第九話 ファルイーアではありません
生活区域には、すぐに到着した。
家々は多くないが、ところどころに心細い街灯が灯っている。どの家も歪な形で、使えそうな廃材だけを拾い集め、なんとか接ぎ合わせたものなのだろう。
そんな中、一際大きく、まともな造りの家があった。
接ぎ木だらけの周囲の家々を威圧するように、重厚な板葺きの屋根をどっしりと横たえ、屋根の上にはいくつもの自然石が重石として並んでいる。太く黒光りする大黒柱が、剥き出しの土壁を力強く支えていた。
ガイアは脇目も振らず、その家へ向かって歩いていく。
門塀の傍まで進むと、振り返って親指で家を指した。
「これ、俺ん家。まぁ、兼宿屋で食堂だがな」
一族の頂点に立つ者としての威厳とは裏腹の、あまりに切実な生活感。ケセナが言葉を失うと、ガイアは「仕方ねぇだろ」と重い溜息混じりに肩を竦めた。
「食糧が圧倒的に足りねぇから、基本、ここにいる奴らは全員俺ん家で飯を食うんだ。宿屋なのは……家が崩れた奴らの避難場所も兼ねてるってだけだ。ここで俺ん家だけは、まともに設計して建てたから丈夫だしな」
「なるほど……」
族長自らが避難所と炊き出しを兼ねている現状に奇妙な心境になりつつも、他の家が歪だった理由には納得がいった。
そうして家へ向かって歩き出そうとした、その折だった。
「ふっざけんじゃない!!」
突如、家の中から女性の怒声が響き、二人の男が転がるように飛び出してきた。
「!?」
驚くケセナたちの前で、今度は青銅色の髪を振り乱した女性が飛び出し、這い上がる男たちに猛然と食って掛かった。
「出てけ出てけ! あんたたちにただでやる飯なんて何一つないんだからね!」
「このくそあまぁ! 俺らは玄武だぞ、飯くらい食わせろ!」
「だから、ふざけんじゃないって言ってんの! そもそも玄武は内乱の敗残の一族でしょうが!」
「違う! 玄武は勝者だ! 評議会が証言してくださっている! 知らねぇのか!?」
「知ってるわよ! だけど私は認めてないもの!」
男二人は、亀の甲羅と蛇の独特な図柄の民族衣装を身に纏っていた。『玄武族』である証明だ。四星霜前の内乱でベラリティル家側についた彼らが、この南方地区を壊滅させた。そして評議会が戦犯を応龍とした。だからこそ、彼らは『勝者』だと声高に主張しているのだろう。
一人は痩せ型で見るからにひ弱そうであり、もう一人は威圧感のある巨漢だ。
事の顛末を傍観しようとケセナが溜息をついた、その折。巨漢の男が腰の軍刀をすらりと抜き放った。頼りない明かりが、冷たい刃を鈍く煌めかせる。
「わからねぇ女だな! 身の程を思い知らせてやる!!」
巨漢は、女性めがけて軍刀を高く振り上げた。
「っ……!」
ガイアが顔色を変え、腰の短剣に手をかけた。――だが、そこから動かなかった。
(……抜かないのか!?)
