実家へ帰りたい
「…おはようございます」
その場にいた料理人たちはしきりに笑顔になり、
「待ってたぞ」
「おかえりー」
そんな、先ほどまでの陰口など無かったかのような反応をされる。
「公彦さん。嫌味なやつだけど、気にしないで」
「そうそう。自分のペースで」
「……そうですか」
晶はそう淡白な返答をして、蛇口から水を出す。手を丁寧に洗うなか、この涼やかな温度が冷え切った心にはなお、冷たく刺してくる。
居心地が悪すぎる。この場から逃げて、関東へ戻りたい。晶は、ここに来たことを後悔してしまう。
豚カツの調理再開。今日の肉はイベリコ豚だ。
イベリコ豚の重要な要素は、「揚げすぎない」こと。油の温度や取り出す時間が大事なのだ。
余熱での調節が命だろう。
コンロの火を点けて、鍋をその上に置く。沸騰するまでに肉の準備をする。そして肉を切った瞬間に理解できる情報を頼りに脳内で今後の絵を描く。そうやって完成図をイメージすることが何よりも大事なのだ。
衣はさくっと、中はレア加減で赤みが残っている。そんな状態こそが、神の黄金比なのだ。
そんな黄金比のものをどんどん切っていく。衣と衣が外れる瞬間の音が鼓膜を震わせる。
料理長に確認しに行くと、頬をぶたれてしまう。
「この肉がどれほど高いものか、分かっているのか!」
晶は涙をこらえつつ平謝りする。
「もうお前帰れや。なぁ」
「すみません。それだけは許してください」
「だったら失敗なんか許さへんぞ。分かってんのか? ああ!」
晶は深々と頭を下げる。
こんなことで……負けてたまるか、と反骨精神むき出しで晶はもう一度調理に取り掛かる。
今度は、イベリコ豚の赤みを最大限引き出すために低温調理で時間をかける。
頭を使え。
調理に五十分以上ほどかかってしまったか、それでも完成だ。
調理長に味見してもらうと、舌打ちされてふくらはぎを蹴られてしまう。激痛が襲い、晶は顔を顰める。
「こんなに時間を使うな。あと、まずい。豚のにおいを消せていない」
「す、すみません」
「つぎ失敗したら、お前もう辞めろ。邪魔だ」
コロナウィルスによって畜産業者は痛手を背負った。そのせいで、こうした調理上のひとつの失敗を絶対に許せないほど、どこも体力が無いのだ。
きっと、料理長もなにか思索を凝らしている。どうすればこの料亭の運営が軌道に乗るか。それなのに、晶のような邪魔者がのこのこと寄ってくれば、歯がゆさもあるし、苛立ちもあるだろう。
晶は思う――もう、帰ろうかな、と。




