は、無意味』?」


 ガイアがぴくりと眉を上げた。


「はい。違うと声を上げても……罰せられることに、変わりはないから」

「……へぇ、なるほどな」


 ガイアは何かに気づいたのか、にやりと口角を上げた。

 ケセナは気づかず、話を続ける。


「それと、あの……人の道に背いた『応龍狩り』なんて……」

「見たのか、応龍狩りを」

「……はい。遠目からですが、何度か」


 ケセナは目を伏せた。情景は思い出したくもないが、瞼の裏に焼きついて離れない。

 ケセナの怯えた様子を見て、ガイアは腕を組み、重苦しい表情で考え込んだ。彼自身、族長という立場上、不当に捕らえられた応龍族の形ばかりの審判に何度も立ち会わされてきたのだろう。その苦悩が、彼の沈黙から痛いほど伝わってきた。


「その狩りの連中の中に、『金髪』の細っこい男はいなかったか?」

「え……?」


 不意の質問に、ケセナはきょとんとした。


「いや、知らなければそれでいい」


 ガイアは諦めたように溜息を吐き、瞼を閉じた。そして、ケセナが何かを聞き返す前に、再びゆっくりと瞳を開く。


「ありがとよ。旅人の素直な意見が聞けてよかった。……それと、ケセナ。一つだけ頼みがある」


 ガイアの瞳の奥に、一切の冗談を排した、真剣な光が宿った。


「なんですか?」


 少しだけ身構えたケセナに対し、ガイアは立ち上がり、食卓越しに顔を寄せてきた。


「もし、また応龍狩りの現場に出くわして……その中に『金髪で紅い目をした、細っこい奴』がいたら。どうか、助けてやって欲しい」

「え?」


 ガイアはゆっくりと上体を起こした。

 その刻、炊事場から出来立ての料理を運んできたキョウが、二人の食卓へ近づいてきた。


「そいつが、あの内乱を終わらせた本物の英雄だ。名を……」


 ことん、と。

 キョウが、ケセナの前に温かい汁物の入った皿を置いた。

 すぐ傍に彼女が立っている、その状況で。彼女が手を引いた瞬間、ガイアははっきりとした声で、その名を告げた。


「ファルイーア・ク・フェスカ」


 びくりと、ケセナの身体が強張った。

 下唇を強く噛み締める。


 彼らが、これほどまでに苦悩しながら探し求めている英雄。

 それは間違いなく、記憶を失う前の『自分自身』だ。

 だが、名乗ることはできない。ここで肯定すれば、この真っ直ぐで優しい彼らを、危険な応龍狩りに巻き込んでしまうかもしれないのだから。


 ケセナは震えそうになる身体を必死に押さえつけ、汁物の湯気で顔を隠すように俯くと、ただ無言で深く頷くことしかできなかった。

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