ケセナは困惑した。あれほど野性味に溢れた男が、獲物を握りしめたまま、まるで足元を泥沼に取られたかのように繋ぎ止められている。
一撃で斬り伏せられる巨漢を前に、分が悪いと判断したのか。それとも別の『理由』があるのか。烈火の瞳が焦燥に燃え、歯噛みする音が聞こえる。迷っている暇はない。
「……プラウ」
ケセナは素早く腰袋から小さな封玉を取り出し、小声で名を呼んだ。
漆塗りの鞘に収まった刀が実体化する。ケセナは左手で鞘を握り込み、右手を柄にかけた。
「覚悟しろぉ!!」
巨漢の怒声と共に、無慈悲な刃が女性へ振り下ろされる。
「キョウ!!」
ガイアが右手に炎を纏わせていた。だが、ふいに肩を掴まれ、強引に後ろへ引き倒される。尻餅をついた彼が慌てて顔を上げると、ケセナの背中が風のように横をすり抜けていく。
「ケセナ……!?」
甲高い金属音が、辺りに響いた。
ケセナは抜刀と同刻に鞘を投げ捨て、振り下ろされた軍刀と女性の間へ滑り込んでいた。刀の峰を自身に向け、空いた左手を刃の背に添えて、巨漢の全力の一撃を真正面から受け止める。
ケセナは顔を歪め、押し潰されそうになる膝になんとか力を込めて踏み止まった。
呆然と見つめていたガイアが我に返り、ケセナの背後で顔を引き攣らせている女性――キョウに駆け寄る。
「キョウ、大丈夫か!?」
「……う、うん……だい、じょうぶ」
キョウは震える声で短く答えた。その視線は、自分を庇うケセナの背中に釘付けになっている。
「そこまでにしたらどうです?」
再び鉄が弾ける音が響き、ケセナが力任せに軍刀を弾き返した。体勢を崩し、巨漢が二歩ほど後ずさる。
ケセナは流れるような動作で刀を持ち直すと、姿勢を正し、感情を削ぎ落とした冷徹な瞳で巨漢を射抜いた。
足元から這い寄るような、無慈悲な殺気。
彼の中に眠る何かが、そうさせている。
「命が惜しいなら、消えてくれませんかね」
ぴたりと刀を青眼に構えた姿は、歴戦の剣士のように堂に入っていた。
「……お、おお、覚えてやがれ!!」
圧倒的な力量の差と本物の殺気を悟った男二人は、典型的な捨て台詞を吐き、情けない声を上げながら闇の中へ逃げ去っていった。
ケセナは男たちの背中を見送りながら、地面に落ちていた鞘を拾い上げ、かちんと刀を納め、封玉の中へ収納した。
一部始終を見ていたガイアが、戸惑いながら声を掛けてくる。
「おい、お前……」
くるりと振り返ったケセナは、困ったように左手で後頭部を掻いた。
「あ。ごめんなさい。俺、ああいった理不尽な奴が許せなくて。ついはったりを……」
「はったり!? マジか!? あれがはったりだったのかよ!?」
ガイアは目玉が飛び出そうなほど驚愕し、声を荒らげた。あれほどの気迫がはったりだとは到底信じられなかったが、本人が言うのならと無理やり自分を納得させる。
「いや、まぁいいや。ありがとな。おかげでこいつ……って、おい? キョウ?」
へたり込んでいたキョウは、ケセナから一切視線を外していなかった。
だが、その震えは先ほどの恐怖とは明らかに異なっていた。
「……?」
ケセナが首を傾げると、キョウは震える唇をわななかせ、信じられないものを見るような声で言葉を紡いだ。
「……ファル……?」
「え……?」
掠れた小声に聞き返す。その途端、キョウは弾かれたように立ち上がり、ケセナに詰め寄って細い両肩をがしっと掴んだ。ケセナの身体が硬直する。
「ファル、なの!?」
「え、あ、あの、ちょっとっ」
「ファルなんでしょう!? ねぇ、そうよね! 私が間違える訳ない! ねぇ、ファルイーア!!」
「ひ、人違いだと、思います、けど……っ」
がくがくと脳を揺さぶられながら、なんとか否定の言葉を絞り出す。本当は自分がその“ファルイーア”なのだろう。だが記憶を封印している身では、何の感情も湧いてこない。
「どうして?」
ぴたりと手を止め、キョウがきょとんと首を傾げた。
「ど、どうしてって……」
目を回しながら必死に言い訳を考える。『記憶がない』とも言えず口ごもっていると、見かねたガイアが割って入った。
「おい、キョウ。本人が違うって言ってんだ。いい加減にしろ」
「だってガイア!」
「おめぇの目は節穴か!? こいつの髪と目、茶色だろが!」
「そんなの、誤魔化してるだけでしょ!」
「あの、喧嘩は……」
「ケセナ、お前は黙ってろ!」
「……えぇ……」
今度は二人の激しい言い合いが始まってしまった。仲裁に入ろうとしてあっさり足蹴にされ、ケセナは肩を落として嵐が過ぎ去るのを待つ。
「そんなの、ファルならやってのけるかもしれないじゃない! あの子は史上最強の魔力の持ち主なんだから!」
「ファルの魔力の源は“オウセイ”の力だ! 紛い物なんだよ!」
ケセナは身体を強張らせ、目を見張った。
(今、なんて言ったの……? ファルイーアの魔力の源が、オウセイって……?)
