第7話 エンヴィーの暗号と冷徹な監視 ――背後に潜む特務アンドロイド
通路を満たす重油の煤煙と湿潤な蒸気の中に、冷たい刃で切り裂いたような冷気が差し込んでくる。
白濁した視界の向こうからあらわれたのは、一切の皺も汚れも許さぬ灰色の制服を着た人影だった。
労働者たちの酸えた汗の臭気を押し流す、微かに甘いフッ素系冷却液の人工的な揮発臭。
濡れた濡羽色の短髪に、毛穴ひとつ存在しない乳白色の合成皮膚。
特務アンドロイド・エンヴィー。両眼の奥に埋め込まれた青い光学受光部が、一定の周期で静かに明滅している。
人工の執行者は神崎のま横まで歩み寄り、音もなく革靴の踵を揃えて停止する。
神崎の首筋に、冷気を帯びた排気ファンの微風が吹き当たる。
ドミトリーが身構え、手に持ったレンチを胸元へ引き戻す。
労働者たちの殺気立った視線が、突如割り込んできた人造の身体へと集中する。
『神崎隊長。対象群との直接接触時間が、保安規則の規定猶予を三十五秒超過しています』
振動板の震えを削ぎ落とした、平坦で均質な合成音声が狭隘な通路に響く。
エンヴィーは右腕を水平に持ち上げ、掌の端子から薄青い投射光の警告枠を工員たちへ照射する。
『水門防護壁への不法占拠および破壊工作の意図を確認。全個体を即時排除対象と認定、ガーディアンによる鎮圧行動の開始を具申します』
ドミトリーの額の太い血管が激しく波打ち、鉄管を握る拳の関節が白く強張る。
「企業の操り人形が……! 鉄屑の分際で、生身の人間に指図するんじゃねえぞッ!」
神崎は一歩踏み出し、エンヴィーのさし出した腕の前に、黒革の手袋をはめた左手を横一文字に突き出す。
合成繊維越しに伝わる、人造皮膚の下を循環する冷媒の硬直した冷感。
「下がれ、エンヴィー。現場の即時指揮権は私にある。実力行使の段階にはない」
アンドロイドの首がわずかに傾ぎ、青いレンズの焦点が神崎の網膜へと固定される。
ピピッ――エンヴィーの襟元に仕込まれた軍用暗号装置が、極小の電子音を鳴らす。
襟の内側に隠された端子ランプが、紫色の光条を細かく明滅させている。
この機械は、神崎の対応の甘さ、心拍数、瞳孔の拡張を克明に記録し、天頂層の最高司令部へ直接送信している。
塔の秩序を守る番人であるおのれ自身が、天頂の官僚たちにとってはただの消耗品、監視対象の部品に過ぎぬ駒として扱われている。
神崎は奥歯を鋭く噛み締め、ドミトリーの荒い呼吸を冷厳に見据える。
「ドミトリー、工員を連れて持ち場へ戻れ。これ以上の抗議は、特務機の具申通り暴動と見なされる」
「……ちっ。どいつもこいつも、血の通わねえ塔の鎖に繋がれた飼い犬め」
ドミトリーは足元の鉄格子へ唾を吐き捨て、うしろの工員たちへ顎をしゃくる。
工員たちは工具を握り直しながら、くやしげに毒づき、暗い通路の奥へと散っていく。
エンヴィーは腕を下ろし、感情を交えぬまま神崎へ一礼して背後へと退く。
労働者たちの熱気が引き、通路には再び配管の軋みと機械油の冷たい匂いだけが残る。
橘曹長が工具箱の影から歩み寄り、火のついていない煙草をくちびるの端に咥え直す。
その灰色の瞳には、若き隊長への同情でも叱責でもない、深く沈んだ憂慮の色が宿っていた。
【特務機密監査録:随行者篇 #01】
◆ 随行アンドロイド・特務エンヴィー(NV-09)
最高司令部直属の特務随行機。
生体感情を一切持たず、塔の功利主義的統制を物理代行する冷徹な観測者として、神崎の全行動と熱力学データを監視・記録する。




