第5話:焚き火のはぐれ精霊との出会い
本日1話目です
――ポッ。
二人の目の前の暗がりで、小さなオレンジ色の火の粉が舞い上がった。
人間の親指ほどの大きさの、雫の形をした極小の火の玉。
パチパチと微かな音を立てながら、頼りなく空中に浮いている。
よく見れば、炎の中心には小さな二つの黒い瞳があり、オドオドとした様子でエレインとギルを交互に見つめていた。
『……ヒィッ!』
巨大な氷の幻獣、ギルと目が合った瞬間、小さな火の玉は恐怖で炎をブルッと震わせ、今にも消えそうなほど縮こまった。
「あ、待って! 怖がらせるつもりはないの!」
エレインはギルの頭を撫でて落ち着かせると、膝をつき、その小さな炎に向かって優しく古代精霊語を紡いだ。
「――(驚かせてごめんなさい。小さな火の精霊さん。私はエレイン。こっちはギルよ。絶対に危害は加えないわ)」
ピタッ、と。逃げ出そうとしていた炎の動きが止まる。
『……エ? ニンゲンナノニ、ワタシノ、コトバガ、ワカルノ……?』
「――(ええ。貴方はどうして、こんな湿った森の奥に一人でいるの?)」
小さな炎はパチパチと瞬き、少しだけエレインの顔の近くまでフワフワと漂ってきた。
そして、ポロポロと火の粉の涙をこぼしながら、語り始めた。
『……ワタシ、ポポ。オウキュウカラ、オイダサレタノ』
「王宮から……?」
『ウン。ワタシノ、ヒノチカラハ、トテモヨワクテ……。オウキュウノダイヨクジョウノ、オユヲワカスノモ、マドウロヲ、モヤスノモ、ゼッタイニデキナイカラ』
王都には、強大な火力を持つ火精霊たちが数多く契約し、巨大な給湯システムや魔導炉を稼働させている。
しかし、この小さな炎は違った。
どれだけ頑張っても、焚き火程度の大きさにしかならない。大量の水を沸騰させることも、硬い鉄を溶かすこともできなかった。
『オオキナ、サラマンダータチニモ、「オマエハヨワスギル」「ジャマダ」ッテ、イジメラレテ……。ニンゲンノ、マドウシタチニモ、「コンナカスミタイナヒハ、ヤクニタタナイ」ッテ、ステラレチャッタノ』
役立たず。ゴミ。消えてしまえ。
そんな言葉を投げつけられ、居場所を失って、この森へ迷い込んできたらしい。
『ダカラ……ワタシノヒハ、ヨワスギテ、ナニモモヤセナイ。ジャマダヨネ。ゴメンナサイ……』
今にも消えそうなほど炎を小さくして、後退しようとするその姿に。
「――待って!!」
エレインは思わず、人間の言葉で大声を上げていた。
役に立たない。地味だ。不要だ。
ポポが浴びせられたであろう言葉が、エレイン自身の記憶と重なる。
――裏で小難しい書類を書くだけの地味で不気味な女は、もうこの王城には不要だ!
