第6話 配給削減辞令と労働者の義憤 ――冷徹な軍規と民衆の反発
神崎は防水封筒の蝋封を親指の腹でわり、中から一枚の上質紙を引き抜く。
湿気を含んだ水流層の空気の中、中央エネルギー局の紋章が刻まれた紙きれだけが、天頂層の乾いた冷たさを保っている。
点検通路の奥、第七水流分配弁室の重厚な真鍮製操作輪群の前に、人垣ができていた。
十数名の工員たちが、油まみれの作業服を着込み、錆びた大型スパナや鉄管をかたく握りしめている。
男たちの皮膚から立ち上る酸えた汗の臭気と、作業着の繊維に染み込んだふるい機械油の焦げた匂い。
弁室の放熱管から吹き出す熱気が、通路の冷気と混ざり合い、生温かい水滴となって神崎の頬をつたい落ちる。
労働者の群れを割って、胸板の厚い大柄な男が一歩まえへ踏み出す。
水流層労働組合の現場責任者、ドミトリー。煤けた額に刻まれた深い皺の奥で、充血した眼球がぎらぎらと光る。
「神崎隊長。天頂層の旦那方から、今度はどんな有り難いお達しが届いたんだ?」
男は右手に提げた六角レンチを鉄の手すりに叩きつける。
ガン、と乾いた金属音が狭い空間に反響し、周囲の工員たちの呼吸が険しくこわばる。
神崎は表情をひとつも動かさず、紙片を目の高さまで持ち上げ、通告文の文字を冷厳に読み上げる。
「『水星の塔・保安部最高司令部および中央エネルギー局連名辞令。水流層全工区に対する生活用水の配給枠を、本日十八時を以て現行比三割削減とする』」
読み上げる己の声が、みずからの喉元へ突きつけられた冷たい鋼の感触となって跳ね返る。
三割の削減。それはこの底辺区画において、労働者とその家族から日々の洗浄水と煮炊きの湯を奪い去る宣告に等しい。
奪われた真水は、天頂層の温室庭園をうるおす散水装置と、上級市民の遊泳槽へとすい上げられていく。
規律を守る側の自分が、いま無慈悲な強奪の先兵としてここに立っている。
ドミトリーの頬の筋肉が激しく引き攣り、分厚い唇から唾が飛ぶ。
「三割削減だと!? ふざけるなッ! 今ですら配給される水は、赤錆交じりの泥水ばかりじゃねえか!」
ドミトリーは油の染み付いた胸板を、神崎の軍服の胸元へ押し当てるように詰め寄る。
相手の荒い呼気に混じる、酒気と胃酸の刺激臭。神崎の黒革の手袋をはめた拳が、もものわきでわずかに固くなる。
「天頂層のエデンじゃ、噴水で貴族共が贅沢に喉を潤してるってのに、俺たちには機械油を啜ってタービンを回し続けろってのかッ!」
背後の工員たちが一斉に鉄管を床に打ち鳴らし、殺気立った怒号が通路を埋め尽くす。
橘曹長が神崎の右肩へ静かに重い手を置き、顎をわずかに引いて首を横に振る。
「隊長、ここは一度引くのが筋ってもんでさあ。相手は本気で飢えてやすぜ」
神崎は足元の鉄格子を踏みしめ、ドミトリーの血走った瞳を正面から見据える。
「軍令による決定事項だ。水門弁への接近および破壊工作は、国家反逆罪として機甲による即時実力排除の対象となる」
鋼のような掟で心をふさがねば、目の前の生身の熱量に飲み込まれてしまう。
ドミトリーは握り締めたレンチをふり上げ、神崎の眉間へ突きつける。
「機甲だの反逆罪だの、飼い犬の戯言をほざくなッ! 俺たちの命を何だと思ってやがる!」
一触即発の殺気が限界まで張り詰めたその瞬間、背後の薄暗い通路から、規則正しく冷たい靴音が響いてくる。
鉄格子を刻む微塵の乱れもない機械的な歩調。蒸気と汗の充満する空間に、凍てつく冷気が吹き込んできた。
【水星の塔 構造記録:インフラ篇 #02】
◆ 水深三千メートル『水流層』
塔の最下層(四十一〜六十四区)に広がる深海巨大工廠区画。
超巨大熱交換タービン群が轟音を上げ、上層天頂階へ向け高圧真水と電力を送り続ける暗黒の心臓部。




