第16話 エンヴィーの冷徹な報告 ――不可解な隠蔽指示
放水路の突き当たり、ガーディアンの巨躯をまるごと呑みこむ円形大空洞の先で、第一排水門の高張力鋼鉄扉が不可視の強烈な圧迫をうけて内側へくの字に折れ曲がっている。
裂開した鉄扉の裂け目から、青白い燐光の微小結晶がにごった水の中をゆらゆらと漂い出してくる。
深海魚の放つ温い発光ではない。海水の熱を強引に吸いあげ、細かな格子状に凍てついた氷の光彩だ。
投光器の光束が届かぬ暗がりから、装甲のチタン合金を伝って指先を麻痺させる冷気がしみこんでくる。
神崎玲司は操縦席の環境感知器が赤く点滅させる警報の光をじっとにらみすえる。
通信回線に割りこんだ特務エンヴィーの抑揚のない合成音声が、平坦な調子で鼓膜を叩く。
『目標の物理特性。局所的な熱量を貪食する、吸熱相転移生命体』
『イシュトヴァーン准将の予測演算と九割八分七厘一致。観測記録を天頂中枢へ直接転送中』
准将の予測だと? 「フレミ」――上層部はこの底知れぬ怪異を、最初から符牒で分類していたというのか。神崎の胃の腑が重く沈む。
この怪異はおもいがけぬ事故ではない。塔の保安部最高司令部は、初めからこの底知れぬ怪異の存在をつかんでいたのではないか。
命を賭して奉じてきた軍規の足場が、泥濘と化して足元から崩落していく。
カチリ――神崎は迷いを振り払い、主兵装である大口径徹甲銃の切替把手を単射から三連射へと滑りこませる。
機甲の右手手指が、鋼鉄の引金覆いの中へと滑らかに入りこむ。
ガーディアンの両脚緩衝支柱を沈みこませ、放水路の床面へ機体を低く構える。
「橘曹長、迎撃用意。水流層の中央動力区画へ、これ以上侵入させるな」
左後方に控える二番機が、無骨な重機関砲の銃身を水門の裂け目へと向ける。
ガシャリと橘機の装填機構がかみ合い、にごった水の中で金属音がにぶくひびく。
『了解だ、隊長。残弾の続く限り、叩き込んでやる!』
排水門の奥底、岩盤の裂け目から、ゴボリと白くにごった気泡の塊が押し出されてくる。
深海の底の重い濁水が、おびただしい質量体の蠢きに伴って前後に大きくうねり、機甲の前面装甲板をつよく叩く。
ひしゃげた鉄扉の奥の暗がりから、青碧の光彩を放つ多面体結晶の外殻が、音もなく姿を現し始める。
人類の知る海洋生物の骨格ではない。尖った多面体結晶とぬれたやわらかな肉が異形にとけあった、物理の歪みそのものだ。
大木を思わす太い触腕が、まわりの海水をまたたくまに凍らせながら、鎌首をもたげる。
キュリキュリキュリ――海水中の気泡を氷結させながら、耳を劈く高周波の軋み音が放水路の壁面をふるわせる。
神崎は火器管制機構の照準環を、触腕の基部にある黒い核へとしっかりと重ねあわせる。
指先にかかる引金の遊びが消え、射撃準備完了の緑色表示灯がともる。
ここで押し留めねばならぬ。水流層の工員も、天頂の市民も、すべてこの底知れぬ冷気に呑みこまれる。
「撃てッ!」
神崎の号令とともに、大口径徹甲銃の重い引金が深く引き絞られる。
ズドドォン! 海の中をつき進む徹甲弾の衝撃波が、放水路のふかい海水を激しく震わせる。
閃光と気泡の向こう側、触腕の群れが耳をふさぐほどの超音波を撒き散らしながら、神崎たちへと殺到する。
その時、遥か洋上の独立淡水プラントでは、労働者指導者ドミトリーからの緊急暗号通信が拡声器を激しく震わせていた。
【特殊保安部隊 監察通信ログ #04】
◆ 隠蔽された異形
特務随行機エンヴィーによる通信回線の強制切断と、遭遇事象の機密指定。
海面と深海が同時に破局へ突入する中、塔の上層部は怪異の存在を初めから掌握していた事実を示唆する。
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※第4幕読了ありがとうございます! 次回、洋上プラントからレンの駆るアーチャーが緊急出撃!
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