第13話 暗黒の深海ソナー ――深三千メートルの怪異兆候
水流層の最深部。円形放水路を、ガーディアンの右肩に懸架された二灯の探照灯が白く射ぬく。
脚部緩衝器が泥まじりの滞留海水に浸かり、足首の油圧ダンパーから水冷の冷気が装甲板を伝って操縦殻の床を冷やす。
風防の強化ガラス越しに見える壁面は、無数の鋲頭を覆い尽くす異形の青碧結晶でびっしりと覆われている。
照射光を浴びた結晶はみずから冷たい青碧燐光を明滅させ、無機的な結晶群となって管壁を侵食している。
神崎は四点式ハーネスをしめ直し、顎の下の送話器へ息を吹き込む。
「橘曹長、後方警戒を怠るな。水圧隔壁から五百メートル進入した」
無線機から激しい雑音が混じり、橘の低くかすれた声が返る。
『了解だ、隊長。気味が悪りいな。壁のこの霜、ただの海塩じゃねえぞ』
計器盤の中央に並ぶ表示窓が、異常な氷点下を示す水温を警告色で点滅させている。
高圧環境において、塩分を含んだ海水が氷点下で凍結するなど熱力学的にあり得ない。
流れる海水が熱を奪われず、自律的に分子運動を停止させているとしか説明がつかない。
これまで信じてきた工学と熱力学の法則が、水路の底で音を立てて軋み、解体されていく悪寒に首筋がこおる。
神崎は右マニピュレーターの操作桿を親指の腹で微細にかたむける。
重い油圧ピストンが作動し、鋼鉄の五本指が壁面の硬いコンクリートにふれる。
人差し指のチタン合金爪で、青く光る霜の表面をうすく削り取る。
乾いた微小放電音が、装甲板を伝わって操縦席に硬く響く。
採取した微細な氷塊は融解することなく、接触したマニピュレーターの金属表面へ瞬時に侵食を始める。
右腕の油圧が急激に低下し、指先の電動機が凍結の軋みと共に痙攣を起こす。
霜が金属の熱を急速に奪い去っている。常温の熱伝導ではなく、周囲の熱エントロピーそのものを貪食する未曾有の怪異だ。
神崎は即座に機甲腕の強制振動弁を叩き、霜の残滓を泥水の中へとふり落とす。
操縦席の背後、極低温の液化窒素配管から、かすかな冷却循環の振動が背骨へ伝わってくる。
氷鉄リアクターを冷却する極低温循環と、この外部の異界冷気。もし装甲が破断すれば、機体は内部から氷結の棺桶と化す。
副座操作卓から、随行アンドロイド・エンヴィーの抑揚のない合成音声が滑り込む。
『採取結晶の分光分析、不能。既知の元素周期表に該当パターンなし。警戒段階を二段階引き上げます』
「分析は後回しだ。水流層の中央動力配管へ急ぐ」
ガーディアンの推進スラスターを微弱噴射し、泥水を押しのけて前進をはじめようとする。
トンネルの奥から不気味な海流の唸りとともに、重油と鉄が変質した異臭が漂ってくる。
探照灯の光芒の先に、歪んでねじ切れた大型建設重機のブームと履帯が、暗い影となってうかび上がる。
『隊長、前を見な……大型重機が、やられてやがる』
橘曹長の搭乗する二番機が神崎の左斜め後方に滑り込み、ライフルをかまえる。
耐圧装甲を誇るはずの重機操縦室は内側から激しく引き裂かれ、鋼鉄の破断面が青い霜で白く凍てついている。
放水路の奥深く、折れ曲がった放熱ダクトの影で、何者かが濡れた触肢をうごめかせている。
【極限深海:物理観測 #01】
◆ 水深三千メートル・三百気圧の死線
装甲表面のわずかな歪みや微小亀裂が、瞬時に機体の圧壊を招く超高圧環境。
破損配管から噴出する海水は、鋼鉄装甲すら一瞬で両断する高圧切断刃と化す。




