06.絆の枝折
あれからまた一月が経った。先輩は脅威のスピードで卒業論文を書き上げ、提出した。そこで力尽きてしまったようで、最近の先輩は魂が抜けているかのように自堕落な生活を送っている。
研究室の角にある、布が被せられた箱の上でずっと寝ている。動物の餌やりみたいに、アリアが研究室に来てはご飯を与えているが、その時以外動くところを見ていない。本当にダメになってしまうと心配こそすれ、あれだけ頑張っていた先輩を間近で見ているので、動け、なんて到底言えない。
「あれ?先輩?」
いつもの如く、先輩用のご飯を持って研究室に入ったが、角に置かれている箱の上に先輩の姿はない。先輩はもう研究室にいる必要はない。今度こそ寮の自室に帰ったのだろうか。少し寂しいが、仕方ない。これからは先輩のいない日々が始まるのだから。
アリアがいつも使っている机の上に小さなメモが置いてった。
* * * *
「先輩、先輩!!」
学院で先輩がいそうなところを探しまわって、ようやくその姿を見つけた。日当たりのいい裏庭の木陰で寝ている彼に駆け寄る。
「ノクティス先輩!」
「ん?……アリアか。随分と早かったね」
目を擦ってくあ〜と余裕そうに欠伸をするノクティスとは裏腹に、アリアは落ち着いていられない。
「そりゃあ、こんなメモ残されたら、早く話を聞かないとってなります!!」
アリアは自分の机に置かれていたメモを文字がはっきりと見えるようにノクティスにズイ、と押し付ける。
『王宮に研究室移すから荷物の整理始めてね』
「ああ、これね。どう?俺からのプレゼント」
「王宮に研究室を移す、ってどういうことですか!?」
「書いてあるでしょ。そのまま」
なぜそれでわかると思ったんだ!全くわからない。経緯がわからない。ちゃんとした説明をしてほしい。先輩だけなら理解できたが、なぜそれにアリアが巻き込まれている???
「先輩の荷物の整理を手伝えってことですか?」
「違う。あそこ撤収しなくちゃいけなくなったから掃除して本は王宮に移そう」
「なんでそんなことになったんですか」
そもそも、研究室を撤収しなければいけない理由がわからない。
「人数がいなくなるからですか?」
「違う。俺とお前の論文が評価された。学院側が王家に回したらしい。んで、俺が宮廷魔法師になるからついでに研究室もこっちに移したら?って。資金も出るぞ?」
先輩はどうだ、嬉しいだろ、とアリアの様子を伺うが、アリアはちっとも嬉しくなかった。
「っこんなことになるなら、先輩の論文なんか協力するんじゃなかった!!!」
先輩の手を払い退けて、走った。泣きながら走って、研究室に戻った。内側から鍵を閉めて、誰も入れないように。先輩が入って来れないように。
* * * *
『っこんなことになるなら、先輩の論文なんか協力するんじゃなかった!!!』
アリアに振り払われた手を見つめる。何を間違ったのだろう。アリアは確かにノクティスの論文が評価されることを望んでいた。ならば、研究室のことだろうか。ノクティスが決めたことではないが、アリアからしたら、知らない間に勝手に居場所を奪われたように感じるのかもしれない。後輩が大事にしていた場所を奪って、もっといい条件の場所があると、金があると、あんな場所手放せばいいと言い放った先輩のことを誰が慕うだろう。
彼なりに大事に思っていた後輩を、傷つけてしまった罪悪感が、後悔が巡り巡る。
彼女に合わす顔がない。走り去ってしまった彼女を追いかける権利が、自分にはない。
(金の少年を意図せず傷つけてしまった黒の竜もこんな気持ちだったのか?)
(違うな)
いつかアリアが大好きだと語ってくれた黒の竜と金の少年の話。自分の行いは黒の竜ほど崇高なものじゃない。もっと汚くて、醜くて、バカなものだ。
アリアと出かけた日から、卒業論文に協力してもらうようになり、アリアとは随分仲が良くなったと思う。お互い黙々と本を読むだけの毎日だったが、会話が発生しないわけではなかった。
数年前から、アリアが研究室に入ってから、アリアの性格は知っていた。素直で、真面目でとってもいい子だ。研究熱心で、一度興味を持ったらもう掘れなくなる底が見えるまで探し求める。
アリアは正直に気持ちを伝えてくれる子だった。ノクティスは研究者の鏡であると、あなたについていきたい、あなたみたいな研究者になりたい。あなたと研究がしたい、と。彼女は何度もそう口にしてくれていた。
だが、自分はどうだろうか。思っていることを彼女に伝えたことはあったか?彼女と、アリアと一緒にドラゴンについて研究したいと、そう本人に伝えたことはあっただろうか。自分の事情に勝手に彼女を巻き込んで、彼女は自分についてきてくれると思い込んでいた。自分のこの先にアリアがいないことを考えていなかった。
アリアには悪いことをした。すぐに王宮と学院に話を通して、学院の研究室はそのままにしてもらおう。
そして、これからは一人で研究を続けるのだ。孤独な部屋で、国のために魔法の訓練をしながら。
たった一人で、狭い部屋で、毎日同じ行動を繰り返す自分を想像した。なんとつまらない人生だろうか。




