表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

第6話:焦げない奇跡の温度。優しく芯まで温める小さな火

本日2話目です

 コトッ……。コトコトコト……。

 静まり返った森に、リズミカルで心地よい音が響き始める。

 ポポが鍋の底にぴったりと張り付き、懸命に、そして嬉しそうに炎を灯している音だ。

 赤い舌を伸ばして周囲の空気を焦がすような炎ではない。

 柔らかいオレンジ色のクッションのように、鍋の底を優しく、均一に包み込んでいる。

 ――ふつ、ふつふつふつ……。

 鍋の中の水が、ゆっくりと温度を上げていく。

 乱暴に沸騰するのではなく、水面が微かに揺れ、小さな気泡が底から静かに立ち上るだけ。

 これこそが、巨大な炎には絶対に真似できない、ポポだけの「焦げない奇跡の火加減」だった。

「わあ……すごいわ、ポポ。鍋の周りが全然熱くないのに、中のお水だけがしっかり温まってる」

『エヘヘ……! ワタシ、コゲナイヨウニ、ユックリ、ユックリ、アタタメテルノ!』

 ポポは照れくさそうに炎を揺らし、さらに集中して温度を保ち始めた。

 コトコト、コトコト……。

 やがて、鍋の表面からふわりと白い湯気が立ち昇る。

「あっ……」

 エレインは思わず息を呑んだ。

 干し肉の凝縮された旨味と塩気が、根菜の大地の甘みと混ざり合い、ハーブの爽やかな香りに包まれて――暴力的なまでに食欲を刺激する「ごちそうの匂い」へと変化していた。

 きゅるるるるるるぅぅ……っ!

 エレインのお腹が、先ほどよりもさらに悲鳴のような音を立てる。

 顔を真っ赤にして押さえる横で、「人間の食べ物など興味はない」とツンとしていたギルも、ピクッと青い耳を動かした。

『……フン。なんだ、その匂いは。悪くない匂いだな』

「ふふっ。ギルもそう思う? もうすぐ美味しくなるから、待っててね」

 強がりながらも、ギルのサファイアの瞳が鍋をチラチラと盗み見ているのがわかり、エレインはたまらなく愛おしい気持ちになった。

 木杓子で鍋の中をそっとかき混ぜると、エレインは目を丸くした。

 石のように硬かった塩漬け干し肉が、ポポの優しい熱をたっぷりと吸い込み、ふっくらと本来の厚みを取り戻している。

 少し触れただけで、繊維に沿ってほろりと崩れそうなほどの柔らかさだ。

 無骨に切り分けた根菜の角も取れ、透き通るような黄金色へと変化していた。

 食材から溶け出した旨味のエキスが、ただの水をトロリとした琥珀色の極上のスープへと昇華させている。

「ポポ。貴方、本当にすごいわ。王宮の料理長だって、絶対にできない」

『ホント!? エレイン、ウレシイ!?』

「ええ、とっても。貴方の優しい炎のおかげよ。ありがとう」

 エレインが心からの称賛を贈ると、ポポは嬉しさのあまり、鍋の底でパァァッとひと際明るく輝いた。

 役に立たない。ゴミだ。消えろ。

 そんな呪いの言葉に縛られ、自分に価値がないと思い込んでいた小さな精霊が、今、世界で一番優しい炎で、一人の少女の心と身体を温めている。



「……もう少しだけ、味見してもいいわよね」

 限界まで高まった食欲に勝てず、エレインはポツリと呟いた。

 木杓子で琥珀色のスープをそっと掬い上げる。ハーブと肉の芳醇な香りが、顔をふわりと包んだ。

「ふーっ、ふーっ……」

 桜色の唇を尖らせ、優しく息を吹きかける。

 そして、冷え切った両手で木杓子を大切に包み込んで、口元へ運んだ。

 ――ごくり。

「……っ!!」

 美味しい。

 とてつもなく、美味しい。

 干し肉の塩気はポポの炎によって角が取れ、信じられないほどまろやかになっている。

 根菜の素朴な甘みが絶妙なバランスで混ざり合い、複雑で奥深いコクを生み出していた。

 飲み込んだ後には、ハーブの爽やかな香りが鼻に抜けて、くどさを一切感じさせない。

 しかし何より、エレインの心を震わせたのは「温度」だった。

 熱すぎず、ぬるくもない。

 ポポがエレインのためだけに調整してくれた、奇跡のような温度。

 喉元を通り、空っぽの胃へと落ちていく。

 じんわりと、身体の中心から、小さな太陽が生まれたような温もりが広がっていく。

 芯まで冷え切っていた細胞の一つ一つに染み渡り、命の歓喜の声を上げているのがわかった。

「……はぁぁ……っ」

 甘い吐息がこぼれる。

 指先まで温かい血が巡り始め、強張っていた肩の力がスゥッと抜けた。

 食事とは、命をつなぐための作業だと思っていた。

 書類から目を離さず、冷えたパンと干し肉を胃に流し込むだけの毎日。

 でも、違うのだ。

 パチパチという優しい炎の音に耳を傾けながら、食材がゆっくりと美味しくなる時間を静かに待つ。

 その「待つ時間」すらも、これほどまでに幸福なものだったなんて。

「……ポポ。もう完璧よ。これ以上ないくらい、最高のスープだわ」

 ほんのりと桜色に染まった頬を緩ませ、エレインは鍋の底で頑張る小さな精霊に極上の笑顔を向けた。

『ホント!? ヤッタァ! エレイン、イッパイタベテ!!』

 ポポが鍋の底でピョンピョンと炎を揺らす。

 傍らではギルが、三本の尾でエレインの背中をバシバシと叩いて催促していた。

「ふふっ、わかったわよギル。今、器に分けるから」

 夜の森の冷気など、もう一切感じなかった。

 極上のモフモフと、世界一優しい炎。

 最高の仲間たちに囲まれた、エレインの「人生で一番美味しい夕食」が、今、幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