第14話 軋む外殻と氷冷の浸潤 ――三百気圧隔壁の軋み
放水路第四分岐点。狭隘な暗黒の坑道に、横だおしとなった大型深海掘削重機が黒い巨躯をよこたえている。
重厚な耐圧チタン装甲板が、握り潰された薄膜のごとく球状のくぼみを刻み、内側へ爆縮している。
ガーディアンの脚部油圧駆動筒負荷率が警告域を示し、濁水の下に堆積した鋼鉄の破片をふみしめるたびに不気味な軋み音を返す。
神崎は右手の操作桿をかたむけ、探照灯の焦点を重機の操縦室へと絞る。
強化アクリル窓は粉々に砕け散り、露出した操縦席には人体の痕跡も、血肉の飛沫すら残されていない。
裂けた座席の上に横たわっているのは、粗塩に似た鈍い光沢を帯びた白い無機粉末の山だけだ。
通常の深海高圧環境下における圧壊事故であれば、人体の軟組織は水圧で押し潰され、強烈な血臭と汚濁が水中に拡散する。
骨のかけらすら残さず、有機物の熱と水分のみを根こそぎ奪い去った徹底した昇華分解。
金属の破断面も水圧による塑性変形ではない。極低温に瞬時に晒された金属が弾性を失ってくだけ散る、超脆性破壊の典型だ。
敵は人間を殺傷したのではない。生命の維持に必要な熱量そのものを、貪食する餌として喰らい尽くしたのだ。
額に冷汗が滲み、神崎は耐Gスーツの喉元をわずかに緩める。
無線機から雑音とともに橘曹長の押し殺した呻き声が漏れる。
『おいおい……作業員三名が乗ってたはずだぜ。骨も肉も、どこへ消え失せやがった』
「熱量を奪われたのだ。この坑道に潜む、何者かによって」
神崎は操作盤の操作具を回し、超高感度暗視受像器の増幅率を最大まで引き上げる。
潰れたチタン装甲の表面に、剃刀の刃傷に似た微細な幾何学模様がうかび上がる。
人工的な刻印ではなく、結晶が成長する過程で母材を食い破ったフラクタル状の侵食痕。
その幾何学線に沿って、薄く青白い霜が微細な律動を刻んで明滅を繰り返している。
鉱物と生物の境界を曖昧にする異質の存在。水星の塔の生態系記録庫のどこにも存在しない絶対の異物。
二番機の後方から、推進器の排気音すら立てずに純白の随行機が静かにすすみ出てくる。
特務アンドロイド・エンヴィーの搭乗する無人支援機が、神崎機の右舷すれすれに停止する。
操縦殻の内線拡声器から、一切の感情を剥ぎ取った冷涼な合成音声が告げる。
『対象の生体熱、残存量ゼロ。炭素およびカルシウム化合物の全脱水固化を確認』
エンヴィー機が右肩の多波長分析読取機を展開し、青いコーン状の探査光線を爆縮重機へ照射する。
ピピピッ、ピピピッ――読取機の受信回路が未定義パターンの警報音を小刻みに刻む。
『未登録の吸熱生体反応。目標の推定質量、大型重機を上回る規模。管壁内部に潜伏中と判定します』
神崎はライフルを握る右手のマニピュレーターに力を込め、背部スラスターの姿勢制御ノズルを絞る。
底知れぬ深海が放水路の狭隘空間を圧迫し、怪異の胎内に呑み込まれた錯覚が脳裏をかすめる。
頭上の放熱ダクトの奥から、海水を押しのけて何かがはいずる湿った摩擦音が響き始める。
ギィィ……重機の鉄板が、見えない触肢の重量によって一段と深く歪む音がトンネル内に反響する。
橘曹長が機体のライフル銃身を天井の暗がりへ向ける。
闇の奥、幅広の放熱スリットの隙間から、青碧の複眼の群れが神崎たちをみおろしていた。
【水星の塔 事故報告:保全局 #01】
◆ 非常用水密隔壁プロトコル
浸水や気圧異常を検知した際、区画内の工員ごと物理的に密閉遮断する非情の安全規則。
都市の存続という絶対秩序の前において、下層市民の生命は数値データとしてのみ処理される。




