第12話 拳の火花と引き裂かれた海 ――反逆のトリガー
受水デッキの重厚な鋼鉄ブロックが、低周波の唸りを上げて小刻みに震動し始める。
水中音響受波器の振動板が限界まで激震し、濁った重低音の警報音を洋上へ吐き出す。
漆黒の海面から無数の気泡が激しく湧き上がり、白濁した飛沫塊が受水ゲートの防護側壁を洗う。
ゲート上部に設置された防爆仕様の赤色回転灯が突如として明滅し、夕暮れの灰色の海面を赤黒く照らし出す。
銃口を構えていた二名の警備兵が、顔を見合わせ、引き金からわずかに指を緩める。
バージの船底越しに伝わる強力な圧力波が、レンの足裏の骨を痺れさせる。
この震動は海流や波浪の衝撃ではない。水流層最下層、高水圧を遮る防護隔壁のどこかで、桁外れの破断が起きた証拠だ。
レンは鉄製レンチを握り締めたまま、船縁から海面を鋭く凝視する。
クローネンベルクの端正な顔立ちから、一瞬だけ貴族めいた余裕の表情が剥がれ落ちる。
薄い唇が一文字に結ばれ、眉間に深い皺が刻まれる。
白亜の視察艇の操舵室から、警報音とともに機械合成音が漏れ聞こえる。『第二種警戒発令。水流層第七区画に未詳震動を検知』。
査察官の瞳に宿った動揺は、瞬く間に冷酷な光へと塗り替えられる。
クローネンベルクは襟元の埃を払うと、レンを見下ろして冷酷な舌鋒を突きつける。
「水流層の愚民どもが。配管の保守点検すら怠り、事故を引き起こしたようだな」
「我ら上層の市民にとって、下層の泥水呑みが何千人溺死しようと、関知するところではない」
査察官は靴底を鳴らし、視察艇の防弾船室へと足を踏み入れる。
「水代の査定に不服があるならば、塔の中央議会へ直接申し立てるがいい」
「貴様ら独立プラントの寄生虫どもが、生きて塔の天頂まで登り詰められればの話だがな」
高圧空気の排出音とともに、重厚なチタン合金ハッチが気密閉鎖される。
双発推進器が高周波の回転音を響かせ、純白の船体が素早くバージの舷側を離れる。
猛烈な排気白煙と激しい航跡波が、ボリスの老朽運搬バージを激しく翻弄する。
レンチを握り直すレンの背中へ、ボリスの荒い呼気が吹き当たる。
「追うなレン! 船を出すぞ! 早く係留索を解け!」
ボリスの油まみれの掌がレンの上腕を激しく引き寄せ、操舵室へと連れ戻す。
操舵室の隅では、ミアがペンダントの青い硝子玉を握り締め、震えながら座り込んでいる。
塔へ文句があるなら直接登ってこいだと。その傲慢な侮蔑が、レンの血潮を激しく煮えたぎらせる。
労働者の搾取を重ね、渇きに喘ぐ者たちを踏みつけにして笑うあの塔を、いつか必ず自らの手で引きずり倒してやる。
ボリスが老朽内燃機関を始動させ、黒煙を吐き散らしながら運搬バージを急速反転させる。
地鳴りを伴う重低音の唸りが、海底の深淵からなおも海面を揺らして響き続ける。
海面を渡る突風の中に、重油の臭気とは隔絶した、肺腑を凍結させる極冷の冷気が混入し始める。
海の下で、人間同士の醜い諍いなど歯牙にもかけぬ何かが、静かに顎門を開きつつある。
水流層深部――光の途絶えた中央竪坑の底で、神崎玲司の駆るガーディアンは、冷気満ちる未探索水路へと足を踏み入れる。
【外洋プラント 通信傍受ログ #03】
◆ 拳の火花、反逆の契機
踏みにじられた少女の尊厳と略奪される真水。
工員レンの鉄拳が塔の武装兵を打ち砕き、従順なる労働者から反逆の機士への転換点を刻む。
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※第3幕読了ありがとうございます! 次回、水深3000mの水流層に未曾有の深海怪異が急襲します。
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