02.リフレッシュのお誘い
その晩、父から話を聞いた。
ルシアンとの婚約はもうすでに破棄されているらしい。十七歳で、独り身生活が確定した瞬間だ。
それからは、虚しさを埋めるために、研究室に籠りきりになった。寝ずに一夜を明かすことは増え、三日家に帰らないことも普通になった。
ある時、先輩に心配された。
「帰らなくていいの」
先輩の物言いは冷たくて、他の人なら早く帰れと言われていると受け取るかもしれないが、これは彼なりに心配してかけてくれた言葉だった。
「はい。寮に帰ったり、家に帰ったり、自分の部屋で一人になるとどうしても変なことを考えちゃって。彼が亡くなる前に、もっとこうしていたら、とか無駄なこと。研究室だとドラゴンのことしか考えなくていいので、気が楽なんです」
先輩はやはりあの夜、使用人との会話を聞いていたらしく、次に研究室に顔を出した時に心配の言葉をもらった。先輩は寡黙な人だから勘違いされやすいけど、気配りができて優しい人だ。
「アリアが良ければ、今度街に出る?」
「えっ?」
突然のお誘いに身が固まる。先輩からこんなふうに誘われるのは初めてだ。
「いや、その……気分転換というか。俺が街で見たいものがあるからついてくる?」
「では、お言葉に甘えて」
アリアは研究熱心というか、ドラゴン以外の服だとかアクセサリーだとかに興味がなかったため、自ら街に出たり、友達とお茶をしに行ったり、という経験がない。それに、ノクティス先輩がこんなお誘いをしてくれたのも初めてだったため、余計に楽しみが増す。
その晩は、珍しく何を着て行こうだとか、どんな髪型で行こうだとか考え込んでしまって、なかなか寝付けなかった。
* * * *
寮の門の前で先輩と待ち合わせの予定だ。予定より早く着いてしまったのか、先輩の姿がない。
用事があるとは聞いていたので、どこに行くのか考えていると、あっという間に時間が過ぎた。
「悪い。待たせた」
いつもの学生服を着崩した姿じゃなくて、ちゃんとした私服姿のノクティス先輩を初めて見た。
この国では珍しい黒髪がよく目立つ白いシャツ。真っ赤な瞳を遮るように銀ぶちの眼鏡をかけている。
「先輩って眼鏡してたことありましたっけ?」
「学院ではないな。素性が割れてるし。街に出ると面倒だから、ほら」
先輩がクルっと人差し指を回すと、先輩の綺麗な黒髪が金色に変わる。金色の髪は、この国で一番数が多いとされている髪だ。王家から国の端に位置する村まで、金色の髪の人が見られる。先輩の黒髪は、この国ではレイブンシェイド公爵家のみがもつとされている。つまり、黒髪で街を歩くのは、自分はレイブンシェイドの血縁者だと言って回るのと変わらない。
「金色もお似合いです」
「……どうも。ほら、行くぞ」
ぶっきらぼうに返事して、私の手を掴んで歩き出す。
先輩は研究で自分の手柄が立った時も、褒められるとむず痒そうにしている。褒められ慣れていないのか、ただ恥ずかしいだけかわからないが、いつも仏頂面の先輩が恥ずかしそうにしているのを見るのが面白くて、アリアはことあるごとに先輩を褒めるようにしている。
「それにしても、先輩ほんと魔法の展開早いですよね」
この世界には、魔法というものが存在している。しかしそれはまだ発展途中で、最近発見されたものだと言われている。その証拠に、魔法では無から物を生み出すことはできない。
空気を操ったり、さっきの先輩みたく、すでにあるものの形を変えたりしかできない。王家に仕える宮廷魔法師はもっと大きな魔法も使えると噂されているが、それは黙秘されており、一般の国民が知ることはない。まだまだ魔法は研究途中であり、多くの学生が魔法を研究している。アリアとノクティスが所属する研究室に人がいない一因でもある。
ドラゴンの存在は魔法の発見より遥か昔からあったとされている。それでも今わかっていることは少ない。つまり、研究が非常に難しいのだ。それを好き好んでやるアリアやノクティスの方が、世間ではおかしいとされている。
「魔法は規則性があってわかりやすいからな。展開も慣れたら難しくないし、便利なものだ」
先輩はそう言うが、そこに至るまでが一般の人間には難しい。まず魔法の理念を理解するところでひと段落、そして魔法を使うのにひと段落、さらにはそれが身に馴染むほど繰り返し、使用する。相当長い間、高い頻度で魔法に触れていないと難しい話だ。
「そういうアリアも成績上位だろ?得意なんじゃないの魔法」
「なんで知ってるんですか?」
確かにアリアは学年でも成績は上の方だ。しかし、それを先輩に話した記憶はないし、先輩の前で魔法を使う機会も少なかったはず。
「誰も来ないと思っていた研究室に新しい後輩が来て、気にならないわけないだろ」
「わざわざ私の学年に貼り出されているテスト結果とか見てたってことですか」
「……まあ何度か」
アリアがニヤニヤとそう言ったからか、ノクティス先輩がそれを知られたくなかったからか、恥ずかしそうにそっぽを向かれる。
尊敬する先輩が自分のことを気にしたり、知ろうとしてくれていたことが嬉しい。自然と笑顔になってしまう。
嬉しくて先輩の顔に目を向けると、心なしか耳が赤くなっているような気がした。この先輩、可愛いんです……。