混乱する思考をゆっくりと整理し、今すぐ立ち去りたいという強烈な衝動に駆られる。
旅の途中で目にした『応龍狩り』の凄惨な光景が脳裏をよぎり、足が竦む。記憶を封印する前の自分を知るこの二人は――危険だ。
「ファルを悪く言わないで。あの子は何も悪くない。ただ、みんなに認めて貰いたかっただけ……ねぇ、ファル? お願い、ファルなんでしょう?」
キョウがあまりにも切ない表情でケセナを見つめてくる。
しかしケセナは、明確に首を横に振った。
どうしようもできない自分が痛いほど歯痒かった。だがファルイーアとしての記憶は何一つ残っていないし、ここで肯定すれば応龍族として捕らえられる恐怖もある。
「ごめんなさい。俺は……ファルイーアではありません」
はっきりと否定すると、キョウは絶望したように寂しげな溜息をついた。
居た堪れない沈黙の中、ケセナは状況を分析した。
ここまで深く自分を語る人物は初めてだ。だがガイアは族長であり、内乱の内部事情を知っている。ならば以前の『ファルイーア』と面識があっても不思議ではない。髪と瞳の色を変えただけで顔立ちは同じなのだから、見抜く人間が現れてもおかしくはなかった。
「あーもう、めんどくせぇなぁ。いいか、キョウ。こいつは別人だ。本人も否定してんだから信じろよ。そもそもファルはあの宝刀を扱えねぇ。こいつはさっき、ファルが扱えない宝刀を抜刀したんだぜ?」
ガイアの決定的な一言で、言い合いは収束に向かっていた。
(宝刀を扱えない……?)
非常に気になる言葉だったが、ケセナは敢えて反応しないよう努める。
「……それは……でも……私は……会いたいの、ファルイーアに……」
現実を受け入れ始めたのか。キョウは俯き、上目遣いで縋るように尋ねた。
「本当に、ファルイーアじゃないのね?」
「はい。ごめんなさい、人違いです。俺は、ケセナ・レフィードと言います」
キョウは伏し目がちに、今にも泣き出しそうな顔をした。その痛ましさに堪えきれず、ケセナは視線を逸らす。
「……そう。ごめんね。私の勘違いだった。私は、キョウ・チャーシングって言うの。この家で料理人と宿屋の女将と……ガイアの世話をしてるわ。よろしくね、ケセナさん。それから……助けてくれてありがとう」
キョウは弱々しくそう言うと、二度とケセナの顔を見ようとせず、背を丸めて足早に家の中へ入ってしまった。
その背中を見送り、ケセナは呆然と立ち尽くす。ぱちぱちと目を瞬かせ、隣のガイアを見上げると、彼は本日最大の溜息を吐き出していた。
「悪いな。あいつ、ファルイーアって奴に惚れてる。今どこに居るかもわかんねぇから、あんな風に気が立ってんだよ」
ケセナは息を呑んだ。
惚れている? 自分のことなのに、全く信じられない言葉だった。茶色の瞳を見開いて固まっていると、ガイアは呆れたように肩を竦める。
「とにかく、中に入れよ。ここの夜巡りは暑すぎる」
ガイアに促され歩き出すが、鉛のように足が重かった。
あの扉の向こうには、キョウがいる。
過去の自分を愛しているという彼女に、一体どんな顔を向ければいいのか。
ケセナには、全くわからなくなっていた。