どれだけ必死に支えていても、派手でわかりやすい力がなければ切り捨てる。
精霊の心を理解しようともせず、「力」という物差しだけで世界の価値を測る人間たち。
エレインはそっと、空中に浮かぶ小さな炎の下へ手のひらを差し出した。
「――(逃げないで。お願い、貴方の炎に触れさせて)」
『……ダメダヨ! ワタシノヒハ、ヨワクテ、ミジメダカラ……ッ!』
「――(いいえ。絶対にそんなことないわ)」
エレインの真摯な瞳に見つめられ、小さな炎はゆっくりと、手のひらの上にふわりと降り立った。
火傷するような激しい熱さはない。
かじかんだ指先を解きほぐすような、冬の朝に差し込む陽だまりのような温かさ。
肌を焦がすのではなく、身体の芯にまでじんわりと染み渡っていく、極上の熱だった。
「……なんて、優しい火なの」
エレインの目から、ポロリと涙がこぼれた。
こんなにも優しい温もりが「役に立たない」と捨てられたことへの怒りと、この優しさに出会えた感動の涙だ。
「――(聞いて。王宮の連中は目が節穴なのよ。貴方の炎は弱くなんかない。ただ彼らの望む乱暴な炎とは『役割』が違っただけ)」
『ヤクワリ……?』
「――(大きな炎は鉄を溶かすけれど、相手を黒焦げにしてしまう。でも貴方の炎は違う。絶対に相手を傷つけず、優しく芯まで温めることができる。……それは、誰にでもできることじゃない、特別な才能よ)」
ポポの小さな炎が、パァッと明るく輝いた。
「――(お願い、ポポ。私、温かくて美味しいスープが飲みたいの。私のお鍋は小さいから、乱暴な炎じゃすぐに焦げ付いちゃう。貴方の『優しい炎』じゃないとダメなの。……力を貸してくれないかしら?)」
『……ッ!! ウン……! ウンッ!! ワタシ、ヤルヨ! アナタノタメニ、トビッキリヤサシイヒヲ、オコスヨ!!』
ポポは喜びのあまり、エレインの周囲をグルグルと猛スピードで飛び回り始めた。
エレインは涙を拭いながら、くすくすと声を上げて笑う。
傍らのギルが『……フン。騒がしい奴が来たな』と鼻を鳴らしつつも、三本の尾をゆったりと揺らし、ポポの熱を嫌がる素振りは見せなかった。
「さあ、準備をしなくちゃ!」
エレインはトランクの底から旅用の小さな鉄鍋を取り出した。
水袋から水を注ぎ、塩漬け肉を細かく刻んで放り込む。道中で摘んでおいたハーブと、しわびた根菜類をナイフで切り分けて加えた。
高級なブイヨンも、新鮮な肉も野菜もない。
それでも、エレインの胸は期待で高鳴っていた。
「ポポ、準備はいい?」
『マカセテ!』
ポポが鍋の底に潜り込み、シュボッと気合の入った音を立てて炎を灯した。
周囲の落ち葉を決して燃やさないよう、鍋の底だけにピタリと密着する――完璧にコントロールされた絶妙な火加減だった。
同じ頃、王城では。
ガシャン、と陶器が砕け散る音が響いた。
「こんなゴミのような肉が食えるか!!」
レオンハルトが血走った目で、夕食の皿を壁に叩きつけたのだ。
床に転がったステーキの断面は異常だった。表面は炭のように真っ黒に焦げているのに、中心部は完全に生で、赤黒い血が滲み出ている。
「作り直すだと!? 今日これで三度目だぞ!」
「そ、それが……厨房の火精霊たちが機嫌を損ねて、火加減が全く言うことを聞かないそうで……!」
エレインが不在になったことで、王都のサラマンダーたちは「人間に合わせた細やかな火力調整」の契約を放棄し始めていた。
最大火力で暴走するか、完全に火を消すかの二択。じっくり中まで火を通すべき肉料理はことごとく、外側は炭・内側は生という最悪の代物になっていた。
「ミア! お前の祈りで、あの火精霊どもを大人しくさせろ!」
「はいっ、もちろんですわ殿下!」
ミアが両手を組んで祈りのポーズをとる。
しかし、火精霊が「光属性の祈り」などという的外れな雑音で大人しくなるはずがない。むしろ彼らの怒りに油を注ぐだけだ。
空腹と苛立ちで胃を痛めながら、レオンハルトは酸っぱく劣化したワインを喉に流し込んだ。
王城から遠く離れた静寂の森で。
追放されたはずの令嬢が、自分たちが見捨てた小さな炎によって、極上の幸福を味わおうとしていることなど――知る由もなく。




